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1 プロローグ・織原怜の憂鬱

初投稿です。しばらくはハイペースに更新できると思います。

 波の高い日だった。けれど、沖釣りに出るのにはそう支障はないはずだった。それはよく覚えている。父さんはいつも仕事が忙しくてなかなか遊びに連れて行ってもらえなかったから、とても楽しみにしていた。十歳にもならない子供の楽しみとしては釣りなんて変だったろうけど、そんなことは関係ない。海辺のこの町で育った父さんは釣りが生きがいだったし、釣りの時には、普段の冴えないオジサンみたいな雰囲気からは想像もできないほどに生き生きとしていた。とても格好良かった。いつかあんな風に海と格闘してみたいと本気で思っていた。それまで連れて行ってもらえなかった沖釣りについに行けると聞いた時には小躍りしながら喜んだ。当日まで毎日、天気予報や気象図を眺めては中止にならないことを祈っていた。だから、あの日の天気や海の様子はとてもよく覚えている。


 父さんの友達の船を借りて、ずっと沖の方まで進んだ。やっぱり父さんは釣りが上手くて、俺が一匹も引っ掛けないうちに、ずいぶん沢山の魚が吊り上げられていた。その中でも一番すごかったのは、二匹が同時に釣れたことだ。かなり重かったみたいで大物だと騒いでいたけれど、いざ吊り上げてみたら、なんと釣り針に引っかかった魚の半分くらいを二回りも大きいような魚が飲み込んでいたのだ。一体どうしたらこんなことになるんだと、みんなで大笑いしていた。


 この日の釣りは本当に楽しかった。こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。きっと続くと思っていた。けれど、あの日。俺はすべてを失った。



三月 都内某所


 雨の降りしきる中を、傘もささずに一人の男が駆けていく。時刻は夜。厚い雲が月を覆い隠し、いっそう闇が深くなる。街灯もまばらにしかないような細い路地では、足元さえもおぼつかない。それでも彼は黒い大きなバッグを大事そうに胸に抱え、時折うしろを振り返りながら必死に走り続けていた。


「うわっ!」


 水たまりに足を取られ、前のめりに倒れる。すんでのところで体をひねり、バッグを下敷きにすることだけは避けられた。だが、受け身もとれずに落ちた右肩は、かつてないほどの痛みを訴えている。


 コッコッコッ。


 暗い路地に足音が響いた。彼は弾かれたように振りむく。何も見えない。だが、音はだんだん近づいてきている。痛む体に鞭をうち、男は再び走り出す。右腕が上手く上がらない。左手だけでなんとかバッグを支える。しかし、転んだ拍子にバッグの口が一部壊れていたようだ。ぽろぽろと小さな瓶が零れ落ちる。男はすぐそれに気が付いた。だが迫る足音が耳に入ると、一瞬だけ躊躇し、バッグを抱えなおして逃げ出した。回収は諦めたようだ。


 男の去った路地に、一人の女が姿を現した。胸元の大きく開いた服、きわどいほどに短いスカート。その上に白衣をまとって、真っ赤な傘をさしていた。ハイヒールがアスファルトを打つたびに、鋭い足音が響き渡る。ウェーブのかかった金髪を翻しながら、女は優雅に膝をついた。地面に転がる薬瓶を手に取り、しげしげと眺める。


「あららら…。これは一体、何かしらねぇ?」


 愁いを含み、いっそ艶めかしいほどの声音が、真っ赤な唇から漏れ出る。男が走り去った方角に目を向け、にんまりと目じりを下げた。


(れい)ちゃん、あとはよろしくね?」

『はい、お任せを。』


 耳につけたインカムを抑えながらつぶやくと、若い女の声が返ってきた。気張っているようだが、緊張しているようでもない。まずまずの調子といったところだろう。


「さぁって、わたしはわたしのお仕事をしちゃいましょうね~。」


 誰に言うでもなく、歌うようにささやいた。その声が消えていった闇の向こうから、べちゃべちゃと肉を打つような音が近づいてくる。ただ雨の中を歩く音というには、いささか粘着質であった。


「あらら。三体も残ってたのね。やっぱり雨の日はダメねぇ。お肌も調子よくないし。」


 街灯の光の下に三人の人影が現れた。肌は青白く、服も着ていない。目は落ちくぼみ、足取りはふらついている。微かな腐臭があたりにただよう。


「でも残念。せっかく来てくれたのに悪いけど、もうあなたたちのサンプルは十分なのよ。だから——。」


 ごく自然な、しかし優雅な動きでスカートをまくり上げる。ふっくらとして張りのある太ももに似つかわしくない、無骨なベルトがあらわになる。そこに付いていた大型の拳銃をいとおしそうに取り上げた。


