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短編集

問わず語りの星くずの

作者: 古都ノ葉

 その砂漠はその名前の通り漠と広がった砂の海だった。風紋は波の形をなし、誰も見たことがない岸に向かい流れてゆく。どこまでも続く砂の合間に仏塔跡が島のようにぽっかり浮かんでいた。侵食され、もはや乾いた岩のようにたたずんでいるものもある。熱砂は音ではない音を立てる。思い出したように静かに、時を刻む。

 そこには白く枯れた木の破片が突き出たように散らばっていた。

 しかし目を凝らすと死者の骨がボロを纏って埋もれているのがわかるだろう。ぽっかりと開いた眼窩が虚ろに宙を見ているのを知るだろう。

 ここ〈乾いた河〉と呼ばれる地域では「枯骨を以て道標となす」という言葉があった。

 この骨の持ち主も昔は健脚を誇った若者だったのだろうか。

 死に場所と決め、あえて旅立った老人だったのだろうか。

 今となっては知るよしもない。

 熱砂の中に埋もれ、カサカサと朽ちていくのを待つばかりだ。

 願わくば故郷の

 故郷の――

 せめて風が頭上に吹くように。




 数日吹き荒れた熱風が収まると、オアシス―わずかな木陰と井戸の周りにできた集落―は活気づいた。

 しばらく途絶えていたキャラバンが到着するとまた水売りの声が響く。

「安いよ、安い。命の源だよ」

 やはり一番元気なのは食べ物を売る場所だ。

 水、山羊の乳、肉、野菜、果物。そして酒。

 服、アクセサリー、蝋燭(ロウソク)、いつの年だかわからないカレンダー。

 七色の布。

 七色の声。

 磁州窯、定窯、龍泉窯、元青花。

 この砂漠のどこにこれだけのものがあるかと不思議なぐらい店が並ぶ。

 地面に直接布を敷いたものから日除けに天布を張ったものまで東西南北の人種がつどう。

「いらっしゃい、いらっしゃい。ここには何でもあるよっ。赤ん坊から年寄りまで満足さっ」

 緑灰色の目の歯欠けた女が勢い良く呼びかける。

 まるで明日がないように。

 まるで今日しかないように。

 砂漠に棲む精霊は寂しくなると熱波を呼ぶ。

 嵐は砂を巻き、目を塞ぎ鼻を塞ぎ息を奪う。

 後には道標がひとつ増えるのだ。

 仲間が一人増えるのだ。

「いらっしゃい、いらっしゃい。ここには何でもあるよっ。赤ん坊から年寄りまで満足さっ」




 夕方の風が吹き空に星の気配がする頃、一人の男がこのオアシスを訪れた。

 分厚い羊の皮のフードを頭から被るが、まだ若い男のようだ。

 肩からは麻で編んだ大きな袋を下げている。

 荷物も男も砂にまみれ陽に晒され白く乾いている。

「あんた一人かい?」

 店じまい途中の老婆がお節介そうに声を掛けた。

「ラクダもなしにここまで渡って来たのかい?」

「奴もメシを食う。水を飲む。余計な荷物が増えるだけだ」

 男は強い南の訛りがある。

「――馬が欲しい。ここにあるか?」

「馬?」

「ブズカシで使う」

 男は馬を使う競技のひとつを口にした。村単位で戦うことが多く、そこに出ることは名誉とされる。

「あいにく馬喰はこのオアシスにはいない。馬具屋はいるけどね」

 老婆は顎で隣の親父を指した。

 ターバンを巻き、顎鬚(あごひげ)を長く伸ばした初老の男だ。

「懐かしいのぉ、わしは昔〈ブズカシ〉の戦士じゃった」

 初老の男は聞かれもしないのにそう言った。

「それが今じゃ鐙や鞍を売る商売さ。手綱や馬銜(はみ)は手作りさ。それでもブズガシに出た誇りにかけて馬売りの〈馬喰〉はやらねぇ」

 顔に刻まれた皺が微かに歪む。

 陽にやられ白く濁った目が広がる砂漠を見つめる。

「子牛を取り合う遊びといえば遊びじゃが、生きる源である力が試される。ブズカシに使う馬はたてがみは膝まで伸び、尾は地面に届くほど長く、蹄は升のようで一日に千里を行くのがええ」

