14 (第一部最終話) あなたのいない夜明け
「うぅ…。」
初めに気を取り戻したのは華だった。
突如発生した光にあてられ、モニター越しだというのに目がくらみ、脳が揺さぶられていた。視界が戻っても、頭には靄がかかったようだった。
「…っ!」
だが、すぐに正気を取り戻し、そして青ざめた。
「ケンちゃん、ケンちゃんは!?」
モニターを見る。砂埃に隠れ、様子が分からない。そこでようやく、怜も目を覚ました。
「…!」
青ざめる華と何も映らないモニターを視界に入れるや否や、物も言わずに部屋を飛び出す。数舜後には、『鉄十号』を着込んで一目散に爆心地へと向かう姿がかすかにモニターに映った。
『鉄十号』のセンサーを働かせるが、ほとんど何の情報も手に入らない。あの爆発によって乱れが生じ、ノイズとなってセンサーを阻害しているのだ。現状、まともに働いているのは光学センサー…つまり、有視界確認だけだった。
『ダメ、戻って怜ちゃん!対蹠消滅なんてまだ理論しかないのよ!?どんな影響があるか--』
「お姉さま、ごめんなさい!」
目覚めてすぐに通信を寄越したであろう怜の声を無視し、すべての音声をカットする。今は玄助を探さなくてはならない。源子の言うことなど聞いてはいられないのだ。
音を発するものが何一つない世界で、砂塵をかき分けながら走る。
「死んじゃダメよ…!ここであなたが死んだら、バカみたいじゃない!そうよ、馬鹿よ!あなたは大馬鹿だわ!自分の思いのために命を張るなんてバカなのよ!バカみたいなあなたが生きていなかったら、私は…!死んだら許さないんだから、馬鹿玄助!バカ!玄助!バカ!」
思いが口からこぼれる。足元が見えずにつまずいて転ぶ。カメラ越しの視界だけでは窮屈だ。それに音もよく聞こえない。
「もう、ほんとにバカ…!」
ヘルメットを脱ぎ捨てた。
「げほっげほっ!」
案の定、目も開けられず咳も止まらない。悪態をつきつつヘルメットからゴーグルとガスマスクを取り外す。
いけない、焦るな。
逸る心に言い聞かせ、呼吸を落ち着ける。感情的になるのは、心の中だけでいい。
方角すらあいまいになるような砂煙の中、自身の方向感覚を頼りに走る。やがて、視界も晴れてきた。
「見つけた…!」
ぼんやりと、巨大なシルエットが見える。
ついに『エルフ』にまでたどり着いた。だが、その姿はひどくみすぼらしかった。
「下半身だけ…!?」
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
「げんすけーー!」
モニターの前では、華が大粒の涙を流しながら食い入るように砂煙が晴れるのを待っていた。起き上がってきた優斗も、同様にその隣で手を合わせて祈る。
ただ一人、源子だけが面倒くさそうにあくびをしていた。
「あーあ、これでまた作り直しね。結構面倒なんだから、あれ。」
「そんな…そんな言い方ないでしょ!玄助くんが心配じゃないんですか!?」
優斗の言葉に首肯する。華が一瞬だけ、射抜くような視線を送る。源子は大げさに怖がってみせ、心底不思議そうに尋ねた。
「どうしてあなたたちはそんなに悲観的になってるのかしら。」
「それは、玄助くんが命の危機で!」
「命の危機?」
源子がクスリと笑う。
「そんなわけないじゃない。よく見てみなさい。」
「え…?」
砂埃が晴れ、状況が見えてきた。胸から上が消え去った『エルフ』がそこにいた。
「ああ…っ!」
華が泣き崩れる。
「華ちゃん、もうちょっとよく見なさい。」
「でも、ケンちゃんが…!」
「大丈夫だから。ほら。」
源子に促されるままに顔を上げると、そこにはいた。上がすっかりなくなり、野ざらしになった操縦席ではあったが、そこには確かに、玄助が立っていた。
「ケンちゃん!」
爆発の直後。少しだけ気絶していた玄助は目を覚まし、ぼんやりと海を見つめていた。
「ふぅ、助かった…。」
PCL‐SSを緊急射出、つまり腕部から切り離して発射。空中で『ヴァンパイア』に激突させるとともに偽軸対蹠炉(FAAR)を臨界させ、空間の消滅を引きおこした。『ヴァンパイア』の消滅にも成功したようだ。
だが、『エルフ』の体も無事では済まなかった。あと数十cmも近ければ、玄助の首も消えていただろう。ねじ切られた空間は操縦席の天井をも含んでいた。まさに紙一重の状況だった。
