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幽谷を閉じる人(S-07)  作者: 橙ノ縁
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 幼馴染の女の子が一人いた。彼女は僕より二つ年上で、活発な明るい人だった。

 彼女からは計算の仕方や、湧き水の場所などいろんなことを教わって、姉のように慕っていた。

 図書館中央の天窓の下に置かれた長椅子に二人で座って、一日中本を開いて語り合い、本に飽きたら今度は山に分け入って、昆虫を捕まえたり、花を摘んだ。

 ソラヤがここに来てから、幼馴染の事ばかり思い出す。特に似ている所がある訳ではないが、彼女と同じように僕を「ルーフェ」と呼ぶからだろうか。

「二人とも、もう遅いから寝た方がいい」

 居間でランプの灯頼りに本を読む二人を寝室へ行くように促すが、彼らの服の下には本が隠されているのがはっきり分かっていた。

 寝室のランプは火が弱いから本を読むには不向きだろうからすぐ寝るか、と思ったのは甘い考えだった。

 庭に塵をまとめた袋を置くと、二人の寝室の窓掛けの隙間から光が漏れているの気づいた。それもランプのような淡い光ではなく、もっと強い白い光だ。

 僕はすぐに彼らの部屋をノックする。が、返事が無いので、扉をゆっくり押し開いた。

「どういうことだ?」

 部屋の中では昼間のように明るい光が溢れていて、その光は寝台と寝台の間の机の上に置かれたランプから発せられているようだった。

「ごめんなさい。すぐに寝るから。ね、ソラヤ」

「つい続きが気になってしまって。明日にします」

 急いで本をたたむ二人だったが、僕が驚いているのはそこではない。その明るすぎるランプの事だ。

「それはもしかして、ランタンか?」

 僕は眩しい光に目を細めながら、ランプに手を伸ばす。

「はい。そうなんです」

 ランテルナが姿を消したと言われる中、こうしてランテルナの祝福の灯を持つ人が存在するとは思っても見なかった。

 それに僕自身、ランタンを始めて見たのだった。

「記憶の無いソラにとっては唯一の手掛かりなんだ」

「君も記憶が無いのか?」

 記憶喪失という病気になる人がいるという事は知っているが、とても珍しい事例であり、そうそう出会えるものではないと聞いていた。

 そんな珍しい症状をもつ人間が二人もいるなんて。

「共通点があったので、一緒に探すことにしたんです」

 家系図を見て羨ましいと言った理由はこれだったのか。

「苦労しているんだな」

「そんなことはありません。こうしてランタンに名前も書いてあったので、自分の名前も分かりましたし」

 ソラヤがランタンの下部を指で示す。そこには「ソラヤ」と女性の名前が記されていた。

「覚えていたわけではなく、そこに記されていたから、自分がソラヤだと思ったのか」

「ルシオラの里の拍子様がそう言っていましたから」

 僕自身、ランタンを貰ったことが無いからよくは知らない。でも、ランタンに名前など刻むのだろうか、と疑問を持ってしまった。

「何か変ですか?」

 僕がじっとランタンを睨みつけているので、ソラヤが心配そうに眉を下げている。

「ほら、家畜とか飼い猫、飼い犬とかには首輪にそれぞれの名前を付けるから。このランタンの名前がソラヤなんじゃないかって思って」

 住人の少ない村育ちの人間は、自分の持ち物に名前を書いたことが無い。祖母は飼い猫の首輪に猫の名前を書いていて、祖母の名前は書かれていなかった。

「それは、生き物かそうではないかの違いじゃんないのかな?物には持ち主の名前を書くし、生き物にはその名前を書く」

 キュフの言う通り、ランタンはどう見ても物体で、生物ではない。

「キュフの言う通りだ。変な事を言ってごめん。忘れて」

 僕はランタンから目を離して、部屋をあとにする。ソラヤの表情が暗かったのは、僕が変な事を言ったせいだろう。また、明日謝ろうと思いながらランプの火を吹き消した。