「ここで、処理するわ。」


 三つ、立て続けに破裂音が響いた。拳銃からは硝煙が上がる。一瞬の空白。そして、三人は一斉に倒れ伏した。それぞれの右ひざから下がちぎれている。大口径の弾丸は彼らの関節を正確に打ち抜き、抉り取ったのだ。


 女はクルクルと拳銃をもてあそびながらレッグホルダーに戻すと、豊満な胸の間から小さなカプセルを取り出した。這い上がろうとする三人を眺めながら、彼女はカプセルの一端を唇に挟み、軽くひねった。


 カチリ、と何かがかみ合うような音がする。彼女は投げキッスをするように、それをゾンビの方へと放った。


「さようなら。」


 彼女の声と同時に、カプセルから炎が上がる。膨張した空気が押し出され強い衝撃を生み出すが、女は暴れる髪を押さえる程度で涼しげな様子だ。火は瞬く間に広がり、三体を巻き込む。雨を干上がらせながら天を目指して揺らめいていたが、やがて静かに燃え尽きた。


 炎の在った場所では、黒ずんで体の大半を失いつつ、なおも手を伸ばす姿があった。意外そうな顔をしながらもためらいなく頭部を打ち抜き、再びカプセルを投げ込む。


「案外、面白いことになるかもしれないわ、怜ちゃん。」




 すでに足音が迫ってはいないことにも気が付かず、男は足を動かし続けていた。もはや後ろを確認する余裕もない。暗闇に薄い呼気を十字路に漂わせながら左へ曲がる。その瞬間、目に強い光が差し込んできた。思わず顔を腕で覆う。


「見つけたわよ西田!止まりなさい!違法ゾンビ研究の容疑であなたを逮捕します!」


 凛とした声が響く。若い女の様だが、逆光で姿は確認できない。


「ちくしょうが!」


 悪態をつきながらすぐさま体の向きを変え、反対方向へと逃げ出す。


「待ちなさい!」


 顔の横を、何かがかすめて飛んだ。恐怖に引きつりながらも顔を後ろに向けようとすると、今度は足元から火花が上がる。


「…おいおい、ずいぶんと下手な射撃だなぁ。もっと練習した方がいいんじゃないの?」

「今のは威嚇射撃です。止まらないなら、次は当てます。」


 決して大きくないがはっきりと聞こえたその声にこもる殺意に、男は足を止めた。


「そうです、そのまま…。」


 接近してくる足音を聞きながら、男は慌てて眼だけを動かし、活路を探す。右側に工事現場がある。建設途中なのか、重機や機材がビニールシートに覆われて置き去りにされている。その中に、バントレーラーのシルエットが見えた。思わぬ幸運に笑みを浮かべる。


「両手を挙げて、頭を地面につけなさい。」


 女の指示が飛んできた。その指示通りに、ゆっくりと両手を上げ、頭を地面に付ける——と同時に前転し、工事現場の中へと飛び込んだ。


「待ちなさい!」


 女の拳銃から放たれた弾丸は男の脇腹をかすめ、赤色のにじむ肌があらわになる。男は資材の陰へと体を隠して荒い息を整える。どうやら怪我も深くはないらしい。女に気取られないよう、ひそかに物陰を移動する。


「往生際が悪いですね。いい加減になさい!」


 女が苛立ったように叫ぶと、どこからか男が応じる。


「いい加減にするのはそっちだぜ!さんざん追いかけまわしてきやがって!」


 声の聞こえた方に銃口を向け、出方を待たずに引き金を引いた。弾丸は機材に命中し、高い金属音を奏でる。


「怖いねえちゃんだな!殺す気かよ!」

「次は当てると言ったでしょう!」


 男が少し頭を出して様子をうかがおうとすると、まっすぐにこちらを向いている重工が目に入った。慌てて顔をひっこめると同時に弾丸が空を切る。あと一瞬遅ければ頭に花が咲いていたことだろう。


「本気、ってわけかい…。」


 男の背中に水滴が滴る。それが雨ではなく、自分の恐怖心から来るものだという事は、男にはよく分かっていた。恐怖は動きを鈍らせる。切り捨てなくては。軽く息を吐く。呼吸を整えると、いきなりバッグを空中に投げ飛ばした。


「そこねっ!」


 女の視線がバッグに向いた。その隙を見逃さず、男は物陰から飛び出した。気付いた女がすぐに引き金を引くが、何とか無事に別の物陰へと入り込めた。


「なかなかいい判断ね。でも、あなたも困るでしょう。」


 男が大事そうに抱えていた、肝心のバッグは地面に置き去りだ。目標は第一にバッグの中身の確保、第二に西田の処理。西田がバッグを投げ出した時点で、こちらの目標はほぼ達成されたも同然だ。女は気を緩めず、しかし内心で安堵した。

