第三十一章:別れの朝
都へ戻る日が近づくにつれ、明石の館にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
明石入道は表向き穏やかに見えたが、時折、娘を見つめる目には深い哀愁が宿っていた。
姫君もまた、静かに佇んでいることが多くなった。
◇◆◇
出発の前夜、俺は浜辺へと足を運んだ。
夜の海は静かで、月明かりが波に揺れている。
そこに、ひとりの影があった。
「……姫君?」
彼女は振り向いた。
「光の君……」
「どうした? こんな夜更けに」
「……ここを離れる前に、この景色を目に焼き付けておきたくて」
彼女の横顔は、どこか寂しげだった。
「私はここで生まれ、ここで育ちました。都へ行けば、もうこの景色を見ることもないのでしょうね」
「……帰りたくなったら、いつでも戻ってきてもいい」
俺がそう言うと、彼女は静かに微笑んだ。
「光の君は、優しいのですね」
◇◆◇
翌朝。
出発の準備が整い、いよいよ館を後にする時が来た。
「姫よ……都へ行っても、決してこの父を忘れるでないぞ」
明石入道が、娘の手を優しく握る。
「……お父さま」
姫君の目には涙が溜まっていた。
「光の君、どうか娘をよろしくお願いいたします」
「……ああ。必ず、大切にする」
そう約束すると、入道は深く頷いた。
◇◆◇
船が海へと漕ぎ出す。
明石の館が徐々に遠ざかっていく。
姫君は最後まで、振り返ってその姿を見つめていた。
「……行きましょう」
俺がそっと声をかけると、彼女は小さく頷いた。
こうして、俺たちは明石を後にし、都へ向かう旅へと出発したのだった。




