ブンガク的に口説いて欲しい
「ねぇ、『文学』の定義って何だと思う?」
――学校の図書室、放課後。
書庫の整理をしている僕に、話しかける声。
「さぁ? 堅苦しくて難しいイメージかな?」
僕は気もそぞろにそんな風に答える。
「ううん、つまんない答えだなぁ」
彼女……綴織静音は失望したような声を漏らした。
「そもそも私は『定義』を問い質したのだけれど、君は『イメージ』で答えるのね」
僕……鵲喧次郎は、図書委員ではあるものの、べつだん『本』に詳しいという訳でもなければ、とくだん『本』が好きであるという訳でもない。
だから、取り立てて彼女の言葉に対して反発するでもなく、受け流す。
「そうだね。僕は文学の『定義』にはあまり興味がないし」
彼女は受付で誰かが本を借りに来るのを待ち受けつつ、図書館の本ではなく恐らく個人の所有物であろう可愛らしいブックカバーをかけた本を読み耽っていた。
お前も図書委員としての仕事をしろよ、と咎める気を失うくらい、毎度の事であるが。
「私が思うにね、文学というのは、難しい言葉や、持って回った言い回しや、気取った文体を必ずしも必要としないの。それこそ、ポップ・カルチャーに類するようなものも、私からすれば総じて『文学』であると言えるの」
何やら彼女の独自の定義論が展開されているが、僕はふーん、と聞き流している。
いつもの事だ。
彼女は極度の読書狂であり、言葉悪く言ってしまえば書痴というやつである。
当然の事ながら、文学の話となると、殊更に饒舌になる。
普段は物静かな文学少女の顔をしている彼女であるが、こうなると早口で捲し立てるオタクとあまり変わらない。
……まぁ、この言い方はやや『オタク』を露悪的に言い過ぎだとは思うけれど、何事にも熱中しすぎている人というのは、さして興味のない人間からすると鬱陶しいと感じるのは誰もが同じだろう。
「綴織の文学の『定義』は、とても懐が広いんだね」
僕は話が長くなると面倒なので、そんな風に阿ってみる。
「そうなの。本来はそうあるべきだと私は思うの」
嬉しそうに、手にした本の頁をめくる指もそこそこに、彼女は声を弾ませて僕の迎合に対して喜びを隠そうともしない。僕としてはただ彼女の意見に付和雷同しただけなのだが、自分の意見に普段からあまり同意してくれる人も少ないのだろう、彼女は必要以上に僕の言葉に気を良くしたようで、続けて語り始める。
「ねぇ、鵲くんはどんな文学が好き?」
僕は返答に窮する。
どんな文学が好きと尋ねられても、正直かなり困る。
僕が読んだ事のある『文学的』な本なんて、およそ教科書の域を出ない。
精々が、夏目漱石やら菊池寛などといった有名どころが限界である。
個人的に興味があって読んだ事のある幾つかの『文豪』の作品を苦し紛れに羅列していくが、彼女は『ううん、そういうことじゃなくてね』と食い下がる。
「だから、私は言っているでしょう。鵲くんが、ハイ・カルチャーにさして興味がない事くらい、分かっているの。でも、私の言う『文学』の定義を思い出してみて?」
僕はそう促されて、先ほどの彼女の発言を反芻する。
『それこそ、ポップ・カルチャーに類するようなものも、私からすれば総じて『文学』であると言えるの――』だっけか。
「……じゃあ、ライトノベルとかも、綴織からすれば『文学』なの?」
僕は恐る恐る訊いてみた。
そんな低俗なものを文学と同列に並べないで、とまでは言われないまでも、いえ、それはちょっと……くらいの手のひら返しはあるかな、と懸念したが、彼女はまるで違う反応を見せた。
「ライトノベル! 良いわよね、ラノベ。私も浅学ながら、何十冊かは所有しているわよ」
意外な発言である。何十冊?それは、お堅い文学少女がちょっとラノベも読んでみました、というレベルではない気がする。
「おっと、これは君の知識欲を侮っていたかな」
僕はそんな風に冗談めかして言ってみるが、彼女は違うわ、と答えた。
「知識欲というとお堅く感じるじゃない? 普通に、面白いから読んでいるだけよ」
へぇ、と僕はますます意外な気持ちになる。
彼女のような典型的な文学少女は古風な文豪の作品の、高尚な物語にこそ興味を覚えるものだという偏見があったからだ。
