第二話 有能過ぎる護衛騎士
「湯冷ましでしたか?」
「そうね」
それも勝手知ったかのようにキッチンでお湯を沸かす護衛騎士のグラヴァート卿。それは護衛騎士の仕事ではありませんよ。
時々、貴方の仕事は何かと問いかけるのですが、堂々と護衛騎士だというのです。それは侍女や侍従の仕事ですわよ。
「ここも撤収しないといけないわね。色々中途半端になってしまったけれど」
私は戸棚に並べられた整理された書類の数々を見ながら言う。私は色々悪く言われていますが、皇妃としての責務を全て放棄していたわけではありません。
これはその成果と今やりかけていることが戸棚に並べられています。
この帝国の問題は大きくなりすぎてしまったことです。一つは食料問題。一つは少数部族への対応。一つは皇帝の力の無さ。
まぁ、他にも色々ありますが、大きくは三つに分かれています。
あの皇帝。時々私の言ったことを半分も理解していないときがあるのです。しかしふとした瞬間にとんでもない良策を口に出すのです。
なんというか人間性にブレが見えるというか、迂愚を演じて内部の敵を炙り出そうとしているのか知りませんが、宰相がしっかりとしたお方なので、帝国は回っているという具合です。
今は食料問題を手掛けているところでしたが、一年二年で解決する問題ではありませんので、これも仕方がないこと。この資料は全て宰相閣下にお渡ししましょう。
「どうぞ」
ダイニングテーブルの上に、透明な液体が入ったティーカップが置かれました。
「ありがとう」
「礼など勿体ないお言葉」
「これは、貴方の仕事ではありませんから礼ぐらい言いますよ」
するとティーカップを手に取ろうとしていた、右手を掴まれてしまいました。
「私にだけ優しいアンリローゼ様を一人占めできるのであれば、これぐらいいくらでもいたしましょう」
……こういうところがなければいいのです。真面目に仕事だけしていればいいのです。仕事だけを。
私は左手で右手を掴んでいる手をはたき、解放された右手でティーカップを手に取ります。
「私は優しくはなくてよ」
人肌ほどの温度になったお湯にほっとため息がでます。しかし、本当に困ったことになりましたわ。
「それで今後の予定はどうなっているのかしら? メリーエディラ皇妃のお披露目は、夏にある建国記念パーティーだとすると、あまりよろしくないのではなくて?」
「ご自分の進退より、メリーエディラ側妃のご心配ですか?」
「あら? どうせあの女のことですから、直ぐにでも出ていけというのでしょう? それよりも次の建国記念パーティーでお披露目を予定していた第五側妃の件がうやむやになると、困ったことになるでしょう?」
次に迎える第五側妃は、少数部族の中でも力を持っているデライラ族の族長の娘なのです。そしてデライラ族が生産している布を取引しようという話になっていたのですが……それをあの女に潰されてしまったら、今までの苦労が水の泡になってしまいます。
「そうですね。その前に行われる、皇妃が祭主を務める水神祭にしますか?」
「水神祭ね……水が冷たいとか文句を言って第三側妃のカトリーヌ妃に回しそうね」
その昔、水神であるアッカードという神を怒らせて、辺り一帯を水没させたとかなんとかという神を鎮める祭があるのです。それの祭主は高位の女性と決められているのです。
ただ、皇都内にある水が湧き出ているところに、入っていかないといけないのです。それも初夏にあるのに水がかなり冷たい。
足首までですが、あの女は絶対に入らないと言いそうです。
「ではお披露目パーティーを準備させましょうか」
「その方が無難でしょうね」
第五側妃の件を潰されるよりは、多少の予算を使ってお披露目パーティーを用意した方がいいでしょう。
私は早速そのことを宰相に伝えるべく、要望書を書いていきます。
「それでアンリローゼ様のことは、お聞きにならなくてよろしいのですか?」
「構わないわ。これを宰相セルヴァンに渡してきてもらえる?」
私はささっと書き上げた要望書をグラヴァート卿に渡した。これで取り敢えず……グラヴァート卿をこれで追い出せる。
