第三十七章:紫の上の涙
季節はゆっくりと移り変わり、都には秋の気配が漂い始めていた。
明石の姫君は都の暮らしにも慣れ、少しずつこの屋敷の一員として受け入れられつつあった。
だが、それと反比例するように、紫の上の笑顔は少しずつ陰っていった。
◇◆◇
ある晩、ふと目を覚ますと、紫の上の部屋の灯りがまだ消えていないことに気がついた。
(こんな時間まで……?)
不安を覚えながらそっと部屋を訪れると、そこには、涙をこぼす紫の上の姿があった。
◇◆◇
「紫の上……?」
驚いて声をかけると、彼女は慌てて袖で涙を拭った。
「光の君……こんな時間にどうされました?」
「それはこっちの台詞だ。何かあったのか?」
「……何も。少し、物思いにふけっていただけです」
彼女はそう言って微笑んだが、その目はまだ涙に濡れていた。
◇◆◇
「俺のせいか?」
俺の問いに、紫の上はふっと目を伏せた。
「……私は、光の君のことを心からお慕いしております」
「知ってる」
「だからこそ……私は、光の君のお幸せを願うべきなのです」
紫の上の声は静かだった。
「でも……それでも、やはり時々、どうしようもなく寂しくなるのです」
◇◆◇
俺は、何も言えなかった。
紫の上の寂しさも、明石の姫君の気持ちも、どちらも大切だった。
けれど、どちらの心も完璧に救うことはできない。
「……俺は、お前を悲しませるつもりはなかった」
「わかっています」
紫の上は、そっと微笑んだ。
それが、かえって胸に突き刺さる。
◇◆◇
この時、俺はまだ知らなかった。
紫の上の心に生まれた小さな影が、やがて決定的な孤独へと変わっていくことを──。