だから彼女のライトノベルに対する反応を聴いた途端に、彼女の風貌にもちょっと違った味わいを感じるようになる。
長く艶やかな黒髪、上品で清楚で物静かな立ち居振る舞い、化粧っ気の一つもない『典型的』な文学少女の姿に、僕は何やら親近感を覚えるのだった。
◆ ◆ ◆
僕たちは(正確には整理していたのは僕だけだけれど)本の整理をある程度終えて帰宅する。
「そうなの。だからね、私は90年代のライトノベルより、00年代のライトノベルのほうが好みだったりするのね。分かりやすく派手な冒険小説よりも、世界系と言うのだったかしら? たった一人の女の子のために世界を敵に回す男の子、みたいな」
「へ、へぇ」
僕も知っているような有名なラノベを幾つか挙げ、その魅力について語る彼女は完全に『ラノベオタク』といった感じであったが、圧倒されるその知識と熱量はともかくとして、馴染みやすい話題で会話ができる普通の女子、といった感じでもある。
「あぁ、鵲くんが私の話をちゃんと聞いてくれて嬉しい。私が文学の話をしようとすると、誰もがさーっと避けていってしまうのよね」
「そりゃあ、まぁ、ねぇ」
僕は納得する。
「鵲くんのおすすめのラノベも何かあったら教えて。私、読んでみたい」
そう言われても、『浅学』などと言いつつ驚くほどラノベについて広範な知識を得ていた彼女を前にしては、自分のおすすめなんて……。
「あ、一つあったかも」
僕は思いつく。
「何々?」
ワクワクして彼女がまだ名を連ねていなかった一冊のラノベのタイトルを言う。
「ふむふむ。それは初耳だわ。今度、買ってこようかな」
「いいよ。もう読んでないし、貸すよ」
僕は彼女に何気なく言った。
「良いの? わぁ、ありがとう。じゃあ、今度貸してね」
「うん」
そんな訳で、僕は同じ図書委員でありながら、そのパーソナリティの半分も知らなかった綴織静音に、自分の蔵書の一冊を貸し与える事になってしまったのであった。
◆ ◆ ◆
翌日の放課後、図書室にて。
「はい、綴織。持ってきたよ」
「ありがとう! すぐ読んで返すね」
「別に良いよ。ゆっくり読んで」
彼女は嬉しそうに僕の貸したラノベを鞄の中へと丁寧に入れた。
そして、僕に向かって彼女は言った。
「私からのおすすめも何か貸してあげようか?」
僕はドキリとする。
「い、良いよ。僕、本の読み方あんまり丁寧じゃないから、汚しちゃうかもだし」
しかし彼女は言う。
「あら、ちゃんとブックカバーはかけて渡すわよ?」
そういう問題じゃなくて、女の子から本を借りる行為が、僕の中で何となく恥ずかしいだけなのだが……。
「うん、まぁ、それなら」
彼女はこういう話だと結構しつこく食い下がるので、面倒になる前に同意しておいた。
「じゃ、明日持ってくるね。鵲くんが好きそうな小説も、私の購入したラインナップにはちゃんとあるから」
「凄いね。まるで書店員さんだ」
本屋さんというあだ名がつきそうだな、と僕は笑って言う。
「書店員さんも、昨今では他人にお薦め出来る程の知識を有した人は段々と減っているようだけれどね」
苦笑しながら彼女は言う。
へえ、出版業界のイロハなんて僕には分からないけれど、本を頻繁に購入する彼女からすると、やはり書店員さんにお薦めを訊いたりする事もあるのかな。
「出版業界自体が斜陽だからね。ライトノベルに私が手を出しているのも、面白いから、という理由以上に、読みたい文学作品というものも書店から軒並み失われていっている、なんていう世知辛い事情があるからなの」
「ふうん」
また、さして興味のない話だが、そういうものなのか……と僕は思った。
「あれ、ネットの小説とかは読まないの?」
そこで僕はふと思った事を口にしてみるが、彼女はここで初めて顔を顰めた。
「あぁ……うん、その、ネット上で公開されている、いわゆる無料の小説とかは、私の肌には合わないかな……」
と、『文学』の定義について懐の広さを見せた彼女には珍しい意見が出てきた。
「そうなんだ。僕はたまに読むけど、面白くない?」
「面白いかどうかを問われれば、玉石混交としか言いようがないわね……」
苦笑しながら彼女は言う。
ぎょくせきこんこう、ってどういう意味だったかな?