「かしこまりました。外にいる者に任せますね」
「私はグラヴァート卿に頼んだのですよ」
私は笑みを浮かべて言う。早く出ていけ。
「これぐらい部下に仕事をさせませんといけませんからね」
「あら? 何度も言っているけど、他の護衛騎士をこちらによこしていいのよ?」
「何度も言っていますが、それは駄目ですよ」
それだけを言って、グラヴァート卿は私の仕事部屋を出ていった。
あのように言ってきたということは、ここにいる時間もあまり残されていないということでしょう。
今のやり取りを見てわかるように、グラヴァート卿は護衛騎士という立場ですが、政治にも口を出せる立場であることが見て取れます。かなり中枢に意見を言える立場。いいえ、皇帝や宰相に意見を直接言える立場ということが厄介ですわ。
くっ。私の今の状態を悟られるわけにはいきません。ということは、逃げ出す隙は一つしかない。
別に私がこれからどうなろうと、私が行う行動は変わりません。
この状況から逃げ出す。帝国の手が届かないところまで逃げる。
鍵はどうグラヴァート卿の目をかい潜るかです。
「ふふふ。でも、これで長年の夢が叶いそう」
もう水になってしまったティーカップの縁を指でなぞりながら、嬉しさのあまり思わず言葉が溢れてしまった。
「アンリローゼ様の夢とは何ですか?」
「戻ってくるのが早いわよ」
グラヴァート卿が私の独り言を聞いていた。宰相に直接届けてくれて良かったですのに。
「アンリローゼ様の夢とは何ですか?」
「しつこいわよ」
「可愛らしい笑顔のアンリローゼ様を見られたから、あとで聞くことにしましょう」
なに? 後でって。結局聞き出そうってことなの?
「皇帝陛下から最後の晩餐を共にと伝言を賜っております」
「縁起が悪いわね。お断りよ。よっぽどではない限り、陛下とともに食事は取らないと言っていたでしょう」
最後の晩餐って、私へのいやがらせかしら? それにあの女も一緒ってことでしょう? だったら、お二人で仲良く御食事をされればよろしいですのに。
「そもそも私に冤罪をかけておいて、どういうことですの? 私のことなど捨てておいてよろしいですわ」
何でしたか? 私に色々罪状を言いつけて、今までの皇妃として帝国に仕えてくれた貢献を考慮して、目の前のグラヴァート卿に降嫁することで、全てを帳消しにしようとするでしたか。クソですわ。
全て冤罪。そしてシャルレーン聖王国でも嫌われている王女であるがゆえに、シャルレーン聖王国から文句がこないだろうという打算。
「それは以前の取り調べの時にアンリローゼ様の無実の証明ができなかったからですね。だから、お出かけするときは、私だけでもお側においてくださいと何度も申していたではありませんか」
グラヴァート卿の言葉に私はそっぽを向きます。それはできないことでした。
「冤罪だと言っていますが、陛下の命令を否定はしておりません」
「それはアンリローゼ様と私は相思相愛と」
「全くそんな意味では言っていません。それから晩餐には出ないと陛下に伝えてほしいわ」
どこから相思相愛という言葉が出てくるのですか。思わずため息がこぼれ出てしまいます。
そして立ち上がって、戸棚の扉を開けました。宰相に引き渡しするものを選別しましょう。最後の晩餐ということは翌朝には出ていけということでしょう。やはり残り時間が少なかったようです。
引き渡し資料は食料問題が中心になりそうですわね。世界中からこの帝国の気候でも育てられる作物の調査。実際の作付けから収穫までのデータですね。
品種改良まで手が出せる時間がなかったのが残念です。
「何かお手伝いしましょうか?」
「陛下に私が晩餐に出ないと伝えることが今、貴方のすべきことです」
「残念ですが、晩餐を共にとることは皇帝陛下からのご命令です。そして、これは皇妃として最後の務めでもあります」
そうですか。最後の務めですか。……あ、いい案が浮かびましたわ。ふふふ。
「……わかりました。出席はすると伝えてください」
「かしこまりました」