第三話 最後の晩餐
私は最後の晩餐に出席するために、窮屈なドレスに着替えて、移動をしています。
オドオドとした侍女を先頭にして、これでもかという綺羅びやかに着飾って、目の前に扇を広げて進んでいきます。
やはり廊下が臭い。ムカムカします。
そして私の背後には十人の護衛騎士が付いてきています。いつもこんなに護衛はいらないと言っていましたが、今日で最後だと思うと、清々しますわ。
両開きの扉が開けられた先から、臭ってくる臭いに思わず足が止まります。
ぐっ……食べ物の臭いと香水の臭いが混じって気持ち悪い。
「どうかされましたか?」
「なんでもありませんわ」
「そうですか。それでは晩餐をお楽しみください」
「ええ、最後ですものね。最後ぐらい、もう我慢しなくてもいいですわよね」
「アンリローゼ様?」
「グラヴァート卿は、本当に私のような者を押し付けられて、お可哀想」
私は気分の悪さも相まって、悪どい笑みを浮かべました。そして、背後から付いてきていたグラヴァート卿に視線を向けてから、一人、晩餐の準備をされた食堂内に足を踏み入れます。
食堂に足を踏み入れると、既に皇帝陛下とあの女が席についていました。少し早めに来たはずですが、皇帝陛下とあの女の話が盛り上がっていることから、随分前からここに居たようですね。
「お待たせしまして、申し訳ございません」
私は皇帝陛下の元に行き、挨拶をします。別に予定時間より早いのですから、謝罪する必要はありません。しかし、人の揚げ足を取ることが好きなあの女にグチグチと言われるのが面倒なので、謝罪しておきます。
「いや、時間どおりだ」
「それで陛下。私のサインが必要な書類はいついただけるのでしょうか?」
「今、言うことか?」
「はい。最後の晩餐とお聞きしましたので、済ませなければならないことはさっさと終わらせた方がよろしいでしょう? 離婚届をいただけるかしら?」
私がそういうと、皇帝は赤い瞳を横に向けました。そこには銀髪にモノクルをかけた一人の好青年がいます。宰相セルヴァンです。
「こちらを」
宰相セルヴァンは赤いトレイの上に載せられた書類を私に差し出してきました。それも二枚あります。
「離婚届と婚姻届ですか。準備がよろしいことで」
普通では離婚後、九十日以内の婚姻は認められていませんが、私とグラヴァート卿の婚姻届が用意されています。それも既にグラヴァート卿のサインはされていました。
「問題がありますか?」
「いいえ。何もありませんわ。それから、私からの贈り物は受け取っていただけましたか?」
「ええ、大量の贈り物が、私の執務室を占領しておりますよ」
「よかったですわ。それから嘆願書の方はいかがです?」
「おっしゃるとおりです。そのように対応させていただきましょう。それから、エルグランドの方は如何いたしましょう」
「そのまま進めた方がいいわ」
私が受け持っていた事柄を端的に宰相セルヴァンとやり取りし、サインを終えました。
そして私のサインされた用紙を持って宰相セルヴァンは退出していきます。
その背中を見送り、皇妃である私がつくべき席に座り、辺りを見渡しました。
壁に掛けられた帝国の紋章のタペストリーを背に皇帝陛下が座り、私と第二側妃であるメリーエディラ妃が向かい合って席につき、私の隣に第三妃が、メリーエディラ妃の隣に第四妃が席についています。
そして残念ながら、未だに皇帝のお子はいらっしゃいません。ですから、現在皇帝の子を身ごもっているメリーエディラ妃を皇妃にという話が持ち上がったのです。
そして飲み物が配られ、晩餐を始めようかと言う時に私は敢えて、声を上げました。
「時に陛下。もう皇妃ではない私がこの席に居座るのもおかしなものですね?」
「まぁ! そうですわ!」
私の言葉に答えたのはメリーエディラ妃です。私は皇帝陛下にお尋ねしたのですよ。
「ですから、この席はメリーエディラ妃にお譲りいたしましょう」
私は既に配られている前菜を確認してから立ち上がります。
「貴女もやっとご自分の立場を理解されたようね」
「そうですわね。メリーエディラ妃」
メリーエディラ妃は嬉々として私が座っていた席につきます。そしてその光景を見ていた第三側妃も第四側妃も私を嘲笑うようにクスクスと笑っています。
私が皇妃の座から落とされたことがとても嬉しいようですわね。何かと聖王国のことを馬鹿にした発言をされていましたからね。
「それから、給仕する者。私に出す予定だった物をメリーエディラ妃にお出しするのよ。この帝国の皇妃が食べる料理を……」