「……まぁ、その、面白いものもあると思うの。たまに、本職の人が書いている文章もある事だしね」
「あぁ」
彼女の言いたい事が何となく見えてきた。
要は、素人が無料で公開している小説のレベルなどはたかが知れており、それを読んでも面白いとまでは感じられないと言いたいのだろう。
「なるほどね。綴織の審美眼からすれば、その辺りは範疇外って事なんだね」
「……ぜ、贅沢かな?」
少しだけ躊躇うように彼女は言うが、僕は答える。
「ううん? 不味いものは不味いって正直に言うだけ、何でも美味しいって誤魔化すより、僕は誠実だと思うよ」
すると彼女はぱぁっと笑って、それからホッとしたように胸を撫で下ろす。
「そう言って貰えると安心するわ……」
何か、その件に関して嫌な事でも言われたのかな。
僕は何となく想像を巡らせ、それから言った。
「ま、どういうものであれ『文学』であると言い切った綴織のイメージからすると、そこに『例外』があると言うのは人間的で親近感を覚えるよ。なんでも受け入れちゃう人って、あんまり人間らしくないって僕は思うしね」
すると彼女は、何やら決まり悪そうな顔を朱色に染め、指を弄んでいた。
「あ、ありがとう。鵲くんこそ、懐が広いわよね」
「そうかな?」
僕は彼女の言葉の意味が良く分からなかった。
◆ ◆ ◆
翌日、彼女は僕の貸したライトノベルの感想を縷々並べて、いたく感動していた。
そんなに面白かったのなら今度は続刊も続けて貸してあげるよ、と言うと嬉しそうにしていた。
そして入れ替わりのように彼女は僕にお薦めの一品を貸してくれる。ブックカバーを少し外して、表紙を見せてくれた。
「へぇ、綴織のお薦めだからどういうものか興味あったけど、意外なほどエンタテインメントに寄せてきたね」
「鵲くんの好きそうなラインナップから選んでみました」
ややドヤ顔で彼女は言う。そりゃ、随分と僕の好みを学習してくれた事で。
僕はかっこいい男の子と可愛い女の子が表紙に描かれた、いかにもな感じのエンタメ系ラノベを受け取りブックカバーをかけ直すと、鞄にしまい込んだ。
そして彼女は僕に問いかけてくる。
「鵲くん、結構ああいう恋愛小説も読むんだね。好きなの?」
僕は唐突に問われ、戸惑う。
「うーん、普通かな。僕の持ってるラインナップでは、綴織が唯一持ってなさそうなシリーズだったから挙げただけ、なんだけど」
言う程、恋愛小説は読まない。貸してあげたタイトルも、確かアニメになっていてそれが面白かったから買ってみた、程度だった気がする。小説版は、正直そこまで面白いと思わなかったので、彼女がここまで感動しているのは感性の違いなんだろうな……と思っていた。
「ヒロインの心情描写が繊細で素敵よね。どちらかというと、女性視点で書かれた物語なのよね」
「あぁ、そうかも」
アニメになるにあたって、大幅な演出変更があったらしく、僕はそのアニメ自体は楽しんでいたが原作小説はあまり楽しめなかったのは、男性向け・女性向けの視点変更みたいな部分によるのかな。
「でも、作者の名前を調べたら、男性作家らしいわ。男性でも女性の心理に細かく踏み込めるのは、取材の賜物か、経験談なのかも知れないわね」
「ふうん……」
あれ?綴織、この言い方だと読み専じゃなくて自身で創作もするのかな、と僕は彼女の発言の端々からほんの少しそういう空気を感じ取った。なので訊いてみると、