呼びかけに返事もないし、とうとう男も観念したのだろうか。女は銃口を男のほうにむけつつ、女がバッグに手を伸ばす。その時、工事現場にエンジン音が響き渡った。


「おらおらぁ!どかねぇとひき殺しちまうぞ!」


 トレーラーがいきなり発進し、突っ込んできた。運転席には男が見える。物陰に隠れながらこっそり移動し、いつの間にかトレーラーを強奪していたのだ。


「きゃっ⁈」


 女は飛びのいて突進を避ける。バッグの回収は出来なかった。それどころか、トレーラーはバッグを丁寧にひき潰していった。中身はもう無事ではないだろう。これで、第一目標は失敗確定だ。下手をうった、と女は小さく葉を食いしばる。


「じゃあな、間抜けなおねえさん!」


 男は挑発するように言い残し、アクセルをふかす。転んだ時に痛めた右腕もなんとか動かせるようになってきた。運転に問題はないし、このまま逃げ切れれば勝ちだ。


「だ、誰が間抜けよ!大事な荷物も台無しにしちゃって、間抜けはあなただわ!」


 トレーラーの後ろ姿に残りの銃弾を叩き込むが、ほとんどダメージにはなっていないようだ。


「ヒャハハハハ!間抜け!大間抜け!ここまで追い詰めといて逃がすか、普通⁉モノより命のほうが大事だっつーの!」


 ハイテンションに叫びながら、男は走り去る。深夜の路地に、動くものはない。アクセルを思い切り踏み込んで、女を徹底的に引き離す。何度かでたらめに方向転換をしつつ、男は大通りに出た。


「よし、ここまで来れば安心だぜ。あとはどっかへトンズラするだけだ。」


 走りながらも一息つき、運転席に置きっぱなしになっていた煙草を一本抜き取って火をつける。


「はは、勝利の祝いにしちゃあしけた花火…うぇ、しかもまっずい。ほんとに湿気てやがるじゃねぇか。」


灰皿にほとんど残ったままの吸い殻を乱暴に押し付け、口の中に残った味を吐き出そうと、窓を開けて唾を吐き捨てる。そこで、サイドミラーに何かが映り込んでいることに気が付いた。背後からライトが迫ってきている。ものすごいスピードで接近してきているようだ。


「なんだよ、暴走族か?とっと先に行けよ!」


 悪態を吐きながら道を譲るが、後ろの車は追い越そうとしない。何度車線を動かしても、ピッタリ後ろの車線に付けてくる。


「こいつ、俺をあおってやがるのか?」


 不届き物の顔を見ようとバックミラーに目を凝らす。男が乗っているのものよりも一回り小さいトレーラーだ。そして、運転席に座る、その人影に目が大きく開いた。


「いい加減、止まりなさーーい‼」


 あの女だ。そうか、さっき十字路で照らしてきたライト。あれはトレーラーのものだったか。自らの失策に舌を打つ。


 ガン、と大きな音が後ろから聞こえる。女が車体をぶつけてきたようだ。たまらず脇によけようとすると、今度は横に並んで壁へと押し込んでくる。互いの車体がぶつかり合い、金属がこすれて激しい火花が散った。男が思い切って体当たりを敢行しようとハンドルを切る。車体はこちらの方が大きい。当たれば押し勝てるはずだ。


しかしそれよりも早く、運転席の窓を開け、女が銃をこちらに向けていた。その重工が正確に自分の頭を向いているのを察し、男は慌ててブレーキを踏みながらハンドルを反対に切る。


「ちくしょっ…!」


 男の口から悪態が零れるのと同時に、女は引き金を引いた。男の頭を狙った弾丸の軌道は逸れ、ガラスにクモの巣を作り上げただけだった。だが急ハンドルを取った男のトレーラーは、バランスを崩して横転する。運転席にいた男は空に放り出され、地面に思い切り転がった。


「う…うう……。」


 体中にけがを負いながらも、何とか立ち上がる。粘ったが、ここまでのようだ。諦めて投降しようと思いながら倒れたトレーラーを確認すると、倒れた荷台から、()()()()が覗いていることに気が付いた。




 ここにはもう逃走手段はないし、男も観念するだろう。そう判断した女は乗ってきたトレーラーを停めて、銃を構えながら降りる。ふらふらと男が立ち上がるが、あの様子では走って逃げることも難しいだろう。そう考えた瞬間、男が何かに気が付いたように動き出した。