「何を言っているの!」
「あら? メリーエディラ様。帝国の皇妃だった私が食べる予定だった料理に何か問題があるとでも? それから、私は皇族から外れましたので、末席で水のみでよろしいですわ」
「アンリローゼ。この晩餐は貴女のために用意したものだ。いつまで立っているつもりだ」
私がメリーエディラ妃の背後に立ったままであることを皇帝陛下が注意してきました。
私のための晩餐ですって? 私はあれほど陛下との晩餐には出席しないと言っていた理由を最後まで理解していただけなかったことがとても残念ですわ。
私は皇帝陛下に頭を下げ、第四妃の隣の一番末席に自ら椅子を引いて腰を下ろします。
そして皇帝陛下から帝国の永劫の発展を望む言葉が紡がれ、晩餐が始まったのです。
皆が食事に手をつけ、前菜、スープ、魚料理と進んでいきますが、メリーエディラ妃は何一つ食事に手をつけていません。
「あら? メリーエディラ妃。如何なされたのです? 確か今日のメニューはメリーエディラ妃の希望の料理とお聞きしましたわよ」
妊婦であるメリーエディラ妃の好みが反映されたメニューだと事前にグラヴァート卿から情報を仕入れていました。だから食べられないということはないはずです。
「まさか食べられないとは言いませんわよね。私が初めて帝国に来た時の晩餐で『食べられない』と申し上げましたら、皇帝陛下から叱咤されてしまいましたもの。『ここはシャルレーン聖王国ではない。帝国の流儀には従ってもらう』と。まぁ、これが帝国の皇妃に求められることならばと、私は受け入れましたわ。まさかメリーエディラ妃がその皇帝陛下の言葉を無下にすることはありませんわよね」
メリーエディラ妃は怒りを露わにするようにフルフルと震えながら睨みつけて来ました。
何を怒っているのです? 全て貴女が采配したことではないですか。
「今日の前菜の物はまだ甘くて美味しい方ですわよ。一口お食べになっては如何?」
「だ! 誰がこのような物を!」
メリーエディラ妃は、前菜が綺麗に盛り付けられた皿を私に向けて投げつけてきました。
あらあら、皇帝陛下の前でそのような無作法を行う者が、次の皇妃とは嘆かわしいですわね。
投げつけられた皿をスッと手を添えて受け止めます。綺麗に盛り付けられた形は崩れてしまいましたが、モノは載っていますわね。
私はその皿を持って、メリーエディラ妃の元に行きます。
「なんて無作法なのかしら? メリーエディラ妃。これは貴女が頼んだものなのでしょう?」
私はフォークでサクリと白いソースがかかった野菜を差し、メリーエディラ妃に持たせます。
「ひっ!」
「何をしているのです? 私はこの三年間何も文句なく食べてまいりましたわよ。このソースは甘いので美味しいですわよ。三日ほど腹痛に悩まされるだけですわ。スープに入っている赤い実はピリッとしたいいアクセントになって、三時間ほど痺れて動けなくなるだけです。魚料理に掛けてある紫色のソースは一口であの世行きですので、そんなに苦しまなくて済みますわ。これを食するのが帝国の皇妃の務めならば、メリーエディラ妃もその習わしに準じなければね?」
「アンリローゼ。それは……」
「皇帝陛下。まさか一度口にした言葉を覆すという、愚かなことをなさろうとされていませんよね?」
私の行動を止めようとする皇帝陛下を牽制します。
ふん! ここで言い返せない愚か者が皇帝など、何れこの帝国は滅びるでしょうね。
今の状況は元皇妃殺害未遂でメリーエディラ妃を拘束するところですのに、本当に使えない皇帝だこと。
「しかし、今の私は元皇妃であり、シャルレーン聖王国の第一王女。これ以上は第二側妃様に無礼となるでしょう」
外が騒がしくなってきましたわね。そろそろ潮時でしょうか。
私は皇帝陛下に頭を下げ、入ってきた扉の方に向かって行きます。そして扉の手前で立ち止まって、呆然とこちらを見ている皇族の方々に笑みを向けました。
「聖王国での聖女アンリローゼという肩書が、まさか帝国で私自身の解毒で役に立つとは、皮肉なものですわね」
私が扉の前に立ちますと、使用人が扉を開けました。その外には皇城内の警備に当たっている近衛騎士たちが立ち並んでいます。
ふふふ。私を拘束に来たのでしょうね。いいですわ。捕まって差し上げますわよ。
あなた達ぐらいの目なら、いくらでも誤魔化すことができますもの。
ああ、これで完璧にグラヴァート卿の監視の目から逃れられますわ。
私は晴れ晴れとした気分で、食堂から一歩足を踏み出したのでした。