「えっ? い、いえ、しないわ」
露骨に慌てて目を逸らす彼女。……するんだね。恥ずかしがる事はない気がするけれど、まぁ僕は敢えて深くは言及しないでおく事にした。
「僕には文学の事は良く分からないけれど、綴織が楽しんでくれたのなら良かったよ」
僕がそう言うと彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう。また一つ、鵲くんの事を知れて嬉しいわ」
僕はその言葉に少し照れる。
◆ ◆ ◆
それから暫く、僕らは小説の交換をしあったりして、放課後、図書室で本の整理をしながら(彼女は相変わらず整理そのものにはあまり手伝わずに、受付で本を読み耽っているが)、語らい合う時間が増えた。
そんな折、ふと何かに気付いたように彼女は言った。
「そういえば……鵲くんって、あまり小説に興味がない、とか言っていたけれど、どうして図書委員になったの?」
僕はその質問を今更するのか、と苦笑交じりに受け取り、答える。
なるべく、変に緊張しないように。
「綴織がいるからだよ」
そう言うと、彼女はしばし目を瞬かせて、硬直していた。
ややあって、
「へ? え、えー……そ、そうなんだ?」
と、僕の言葉の意味に気付いたように、赤面した。
「気付いてなかったの?」
僕はニコリと困ったような笑顔を浮かべて彼女に向き合ってみた。
すると彼女は目を泳がせつつ、答える。
「……うーん、その告白は恋愛小説としては微妙だね。30点です」
彼女の文学少女としての、中々に辛辣な採点が下されて僕は肩を落とした。
「これは手厳しい。やはり、もっとロマンチックなブンガク的告白をお望みで?」
僕はそんな風におどけて言うが、彼女は真剣に答える。
「うーん、そうねぇ……ま、『現代の文学』のスタンダード・スタイルとしては、百歩譲って、65点くらいあげても良いかな?」
35点ほど加点されたが微妙な点数だ。
「そっか。で、それは及第点? それとも、合格点?」
僕は、そんな言い方で告白の答えを迫ってみた。
すると彼女は、やおら柔らかな笑みを浮かべ、僕の貸したライトノベルの表紙を愛おしそうに撫でさすると――
「……勿論、合格です」
と、言ってくれた。
どうやら、彼女の定義における『ブンガク的な口説き方』としては、合格ラインに達していたらしい。彼女の言う文学の『定義』と同じく、中々に懐の広い判定だね、と僕は思うのだった。
(おわり)
ども0024っす。ちょっとぶりに短編を書きましたがどうでしょうか。
結構な雑食の読書狂な文学少女と、さして文学に興味のない少年との語らい。
会話劇としてテンションは高くなく、かつ気取った台詞回しを多めに配置してみました。
因みに、タイトルなどでブンガクとカタカナ表記にしているのは
『変態王子と笑わない猫。』のさがら先生リスペクト。
僕の文章の特徴の大半は一番読んでる『物語シリーズ』に影響受けてると思うんですが
実は一番好きなタイプは『変態王子』なんですね。
文章そのものに詩的なリズム感があって、知的でお洒落で軽妙で、そして馬鹿馬鹿しい。
ライトノベルにおける、『クレバーさとバカっぽさ』の同居を僕はすごく好んでいます。
ああいう文章を書けたらなぁ。頭が凄く良いんだろうなぁ……。
あと、読書量が段違いに多いんでしょうねぇ。