それだけではない。もちろん、対消滅に伴うすさまじい衝撃もあった。源子に着せられた対衝スーツのおかげで、何とか継承に抑えられていたようなものだ。
何か一つでも歯車が狂っていれば、玄助の命も助からなかっただろう。だが、そんな危険も感じさせず、玄助は痛む体を叱咤しながら立ち上がった。
「ああ、海だ…。」
夜明け前、最も闇の深い時間帯。黒くよどんだ水平線が目の前に広がる。ふと我に返り華たちに連絡しようとも思ったが、壊れた『エルフ』にそんな余力はなかった。火花を放つ操作盤を認め、諦めてまた海を眺める。
ゆっくり太陽が昇ってきた。柔らかな日差しが海の向こうから差し込んでくる。暗かった水平線が照らされた。
波が高い。けれど、沖釣りに出るには支障はないだろう。天気は快晴。
「あの日もこんな天気だったよな、父さん。」
小さく呟いた声は、潮風に揉まれて消える。
「また、釣りに行こうな。今度は、俺一人だけど。」
「玄助!」
自分の声に重なるように、下から呼びかける声があった。この騒ぎの中で、何度も玄助と衝突し、助けられ、言葉を交わした声だ。
「怜!」
玄助が返事をしながら下を見ると、怜が『エルフ』をよじ登ってきているところだった。
「バカ!」
玄助の顔を見るなり、笑顔で怜が言った。そのギャップが面白かったのか、それとも安堵のせいか。理由は分からないが、玄助は笑いがこらえきれず、噴き出した。
「何よその顔!何がおかしいの!?」
「いや、なんだろうな。」
「あなたねぇ…!」
操縦席にまで登り切った怜が、泣いているのか怒っているのかわからないような表情を玄助に向ける。
「どれだけ心配したと思ってるのよ、バカ!!なのにそんな言い方…!」
「悪い悪い、変な意味じゃないんだ。…よく分かんないけどさ、俺、夢を叶えられたんだなって。たぶん、そう思ったんだ。」
「あ…。」
穏やかな表情の玄助に、怜の怒気もどこかへ消えてしまったようだ。
しばしの沈黙の後、怜が口を開く。
「でも、まだ終わりじゃないわ。」
「え?」
「だってそうじゃない。『みんなを守る』なんて青臭いヒーローみたいな夢に、『はい、おしまい』みたいな終わり、ないでしょう?」
「…はは」
数瞬の間をおいて、玄助がふたたび、しかし今度は小さく笑った。
「そうだな。その通りだ。」
「期待してるわね。私の夢も、守ってもらわなくちゃ。」
玄助の隣、壊れた操縦パネルの残骸に腰かけながら、怜は言った。
「お前の夢?」
「そう。私も見つけたの。」
「へえ、よかったな。」
「聞かないの?」
「聞かせたいのか?」
んもう、と軽く玄助をこづく。しかし、『鉄十号』を着ている怜の小突きは、常人の本気にも匹敵しかねなかった。
殴られた部分を抑えてうずくまる玄助を見て、怜が謝りながら焦ったように手当をしようとする。
「いいって、別にこんなの痛くもかゆくも…いっつ!」
「痛がってるじゃない!あー、どうしよう、私ったら、安心してつい…。す、すぐに救急車を呼びましょう!」
「い、いや、大丈夫、大丈夫。大した怪我じゃない。」
口で言っても心配そうな怜になんとか笑顔を向ける。
「そ、それよりも、何だったんだ?」
「え…?」
「ほら、怜の夢の話をしてただろ?」
「あ、あー、そうだったわね。」
しかし、怜は口を開き、言いかけて、やめた。
「…もう、そんなことを言う空気じゃなくなっちゃったじゃない!」
「なんだよ、気になるじゃん。」
「自業自得よ。私の夢は--。」
笑う彼女の顔を、朝日が優しく彩った。
「秘密!」
その光景があまりに美しく、玄助はぼうっと見とれそうになった。
だが砂浜の向こうから聞こえてきた声に、はっとした。玄助を大きな声で呼びながら駆け寄ってくる。華たちだ。
「…釣り、一人じゃなくてもよさそうだな。」
「何の話?」
「これからの話だよ。」
怜は首をひねったが、笑顔で手を差し伸べた。
「さあ帰りましょう。みんな、あなたを待ってるわ。」
「ああ。」
小さく返事をした玄助は、しかしそのまま立ち尽くしていた。
「…玄助?」
朝日を受けて光る町並みを、もう少しだけ、見ていたかった。
エピローグと第二部に続きます。