 次の日は久しぶりに晴れたので、早朝から果物を収穫しようと山に入った。

 こんなに雪が降るくらい寒くても、この辺りの植物はちゃんと木の実をつけてくれるので有り難い。

 僕は籠を背負って木にのしかかっている雪を払い落としていく。そして黄色い果実を見つけると、籠に放り込んでいった。

 雪蜜柑と呼ばれる寒さにとても強い蜜柑で、雪が降る年ほど甘く育つ、僕の好きな果実の一つだ。

 少量の薬草を摘んで、家に帰ると家には誰もいなかった。

 アン・ローレさんはククを連れて運動してくると言っていたが、あとの二人はどこに行ったのだろう。

 僕は薬草を水で洗いながら、久しぶりの静寂に居心地の悪さを感じていた。

 水がちゃぷんと揺れる音すら大きく聞こえるし、暖炉にくべた薪が爆ぜる音にもびっくりする。

「独りってこんなに、静かだったんだな」

 慣れているはずだったのに、数日間他人と暮らしただけでこんなにも人と共にいる事の方に慣れるなんて。

 雪蜜柑の皮を捲って口に放り込んだその時、裏出口の扉が勢いよく開いて、忙しない足音がバタバタ鳴り響いた。

「ルーフェさん、帰ってますか?」

 慌ただしく走って来たのはソラヤで、僕を見つけると大股だ近づいて腕を掴んだ。

「どうしたんだ?」

「大変です。すぐに来てください!」

 こんなにも動揺するという事は、キュフが怪我でもしたのだろうか。僕は蜜柑を机に置いて裏出口から飛び出た。

 ソラヤは僕の腕を引っ張りながら図書館に入って行く、そして一階の一番奥の書だの前で止まった。

「どういうことだ?」

 生まれた時からこの図書館には出入りしているが、まさかこんな場所にこんなものが隠されていたなんて知らなかった。

 キュフが本を数冊抱えながら立ち尽くしている。

「本を抜いたら、急に棚が動いて」

 壁にしっかり固定されていた棚が動いている。しかも隣の棚の奥行分ちゃんと前に出て、右に移動しているのだ。

 そして背の低い石の扉がお目見えしている。

 埃がハラハラ舞う中、黒い煤のようなものも少量一緒に舞っている所を見ると、これは魔法がかけられていたようだ。

「こんな所に扉があるなんて知らなかった」

「ルーフェさん、扉を開けてみますか?」

 扉にはご丁寧に取っ手すらついている。この建物の建設過程で作られたものではないようだ。

 なぜか心臓が音を立てている。こんなにもドキドキしたのは椿獅子と遭遇した幼い頃以来だろう。

 僕は扉の取っ手に手をかけて、ゆっくり回すとガタンと鍵のようなものが外れる音がした。

 冷たい取っ手を丁寧に押し開くと、そこには暗闇に続く下り階段が見える。

「階段?」

「ルフェ、下りてみるの?」

 キュフが手にしていた本を近くの机に置いて、僕の袖を引っ張る。

「暗いし、灯が無いと進めないな」

「私のランタンがありますよ」

 彼女は四六時中持ち歩いているようで、肩さげの黒い布袋からランタンを取り出した。

「ランタンがあるなら、悪いようにはならないか」

 授けた人に幸福を与えるという祝福の灯なのだから、不幸な目には合わないだろうと信じることにする。

 僕はソラヤからランタンを借りると、階段を下り始めた。

 仄かにひんやりする空気に、湿っぽい匂いが混ざっている。階段は螺旋状になっており、ぐるぐる回りながら下っていく。

 目が回るような感覚と、行けども先が見えない不安感に冷汗が滲み始めた。

 引き返そうかと言おうとした時、ようやく終着地に辿り着いた。

「また扉だ」

 今度の扉は石造りは一緒だが、扉一面に文字が彫られている。

「古語のようですね。ルーフェさん何て書いてあるんですか?」

「……立ち入り禁止。今すぐに引き返せ」

 文字には続きがあるのだが、知らない単語で読み進められなかった。

「開けてはいけないと言われれば、開けたくなるのが人間だよね」

 恐ろしいことをいう少年だと思った。確かに禁止されれば背きたくなるのが人の常だけど、こんないかにも怪しい場所では素直に従った方がいいような気がするのだが。

「開けるんですか?」

