幕間 : Heidi 8
儀礼戦が始まると、ハイジたちは散会し、それぞれが思うままに戦った。
そもそも儀礼戦などというものは、本来ならあくまで戦闘開始の狼煙に過ぎず、本番はその後である。それでもヴォリネッリの法律により、宣戦布告と儀礼戦だけは義務付けられている。
これは弱小国がいきなり強国に占領されたりしないようにという最低限の配慮から作られた制度だったが、強国はこれを利用して、片手間に宣戦布告しては儀礼戦だけを繰り返し、弱小国の財政を疲弊させるという厭らしい戦法を取りはじめた。
実際、北部以外の地域では、この方法で滅ぼされた領は多い。
しかし、それでなくとも人が住める北端ギリギリの国であるヴォリネッリの、さらに北部––––一年の半分を占める冬の間ずっと冷たい氷に閉ざされるような過酷な土地では、この方法は使えない。なぜなら、糞な領主に占領されれば、すぐに死に直結するからだ。協力し合わなければ生きていけない過酷な環境だからこそ、北部の民は逞しく、助け合うことに躊躇しなかった。悪評高い領主が宣戦布告してくれば、家族を、街を、同郷の全ての仲間の未来のために、死をも厭わない。それが北部の人間たちの生き様だった。
故に、弱小の領を潰そうと嫌がらせで宣戦布告などすれば、そこは手痛いしっぺ返しを喰らう。今回のライヒ-リヒテンベルク戦もその一つだ。
これまで数多くの優秀な傭兵を生み出してきたという二つ名持ちの傭兵『愚賢者のアゼム』が、これまで以上に厄介極まりない弟子を三人連れて参戦してきたのだ。
アゼムが三人の弟子に伝えた「作戦」はたった一つ––––「好きなように暴れろ」。ただそれだけだった。
『愚賢者』アゼム・ヒエログリードは最前線で戦うのが常である。
さほど強そうにも見えないアゼムだったが、スピードで圧倒する戦闘スタイルで敵を圧倒する。これまでの戦歴を知らない敵は気付いたときには斬られており、その戦いっぷりを知っている敵ならますます簡単には手が出せない。アゼムの一人舞台である。手当たりしだいに名乗りを上げ、相手の理解が追いつくよりも早く戦い挑み、何もできないうちに打倒してしまう。
さらに、アゼムは技術や速度よりもまず、何よりも士気が違う。命令で動いているだけの人形の剣など、アゼムには届かない。アゼムには「主を勝たせたい」という強い意志がある。
少年兵、ヴィーゴ・ヨーコ・エリメンタリはそつなく戦う。
あまり力は強くないが、速く、そして相手をよく観察し、よく考えて戦う。師の戦い方に一番近いのが彼だ。頭の回転がずば抜けて速いヨーコは、これまで参加してきた戦争でも優れた戦績を残したが、名が上がれば上がるほど狙われやすくなることを理解していたため、目立たないように影に隠れて戦い続けた。
誰も自分のことを知らない戦場でこそ、自分は花咲ける。羽ばたける。誰も自分を警戒しない。油断しきった大人たちを欺き、ヨーコはこっそりと一人また一人と敵の数を減らしていく。血を浴びてしまうと敵に警戒されるため、わざわざ血の出にくい殺し方を選ぶほどの徹底ぶりだ。無名の戦士は無視できない戦績を積み重ねていく。
少年兵、フツーカ・ヘルマンニ・マイヨールは斥候である。
前線からは程遠い自陣に近いところで、ヘルマンニは得意の『遠見』を使う。
敵の親玉がどこに居るのか、弱点はどこなのかなど、探っては参謀に伝えるのがヘルマンニの役割だ。ヘルマンニの助言に従って戦局は大きく変化する。それでも必ず勝てるとは限らないのだが、ライヒ領の参謀は素直にヘルマンニの言葉を信じた。アゼムからの指示があったとはいえ、年若い少年の助言を素直に聞くとは、ライヒ領の軍人は頭が柔らかい。ヘルマンニは、この戦いで勝利をおさめることを確信した。
ついでに師匠や同僚のことも覗き見る。師匠は相変わらず片っ端から名乗りを上げは冗談みたいなスピードで雑に切り捨てている。
ヨーコは目立たないように上手く立ち回りながら、確実に敵を減らしている。
そして––––。
(おいおい……なんだそりゃあ)
弟弟子を覗いたヘルマンニは思わずのけぞった。
「どうかしたかね?」
「いえ、何もないです」
ライヒの将校に不思議がられてしまったので、慌てて取り繕う。
しかしヘルマンニの頭の中には疑問符が沢山浮かんでいる。
ハイジは踊っていた。否––––まるで踊るように戦っていた。
少年にしてあの巨体なのだ。今や師匠であるアゼムどころか、ほとんどの兵よりも大きいほどだ。その上、力を隠す気などまるでない。ただ目の前にいる敵を屠るだけだ。