今の私の気分は最悪です。
その苛立ちを肉を断ち切る刃にぶつけます。
「アンリローゼ様のお怒りはご尤もです」
結局、拘束されたのは私ではなくメリーエディラ妃でした。そして、私は自室に戻って執務室兼キッチンで自分の夜食を作っているのです。が、私の足元に跪いているのがグラヴァート卿です。
私は独房が良かったのに、食堂から出て意気揚々と近衛騎士が待ち構える正面に進めば、近衛騎士は私を無視して食堂内に入っていくではないですか。
そして何か文句を言っているメリーエディラ妃の声が聞こえてくるのです。なんのために先に離婚届にサインをしたと思っているのです。意外にも婚姻届も用意されていましたが、それはただの伯爵夫人となる手続きですので大いに結構。
皇妃でなくなった者が側妃に毒入りの料理を食べることを強要したのです。それはもう、私が拘束されると思っていました。ですが、皇帝の命がなかったにも関わらず近衛騎士が側妃を拘束するという事態。
そして私の前には神妙な面持ちをしたグラヴァート卿がいるではないですか。それは私の作戦の敗北が決定した瞬間でした。
「晩餐を避けていらっしゃったのは、いつものくだらないことに、時間を取られるのが煩わしいということだと、勝手に解釈していた私の落ち度です」
「何度もいいますが、グラヴァート卿は護衛騎士。晩餐の出席は認められていない者に何の責任があるのです」
「私の無能さを許してくださると?」
「はぁ。グラヴァート卿は、護衛騎士などには勿体ないほど有能だと思っていますよ」
本当に有能過ぎるのです。何故に護衛騎士などという馬鹿でも……馬鹿には無理ですが、そこまで有能でなくてもできる仕事についているのかが不思議なぐらいです。
「それは私のことを愛してくださっていると」
「……いきなり立ち上がって、包丁を持っている手を掴まないで欲しいわ。褒めると調子に乗るのをやめなさい」
この男。はっきり言って、その素性が不明なところがあるのです。グラヴァート伯爵家に十歳のときに養子に入ったという以前の経歴が全くもってないのです。
しかし、顔立ちは皇族のように思えるのですが、直系に近しい血族の者には赤い目が受け継がれるそうなので、私の予想では皇族の遠縁に当たる者だと思っていたのです。
しかし今回、近衛騎士を動かしたのは恐らくグラヴァート卿。ということは皇帝にかなり近しい者で、メリーエディラ妃の父親であるサイザール公爵を黙らせることができる立場ということになってしまいます。
あ……なんだか、私の平穏な未来計画が崩れていっている気がします。
「これからは、料理などは別の者に任せてください」
「料理中は邪魔をしないという約束でしたよね? それから、私の趣味を奪う権利がグラヴァート卿にあるとおっしゃっている?」
「滅相もありません。ただ、料理人の仕事が無くなってしまいますのでね。しかし、私の妻となったアンリローゼ様の手料理をいただけるという役得も捨てがたい。これは困りましたね」
何も困りません。私が料理を始めたのは聖王国にいた頃からなので、そのことでとやかく言われたくありませんわ。
「一度もグラヴァート卿には出したことがありませんので、これからもありませんわ」
「私が居ない間に部下には焼き菓子を配って、私にはないこともありましたよね?」
「ええ、試しに作ったら大量に出来上がったので、その辺りにいた者に処分をお願いしただけね」
「部下に味見をさせていたこともありましたよね」
「ええ、新しい食材を帝国で作付けしても、料理として使えなければ意味がないですもの」
帝国の人たちが受け入れられる食材なのか、確認が必要でしたもの。食べない食材を植え付けても無駄ですからね。
「今日から夫婦となったのですから、夫である私に今日の夕食を作っていただけませんか? アンリローゼ様」
いきなりズバッと来ましたわね。
ん? これはもしかして、毒を盛って動けなくしてから、逃亡という手が使えるのでは?
「ええ、夜食でよければ」
私は笑みを浮かべて了承の返事をします。
今日は臭みの少ない鶏肉のシチューにしようと思っていましたから、ピリッとスパイスの効いた痺れ薬にしておきましょう。
私の調合した薬は三日ぐらい動けなくなりましてよ。
「因みに私は毒物は無効となる体質ですからね」
……ちっ! この作戦も駄目ですか。
なんです? 毒無効って普通は毒軽減や毒耐性ぐらいでしょう。
本当に無駄にスペックが高いのは、なんとかならないものかしら?