「ここで止めても、気になっていつか開けに来るだろうから、今開けよう」

 一人でこの村に残ったら、きっとずっとこの扉の事を夢想し続けるだろう。一人で開けるより、三人で開ける方が心強いに違いない。

 僕は肩に入りすぎた力を息とともに抜くと、冷たい扉の取っ手を握った。

 そして力を込めて押すと、ビリっと稲妻のような光が僕の手を刺した。咄嗟に手を離し、自分の手を確認するが、どこも異常はない。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、きっと簡単に開けないように仕掛けが施されているんだ」

 罠を仕掛けるほどの何かがこの扉の向こうにある。

 もう一度扉を開こうとするが、小さな稲妻が手に刺さり続けるだけで、まったくビクともしない。

 ソラヤも開けてみようとするが、同じ結果でとうとう諦めるかと切り出そうとした時、キュフが取っ手に手をかけた。

 そしていとも簡単に開いてしまったのだ。

「開いたよ」

 書棚の仕掛けを解いたのもキュフで、この扉を開いたのもキュフだ。まるでこの少年を導いているのではないかと思えてきた。

 三人で恐る恐る中に入ると、そこは暗闇で何も見えない。入り口付近をランタンで確認すると、ランプなどを置く専用の燭台が見つかった。

 古い文献には、ランタンを入り口の燭台に置くという表現が良くされている。もしかしたらここに灯を置けば部屋中が明るくなるのではないか?

 僕は手で燭台に積もった埃を払い、そこにソラヤのランタンを置いてみた。すると、予想通りこの空間に設けられた燭台に次々に光が灯って、あっという間に明るくなった。

「なにこれ」

 キュフが目を奪われるのも分かる。この広い空間には数百、千以上のランタンが並べられていたからだ。

 形も大きさも様々な灯の入っていない空のランタンが置かれていて、まるでランタンの墓場のよう。

「全部灯の入っていないランタンですね」

 幾重にも棚が並び、そのどれも違う形をしていた。時代が違うのか、作った人が違うのか、それとも昔は皆違う形をしていたのか、謎は深まるばかりだ。

「でも、なんでこんな所に?」

「まるで、隠しているみたいですね」

 ソラヤの言う通り、廃棄として置いているというよりは宝物を保管しているかのように、綺麗に並べられている。

 最近ではランタンが珍しくなり、高値で売買されていると聞くがそのせいだろうか。

 そして順々に棚を見て回った先に、再び怪しい扉が見た。今度は簡単に開いてしまう。そして扉の外は、森の中だった。

「外に出ましたね」

 自分たちが出てきた場所を振り返ってみると、そこは断崖絶壁の岩場で、扉も蔦で隠されていたようだ。

「こっちに石碑があります」

 ソラヤが見つけた小さな石碑には矢印が書かれてあり、雪を払ってみると「マキナ国」という文字が古語で書かれていた。

「昔はこの道が使われていたんだ」

 タミア村はあの長い橋でだけ行き来ができると思っていたが、他にも道があった。

 石碑を見ていると、扉の向こうからキュフが僕たちを手招いている。

「ルフェ、読めない文字があるんだ」

 再び中に入ると、キュフは僕たちを反対側の奥へと連れて行く。

「この壁には何て書いてあるの?」

 行き止まりの壁には文字が刻まれていて、その文字の前には硝子箱に入れられたランタンが置かれている。硝子箱に入れられているのはおそらくこのランタンだけだ。

「ええっと、……君がここに戻ってくるのをずっと待っている。痛みを分かち合う友よ、その身に負った罪は罪に非ず。君がすべてに注ぐ救済なのだから」

 どういう意味だろう。

「これを書いた人は誰かを待っていたんですね」

「でも、その人は来なかった」

 ソラヤの隣でキュフが冷たい声を出した。

「なんで来なかったって分かるんだ?」

「なんとなくだよ」

 どこか確信めいた言い方に聞こえたが、僕の気のせいかもしれない。




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