「この期におよんでどこへ行こうというのかしら…?」


 疑問に思いながら追いかける。ふらついて何度も転げながらも、男は一心不乱に走っている。女は足を狙って何発も撃ち込むが、運がいいのかすばしっこいのか、一発も当たらない。弾丸が近くをかすめてもひるむ様子すら見えない。破れかぶれになっているのだろう。どこか熱に浮かされた様子で、「ヒャハハハハハ」と相変わらず下品な笑い声をあげている。


 男は倒れたトレーラーの荷台に入り込む。立てこもりでもするつもりだろうか。男の判断にはほとほと呆れる。手間が増える前に捕まえたい。もはや苛立ちを隠そうともせず、女は声を張り上げた。


 いや、張り上げようとした。


「まちなさ——。」


 女の声を遮るように甲高い金属の悲鳴が響き、倒れた荷台の側面に穴が開いた。何か巨大なものが中から突き抜けてきたのだ。それは窮屈そうに頭を回すと、体にまとわりつく荷台を内側から切り裂いた。金属の削れる嫌な音が夜の道路に響く。


「…あそこの工事会社、管理不行き届きで訴えてやるわ。なんで車も、こっちも、全部キーが入りっぱなしなのよ…!」


 静かに怒りをあらわにする女の前に立ち上がったのは、全長5mほどの巨人であった。

無骨なシルエット。胴も足も太く、角ばっている。左腕はひじの先がハサミのようになっている。刃の一方はあまり鋭く見えないが、もう一方ではキュルキュルと音を立てながら、無数の小さい刃が回転している。右腕は人の腕の形をしているものの、その指先は鋭く、腕に対して不自然なほど巨大だ。


 解体工事作業用人型重機、商品名『自立歩行型電動万能解体建機A‐23f』、通称カニさん。一体で多くの作業をこなすことが出来る上に、価格もそう高くない。前モデルの欠陥であった燃費と信頼性も改善されており、操縦には熟練が必要とされるが、それでも多くの現場で使用されるベストセラー人重機の一つであった。


「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 胸部の操縦席から、下卑た笑いがこだまする。


「残念だったなあ、今日の俺はツイてるみたいだぜ!」


 ガンガンとハサミを開閉しながら、心底楽しそうに叫ぶ。女を踏み潰すように足を上げ、ゆっくりと下ろす。


「そらそら、早く逃げないとぺったんこだぜ!あんたの胸はもうぺったんこみたいだけどなぁ!」

「余計なお世話よ!」


 男は改めて、足元で逃げ惑う女を眺めた。先ほどまではよく見る暇もなかった。長い黒髪はよほどよく手入れされているのか、《カニさん》のヘッドライトに照らされてつやつやと光を放つ。目じりは強気そうに吊り上がっているが、目はぱっちりと開いている。鼻筋もきれいに通っており、美人と言って相違ないだろう。胸はつつましいが、手足が長く全体的にスレンダーなスタイルにはふさわしいものである。


「ひゅー、あんたずいぶんとイイオンナだったんだなぁ!残念だぜ、その体を抱けなくてさぁ!あ、違うか。こいつで抱いてやれるんだったな、ヒャハハハハハ!」

「げ、下品なこと言わないで!」


 女は自分のトレーラーへと向かいながら叫ぶ。


「ちぃっとばかり大きいかもしれないけど、まあ頑張って受け入れてくれよな!なーんつって!アヒャヒャヒャヒャ!」


 男はもてあそぶように一歩一歩追いかけていく。女が何度か振り返りざまに操縦席へと拳銃を撃ち込むが、しっかりと安全性に配慮された傑作重機の防護層を貫くことは出来ない。


「そーんな豆鉄砲、効かないってーの!どこまでにげるんでちゅかぁ~?」


 そんな様子を見ながら、男は挑発するような言動を繰り返す。自分が優位に立ったと思って調子に乗っているようだ。男の言動に一々青筋を立てながらも言い返すのを堪え、女はトレーラーの荷台へと乗り込んだ。


「おお~?さっきとは立場が逆転したなぁ。ま、そんなトレーラー、一発で壊せちゃうけどねぇ!」


 左腕のハサミを大きく開き、荷台のコンテナを捉える。チェーンソーを動かすと、ケーキを切り分けるがごとく簡単に刃が通る。そのまま真っ二つになる——はずだった。


「な、なんだとぅ!」


 刃が中ほどまで入ったところで、チェーンソーの動きが止まった。何度もギアを入れなおすが、ピクリとも動く気配がない。次第に、チェーンソーの付け根の部分から黒煙が上がり始めた。無理に動かそうとしたツケが回ったのだろう


