5.愛が消える
『ああそうなのね…』と思った。
ただそう思っただけ。
そこに負の感情は一切浮かんでこない。
不思議と怒りも湧いてこないし、悲しいとも思わない。彼を呼び止めたいとも、罵倒したいとも思わなかった。
あれほど夫を愛したいるからこそ悩み苦しんでいたのが嘘のようだった。
なんだろう、この気持ちは…。
絶望なんてない。
悔しくもない。
…なんて言えばいいのだろう?
そうか…私『どうでもいい』って思っている。
愛する夫が一瞬で『どうでもいい存在』になる。自分でも不思議な感覚だった。
長年連れ添った妻の言葉を最後まで聞かずに知り合って間もない新人を守ろうとしている。
それもただの新人ではなく、浮気相手のことを…。
私にバレていないと思っている彼にとっては大切な同僚を守っただけかもしれないが。
今日も浮気相手を屋敷に平然と招いて何も知らない妻である私にもてなさせていた。
当たり前のように…、笑いながら…。
『今日はみんな喜んでいたよ、また頼むな』って見送りながら言っていた夫。そのみんなの中に浮気相手もいるのに悪びれている様子は一切なかった。
どうしてあなたは笑っていられたの?
いつもと変わらずに…。
罪悪感はなかったの?
こんな真似をして。
良心が痛まなかったの…。
妻である私のことを少しも考えなかったの?
それとも私に向ける気遣いは必要ないのかしら…。
どうせお気楽な妻だから。
私にはなにもバレていないと思っている夫。
だから平気で浮気相手を同僚として呼ぶし、仲間として庇う。
すべてが分かるとその行動は気持ち悪かった。
ただ気持ちが悪いだけ。
その感覚が、その行動が、全てが…。
人としてありえないと思ってしまう。でもそこには夫への想いはもはやなかった。
人としてどうなのかという思いだけ。
彼の気持ちは理解出来ないし、理解したいとも思わない。
ああ…でも彼の気持ちで私にも一つだけ理解できることがあった。
それは人の気持ちは簡単に変わることが出来るということだ。
――私の気持ちも一瞬で変わった。
今までは私の夫への愛情は永遠だと信じていた。
だからこそ夫の異変に戸惑い悩み必死に信じようとしていた。
どんなに彼に対して疑念を持っていた時も愛がなくなることはなかった。
そんなこと考えたこともなかった。
彼への愛はあって当たり前のもの、幼い時から築いてきた絆は永遠だった。
私にとっては…。
それが夫の発言を聞いた後、一瞬で消え去ってしまった。自分でも驚くほどあっけなかった。あれほどの絆、想いがこうも簡単に崩れ去っていくなんて…。
今の感情を上手く言葉では表せない。
逃げているわけではない。
本当にさっきまであったものが突然消えただけ。
喪失感もなければ未練もない。
この感覚は…不思議と辛くない。
だから彼を罵ることも責めることもしなかった。
それらをするということは少しでも愛情が残っているからこそできる行動だろう。
私にはもうその愛情がない。
だからする必要のない、いや出来ない行動だった。
夫を見る目が冷めてくるのが分かった。
あれほど夫を愛していたゆえにぐちゃぐちゃだった心が嘘のように静まっていく。
愛という想いが消えれば楽になった。
もう私は彼をどんな風に愛していたのかさえ分からない。
夫を愛する気持ちが一瞬でなくなり、夫の心変わりが理解できるとは皮肉なものだ。
なんだかおかしくて笑ってしまう。
人の心は些細なきっかけでこんなにも変われるものなんだと知った。
それなら彼が他に愛する人を見つけたのも仕方がないことなのかもしれない。
…素直にそう思えた。
もう何も悩むことはない。
ただこれからのことを考えて行動していこう。
考えるべきことは大切な息子ライと自分のことだけでいい。
それ以外はどうでもいいだろう。
もう私は夫トウイを大切にしなくてもいい、浮気相手が大切にするだろうから。
彼が今の幸せを自ら捨てたのだから、これから私がこの偽りの幸せを捨てても問題はないだろう。
私はこれからの為に自分が出来ることを始めることにした。息子と二人で幸せになる道を進んでいく為にやらなければならないことはたくさんある。
読んでいただき、有り難うございます。
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