だというのに、明らかに届いたかに見えた剣を、ハイジは難なく避け、そして一刀のもとに切り伏せる。しまいには、敵兵たちに警戒されて囲まれているが、それでもあらゆる剣を全て避けている。後ろからの攻撃でもお構いなしだ。
その不思議な動きは、まるで演舞のようで––––。
(これがハイジの言ってた能力ってやつか……まるで攻撃をキャンセルしてるみたいだ)
もはや敵兵を殺すことに抵抗はないのだろうか。ハイジは次々に敵を倒していく。
このままいけば、十名を下ることはないだろう。
(もう、憎しみで戦うことは辞めたみたいだな)
ハイジに苦悶の表情は見られない。怒りに燃えて暴れまわっていた頃とは明らかに違う。死にたがりのハイジは死んで、今あそこにいるのは、生きて、役目を果たし、目的のために戦う一人の勇敢な戦士だった。
それを見て安心したヘルマンニはこっそりと笑い、そして次の指示を将校に伝えた。
ライヒ-リヒテンベルクの儀礼戦は、ライヒ側の勝利で終わった。
もちろん辛勝ではあったが、兵の消耗はリヒテンベルクのほうが圧倒的に大きかった。これにより、儀礼戦のあとリヒテンベルクは停戦を申し出ることになる。
ライヒは、向こう十年の間は決して戦いを挑まないことを条件に停戦を申し入れ、ヴォリネッリ中央政府にその条約が受諾されたことで、くだらない戦争は終わった。
▽
儀礼戦が終わった夜。
ライヒの勝利が見えたが、兵站病院には沢山の負傷者が運び込まれていた。
死者も数十名––––リヒテンベルクと比べると少く見えるが、もともと人口の少ないライヒにとっては酷い痛手であるし、それでなくとも死んだ兵士のほとんどには地元に家族が待っている。
もしここが魔物の領域であれば、サウナとヴィヒタで治療できるのに––––とハイジは思った。しかし、残念ながら、一番近い魔物の領域でも、馬車で数日かかる距離だ。その上、サウナとヴィヒタのことは、アゼムから固く口止めされている。もしこのことが広く知られてしまえば、魔物の領域は軍事施設として接収され、世の中は今以上に混乱することは必至だからだ。
手足や目玉など、顔や体の一部を失った兵士たちを目の前に、ハイジは唇を噛んだ。
今日自分が殺した兵士たちにも家族がいる。
リヒテンベルクの兵たちは、ライヒの兵と比べると覇気がなく、中には嫌々戦っているような者も居た。
つまり、誰もがハイジのようにが戦いたくて戦っているわけではないのだ。
ハイジは、戦っているときには意識しないように押さえつけていた暗い感情が湧き上がってくるのを必死に押し留めた。
それは、嫌悪感。
殺せば殺すほど無辜の民が救われると分かってはいても、ハイジは人を殺すことに慣れなかった。
それでもハイジは戦うことを辞める気はなかった。自分が感情を殺す程度のことで救える命があるのであれば、いくらでも殺そう。
気を緩めれば湧き上がってくる嫌悪感を必死に抑えながら、ハイジは兵站病院を後にする。
すでに日は落ちていた。
今日は雲の形がはっきりと分かるほどに月が明るい。
こうしてみると、たった数時間前に凄惨な殺し合いがあったとは思えなかった。
近くでは酒盛りなども始まっていて、きっとあそこには師匠やヘルマンニが混じっているのだろう。しかし足は逆を向き、喧騒を離れるように前へ前へと進んだ。
ハイジは、ふと違和感を覚えた。
誰も居るはずもない暗闇に、人の気配がする。
(もしや、敗残兵が?)
ハイジは剣を抜いた。アゼムに与えられた大剣だ。養母から受け継いた刺突剣は、彼の力で振ればあっという間に折れてしまうため、今はアゼムから与えられた獲物を下げている。
気配の元がもし敵兵だったとしても、自分の能力が身を守ってくれることは解っている。
ハイジは無造作に人の気配に近づいていった。
「*%@$---#!!」
すると、不思議な響きの悲鳴が聞こえた。
ハイジは外国語の存在を知らなかった。産まれた時からヴォリネッリで生きてきたし、ヴォリネッリではどこでも言葉は変わらない。地方や領によって多少の方言はあれど、聞き取れないということはない。
「誰だ」
ハイジが呼びかけると、相手はビクリと震えたようだ。
(兵にしては弱々しい)
「%@$#……*!」
また声がするが、その言葉に聞き覚えはない。聞き覚えはなかったが、なぜかハイジは養母のことを思い浮かべた。アンジェはたまに、意味の通じない適当な音の並びで歌を歌っていたが、それがちょうどこんな響きだったのではないか。
月を覆っていた雲が晴れ、暗闇に月明かりが落ちた。
そこには、酷く怯えた様子で、黒髪の少年が蹲っていた。




