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突然冷たいものが顔に降りかかって僕は意識を取り戻した。
周りを確認すると、精霊樹の側で僧兵たちに囲まれているようだ。
「目を覚ましたか」
「どうしてこんなことを?」
殴打して気絶させたくせに、水をかけて無理矢理起こしてくれたらしい。
「嘘つきには罰を与えるものだ」
「嘘とは?」
男は僕の目の前にラルワが入ったランタンを置いた。
「怪物はここにあるじゃないか。こっちはあのゼノの女首長が怪物を手に入れていないことを確認して上でここに来ているからな、お前の嘘などすぐに分かる」
男の話を耳に入れるのだが、頭ががんがん痛くてまともに思考が纏まらない。
気づけば後ろ手で縛られ、足にも紐が結ばれていて僧兵の誰かがその先を握っている。これでは逃げ出すのは困難そうだ。
「これをどう使うか教えろ」
「僕に使用権は無い。使い方はドゥリ様に聞けばいい」
ラルワが僕たちに火をくれるのはあくまで、お願いであり、ラルワを従わせているからではない。
「そうか。おい、こいつを連れて行くぞ」
「僕を連れて行ってもなんにもならない」
「ドゥリを脅すくらいには使える」
人質にされるとは。こんなことなら、ソラヤの言う通り一緒に地下を通ってマキナ国を目指す方が良かったかもしれない。
雑に立たせられ、首に縄をかけらる。これではまるで奴隷だ。
頭が割れるように痛むのに、首の紐を引っ張られて首まで痛い。最悪だ。こんな状況でこの橋を渡るつもりではなかったんだ。
アン・ローレとククとキュフとロアとソラヤと次の目的地がどんなのだろうか、と予想しながら楽しく渡るはずだった。
きっとまたソラヤとキュフは橋が揺れてギャーギャー騒ぐんだろうな、とか妄想していたのがバカみたいじゃないか。
渓谷の風が僕の髪も服も吹き飛ばそうとする。冬の冷たい風と、真下には流れが激しく、幅の広い川。
僕は橋を渡り終え、後ろを振り返る。僕が足を止めるので、僧兵たちが怒り出したが、気にならない。
「副班は戻って村の土を掘り返せ。ゼノの宝を探すんだ」
「……今、なんて?」
決めたはずだ。旅に出るのならば無力なままでいるのはダメだと。僕を必要としてくれた彼らの為にこの力は使うのだと。
でも、僕には託された役目がある。それは必ず守らなけらばならない。
僕が橋の降り口で立ち止まり、僧兵たちが引き返せないように通行の邪魔をする。
「何をしている。さっさと歩け」
「何って、決まっている。橋を燃やしているんだ」
ラルワの火なら山火事になってしまうかもしれないので、僕のありったけの魔力で火を熾す。
「なんだと?」
橋にはまだ渡っている途中の兵士もいるが、そんなことは知ったことではない。僕が技を使うと橋が煙を上げ始め、そして橋全体に火が伸びた。
お願いだから僕の火で橋よ落ちてくれ。
古の大遺産であるこの橋は僕のような弱い魔法ではなかなか落ちず、諦めかけた時、ランタンから小さな火の粉が音もなく飛んで橋に落ちた。
「火が強まったぞ。早く渡れ!」
橋が丸ごと火に呑まれ、メラメラと巨大化し、橋をバチバチ焼き潰す音がする。
手すりが崩落すると僧兵が悲鳴を上げる。そして橋が崩れかかった時、僕のもとに偉そうな男が走ってきて僕の胸倉を掴んだ。
「怪物を使えるんだな」
「使っていない。雷でも落ちたんだろう」
「嘘を吐くな!」
なぜか男は激高していて、怒りを発散するように僕を袋叩きにし始める。このままではまた気絶してしまう。その前に火を消さなければ。
僕は連続の痛みに襲われる中、橋の火を消すと、ぶちんと意識が千切れたように、落ちた――――。
僕は心のどこかで願っていたのかもしれない。ある日誰かが現れて、君が必要だと手を差し伸べ、この小さな村から連れ出してくれることを。
そんな外の世界へ連れて行ってくれる手を心の奥底で求めていた。
揺り起こされ目を開けると、全身に痛みが走り回り、疼きに耐えられず呻き声が漏れる。
「大丈夫ですか?」
