4.夫の異変②〜妻視点〜
それは我が家に夫の同僚達とその伴侶を招いて食事会をしていた時のことだった。
大人数だったので屋敷の庭で立食という形だったが、和気あいあいとした雰囲気で料理の評判も上々だった。私は料理や飲み物を追加で出しながら、夫人達と他愛もないことで笑い合ったり初対面の人に挨拶をしたりと忙しく動き回っていた。
そんな時に一人の小柄な女性がこちらに向かって歩いて来るのに気がついた。
彼女は騎士服を纏っているので、妻としての参加ではなく同僚なのが分かった。見た目は若く初めて見る顔だったので新人なんだろうと思っているとその女性騎士は私に話し掛けてきた。
「初めまして、アローク副団長の奥様ですよね?私は新人のアマンダ・ドールと言います。副団長には日頃からいろいろとお世話になっております」
「こちらこそ夫がお世話になっております、妻のエラです。女性なのに騎士団で活躍しているんですね。大変なことも多いと思いますが、これからも頑張ってください」
新人騎士が上司の妻に挨拶をすることはおかしな事ではない。でも彼女の勝ち誇ったような顔は上司の妻に見せる顔ではなかった。
言いしれぬ不快感を抱く。
それでも夫の同僚だからとにこやかに対応した。
すると彼女は私に近づき耳元で囁くように話しを続ける。
「そうなんです、男ばかりの騎士団では大変なことばかりで…。でも副団長はいつも私の相談に乗ってくれて本当に助かっています。沢山いる新人の中でも私だけを温かい眼差しで見守ってくれるので、心強くって。ふふふ、副団長は本当にいろいろと優しいですね。
あっ、そういえばこの前上着を間違って着てしまったことがあって、私の香りが付いたかと気になっていたんですけど…。ふっ、奥様、変な誤解しちゃいましたか~?」
優越感に満ちた表情を浮かべてそう言う彼女からは夫が遅くなった日に纏っている香りと同じ臭いがした。
ああ彼女がそうなんだと分かった。
嫌な臭いに吐き気が込み上げてくるが平気なふりをする。気づいていないふりをする。
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
それだけ言うのがやっとだった。
私に向けてわざわざそんなことを伝えてくるアマンダ・ドールの目的は明らかだった。彼女は夫を奪おうとしている。だから妻である私に宣戦布告しに来たのだ。
彼女は『これからもよろしくお願いします、奥様。うっふふふ』と笑いながら離れて行った。
そして何事もなかったかのように近くにいた同僚騎士達との会話に加わり楽しそうにしている。
その中にはもちろん夫の姿もあった。
夫は彼女の存在に慌てることなく平然としている。
お互いにただの同僚騎士としてこの場を楽しんでいるようにしか見えない。
もしかして彼女の一方的な思い込み…?
部下への優しさを愛情だと勘違いしている…。
そんなふうにも思えてくる。
普通なら浮気相手を妻がいる家に招くなんてことをするのだろうか。
…するはずはない。
限りなく黒に近いけど、夫の態度は彼女を前にしても変化はなかった。
もしかして彼女の嫌がらせかと思い始めたその時、見てしまった。
二人が周囲に気づかれないようにそっと一瞬だけ手を絡ませた瞬間を。
――揺らいでいた疑惑は確信へと変わった。
怒り、絶望、喪失、悲嘆、困惑…あらゆる負の感情が心を渦巻く。
自分がこれからどうしたいのか、どうするべきなのか…。考えなくてはいけないことがあるのに考えられない。
人は許容できない衝撃を受けると思考を停止するようだ。
その後はどんなふうに過ごしたのか記憶は曖昧だった。気づけば食事会も終わり片付けも終えて夜になっていた。
…疑惑が疑惑のままで終わらずに真実になってしまった。
もう辛い現実から目を逸らせない。
これからどうしたいのか考えは纏まっていない。だが意を決して私は夫に彼女のことを切り出した。
「ねえあなた。今日来てくれた女性騎士のアマンダさんとちょっと話したの。初めて会ったけどなんだか感じが悪い態度を取られたわ。彼女はね、私に向かって――」
今日彼女との間であったやり取りをすべて伝えてから話し合おうと思っていた。
自分自身がどんな結果を望んでいるのかも分からないけど、兎に角このままなかったことには出来ない。
この時の私は前向きな話し合いをしたいとまだ思っていた。
だが彼は声を荒げて私の言葉を途中で遮ってきた。
「エラ、そんな言い方は良くないぞ。感じが悪いってなんだよ、彼女は素晴らしい人だ。
男性ばかりの騎士団の中で必死に頑張っている女性だ。伯爵令嬢という身分なのに平民騎士とも気さくに付き合う素晴らしい仲間だ。体力は男に敵わないけど負けたくないって言いながら影で必死に努力しているんだぞ。それなのになにも知らない君は一回会っただけで勝手なことを言うな。
彼女は養って貰っているお気楽な奥様とは違うんだ。女性が騎士として働くことは君が思っている以上に大変なことなんだよ、なめられない様にわざと乱暴な口調で話すことだって必要なんだ。
まあ、外で働いた経験がない君が知らないのは仕方がないけど。
もうこの話は終わりだ、エラ。先に寝るぞ」
言いたいことだけ言うと彼は部屋から出ていった。私がどんな顔で彼の言葉を聞いていたか見ることもなかった。