 映るのは若き日の思い出か。

 それとも現実の重さか。

 初老の男は砂の海を見つめながらぴくりとも動かなかった。

「俺はその馬を探して南から来た。部族の馬が砂にやられた」

 旅人はぽつりとつぶやくと小さなため息をついた。

「ふむ。ここじゃ無理だが、もう少し西のオアシス近くに汗血馬(かんけつば)がいる。売るかどうかはわからんがワシが紹介状を書いてやろう」

「すまん」

「なぁに。あんたは部族代表なんじゃろ。手ぶらで返しては〈乾いた河〉のオアシスが泣く」

 話が終わるとすぐ後ろから娘が寄って来た。

「こんばんは、旅人さん」

 娘は金の刺繍の入った赤い民族衣装を着ている。

 アーモンドの瞳をくっきりと際立たせた化粧からはまだあどけない匂いがした。

「わたしの夢の話を聞きたくなあい?」

「――夢?」

 久しく聞かない言葉に男は耳を傾けた。

「そうよ。きのうみたの。空に鉄の塊が飛び、地に鉄の塊が走り、水に鉄の塊が浮かぶ夢」

「あはは。やけに鉄が好きなんだねぇ」

「そんなわけなかろうが」

 年寄り達はカラカラと笑った。

 ありえない話だ。

「空にあんな重いものが行くハズはないし、水じゃ沈んじまう。馬やラクダじゃあるまいし、鉄がワシらの言うことをきくか?」

「だって夢なんだもん仕方ないじゃない」

 娘はぷくりと頬を膨らませ彼らを睨んだ。

「……面白そうだな」

 しかし彼は興味を示した。

「でしょ、でしょ。じゃあ来てよ。わたしのテントには寒い夜に温まる毛布もあるの」

「毛布はいらないんじゃないかぁ?」

 周囲は意味ありげな笑いを浮かべた。

 明るい笑みだ。

 ここ〈乾いた河〉ではいくらかの金と血の濃さを調節するために旅人は歓迎される。

「わたしの名前はホンシャン。紅の山という意味なの」

「俺はチャパンドゥー。騎士という名だ。接待はいい。ただ話が聞きたい」

「夢の?」

「俺の部族に古くから言い伝わることがある。昔――まだ大地が緑と水で満ちていた頃、自由に操れる鉄の乗り物があり、人々はそれを使い世界の隅々まで行けたと」

 旅人は暗く染まった空を見上げた。

「不思議な伝えじゃのぉ」

「カミサマでもあるまいし、そんなこと人間ができたら世も終わりじゃ」

 また笑いが混じった。

 明日も晴れるだろう、天には星が瞬いている。

 確かに口伝ではそこで世界は終わったとなっていた。

〈カク〉という戦争が始まり、〈ブンカ〉は崩れた。人口は百万分の一に減り、果てまで砂で覆われたというのだ。

 誰も口伝など信じてはいない。

 彼もまたそうだ。

 老人の言う通り、重い鉄が浮かぶはずがない。血肉の通っていないものが動くはずがない。

「明日、良い馬が手に入るように祈ってくれ」

 旅人は微笑みながら娘の手を取った。


読んでいただきありがとうございました。


一瞬一瞬過去になり、未来は後ろへと流れてゆく。

時々、私はどこを漂っているのかなという気持ちになります。

なんか、ね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画より拝読いたしました。 ブズカシってなんだろうと動画を見てみましたが、凄い競技ですね…… 戦争で荒廃したあとの世界という設定は他でもチラホラ散見される設定ですが、所々分化が残っている…
[良い点] 描写と、独特のリズム。上質の音楽を聞いているみたいでした。 [一言] 企画から参りました。 カクによっていつ破壊されるとも知れぬ世の中の片隅でこの短編を拝読しました。改めて私たちは不安定…
[良い点] その光景が目に浮かぶような、砂漠の描写に引き込まれました。 圧倒的で過酷な自然の中で、それでも水のあるところに集まって生きる人々のたくましさが伝わってきます。 ブズカシという言葉に惹かれ…
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