霞む視界の真ん中に人が見える。色白の肌をした顎の細い優し気な目の男は、歳は僕より少し上くらいだろうか。
「私が見えますか?」
「……見える」
僕が体を起こそうとすると、目の前の男は動かない方がいいと制止した。
寝台に寝かされていて、薬品の匂いがするからここは病院のような所だろう。
「自分のお名前は言えますか?」
「エ、エルフェ」
口の中も切れているようで、喋ると血の味がするし、上手く喋られないので顔が腫れているのかもしれない。
「エルフェさん、貴方は大怪我をしてここにいます。しばらくはここで安静にしてもらいます」
「ここ、どこ?」
「ここは、……病院です」
僕は地名を聞いたつもりだったが、男は場所だけを答えた。
「ラルワはどこに」
「すみません、私にも分からないんです」
男は立ち上がると、側に置いていた湯飲みを手に取り、僕の飲ませようとする。
「その男、やっと目を覚ましましたか」
部屋の入り口で誰かが立っている。その男はおそらく僕をここに連れてきたあの、暴力的な男だ。
「なぜ暴力行為を働いたのですか。危うく彼は死ぬところだった」
そんなに酷い怪我なのか。確かに手足にも力が入らないし、腹部にも重い痛みがのしかかっている。
「軍には規律というものがありますので、私のやり方で連行してきた次第です。では、彼の事はお任せします。ニトーシェ様」
男が扉を閉め出て行くと、隣でため息がこぼれた。
「あ、貴方がニト様?」
僕は記憶の中で彼をそう呼ぶ女性の姿を思い出していた。砂色の髪がふんわり靡いて、歌の下手な男装の彼女。
ニトーシェと呼ばれた男は僕の顔を覗き込むと、驚いた表情でこう質問した。
「ソラさんですか?」
その質問に頷いて答えると、ニト様は目に涙を浮かべて口をへの字にした。
てっきり旅に出た懐かしい人の無事を知って安心の涙なのだと思ったが、どうやら違うらしい。
「私はソラさんに謝らなければならないようです」
ごめんなさいと泣き始める男にどんな言葉をかけていいのか、全く分からない。
僕は彼が泣き止むまでただただ天井を眺めていた。そして叶わなかった夢を思い出して、目頭が熱くなっていく。
「謝りたいのは、僕の方だ」
瞬きをすれば涙がこぼれそうなので、必死にこらえ、奥歯を強く噛みしめる。
共に旅をする約束をしたのに破った。彼女たちを守ろうと誓った決意を失くした。ラルワを誰にも渡さないという思いを無にした。
すべてに謝りたい。無力な僕のせいだ。
「エルフェさん、必ずここから逃げましょう。私と」
「私と?」
その言葉は希望かまたは破滅なのか。
『月光のごとく淡色の希望に、眩しいと微笑む子は、ゆらゆらと闇色の手に曳かれ、足を踏み外す』
フロリスタの残した言葉がいつまでも頭の中で消えないでいる。
文字好きの彼は僕に言葉の正しい使い方を何度も教えた。
その上、ラルウワ達にまで言葉を教え込んだ程の熱心な男は、僕にもしつこいくらい指導をした。
満月の夜、今日も二人で夜更かししながら言葉の勉強だ。
もう眠たいと教科書を放り投げた時、彼は突然、自分の子どもが生まれたら僕の名前を付けるのだと言いだした。
唐突にどうしたんだろうと思ったが、彼なりの息抜きさせるための雑談なのだろうと、話に乗ってみることにした。
こんな僕の名前など子どもに悪いから止めるように、と少し笑って軽く答えると男は眉間に皺を寄せて、僕に人差し指を向けてくる。
「親友の名を付けて何が悪い。き、君も、私の名前を子どもに付けてもいいのだぞ」
なんて、真面目な顔で言うので、僕は口を開けてあっけらかんとしてしまった。
こっちは至って本気だと胸を張って言うものだから、もし娘が生まれたなら「フローラ」にでもしようかな、と思いついた名を口にする。
すると彼はハニカミながら僕の肩を叩く。
「花という意味だな。うん、私のお蔭で君も言葉のセンスが良くなった」
などと嬉しそうに胸を張るのだった。
僕はこの約束を守れなかったが、きっと生真面目なあの男の事だから、約束通り僕の名前を我が子につけただろう。
フロリスタの子どもにはここで謝罪したいと思う。
本当にごめんね。
エアルの手記より