「くそ、引っかかりやがったか⁈仕方ねぇ、上からたたきつぶしてやるぁ!」


 右手の万能マニピュレーターを握り、荷台にたたきつける。切れ目の入った荷台は、なすすべもなくぺちゃんこに——ならなかった。


 確かに天井を壊しはしたが、下まで振り下ろすことは出来なかった。何かに押しとどめられているようだ。


「い、いったい何だってんだ⁉」


 塵が舞い、状況が確認できない。ヘッドライトを強めると、薄煙の向こうに人型の影が見えた。その影は、右手でチェーンソーの刃を握り、左手で万能マニピュレーターの拳を受け止めていた。軽く膝を曲げると、立ち上がる勢いで重機の両腕を思い切り跳ね飛ばした。


「おわわわわ!」


 バランスを崩して転倒しそうになるのをなんとか制御する。だが、ただでさえ操縦が困難な人型重機の中でも左右の重量比が異なるという非常に繊細な扱いを要求される《カニさん》を、すぐさま使いこなすことは難しい。何歩もよろけて後退しながら、何とか両手をついて転倒だけは回避した。


「すごいわ、今のは新しいダンスかしら。今度お遊戯会でも開きましょうか。」


 粉塵の中から、その人影は現れた。声は先ほどの女のようであったが、姿はまるで違う。普通の人間よりも一回り大きく、全身が黒光りする金属に覆われている。肩と胸、腰は膨れ上がっているが、四肢はすらっと細身である。横に長い耳のようなものが生えた頭部には、赤く光る二つの目のようなものが見える。


「な、ななな、なんだそれはぁ!」


 黒い人影は肩を竦める。


「あら、あなた科学者のくせに知らないのね。まあ、あなたは化学者らしいし、仕方ないのかもしれないけど。」


 こともなげに荷台の残骸をひしゃげて道を作り、淡々と歩いて迫ってくる。


PS(パワーサポーター)よ。どこにでもあるでしょ?」


 医療現場や災害現場等で用いられる、電動の小型機械。人間の腕などに装着し、筋肉の動きに従ってそれを補助(サポート)する。男の知っているパワーサポーターとはそういうものだった。だが、いま自分に迫りくるそれは、明らかに未知の存在だった。


「ぱ、PS(パワーサポーター)だと?ふざけるな!なんなんだよぉ、それはぁ!」


 声が裏返る。圧倒的優位が崩れ去るのを感じながら、男はただ叫ぶしかできなかった。


「だから言ってるじゃない。PSよ、全身用(フル)の。FPS(フルパワーサポーター)ってところかしら。名前は『鉄十号』!」

「ば、ばかいえ!そうだとしても、そんなダセェ名前でそんなパワーなんて…。」

「ごちゃごちゃうるさいわね。ちゃんと現実を見なさいよ!」

「い、いやだあああああああ!俺はそんな現実、認めねぇぞおお!」


 錯乱した叫び声をあげながら《カニさん》の右足を上げ、女を踏みつけようとする。しkし、女はこともなげに両手を上げて受け止めるが、きしみを上げながら、全重量を込めて押し込んでくる。力自体は拮抗しているようだったが、絶対的な質量の差は大きい。やがて女の両脚がアスファルトに食い込み始めた。


「ひゃは、ひゅは!どうやら俺の勝ちだぁ!そのまま埋まってしまえぇい!うっひょーー!」

「だから…いい加減、学びなさいよぉ!」


 女が気合を入れながら、足の裏を勢いよく押し返した。

いとも簡単に重機の足が宙に浮く。片足でなんとかバランスを取ろうとするが、今にも倒れそうである。


「ば、ばかなぁ!」

「さっきだって投げ飛ばされたでしょう⁉」

「しまったーー!その通りだーー!」


 情けない会話をしながら、女は重機の腰のあたりをめがけて飛び跳ねた。軽く跳んだような仕草にも関わらず、その突進はかなりのスピードだ。バランスを崩しかけていた重機は、その最後の一押しによって、音を立てて後ろへひっくり返った。


「こいつ、バカなんじゃないかしら…。」


 女は呆れたように呟きながら、重機の胸に登る。操縦席の強化ガラスから覗き込むと、男が気絶していた。やれやれとため息をつきながら、ガラスを引きはがす。その瞬間、気絶しているように見えた男が急に動き出し、隙間から外に逃れようとした。


「もうその手は喰わないわよ!ゾンビハンターを舐めないで!」


 だが、こともなげに頭をつかまれる。


「うわっ、放せ!俺は天才なんだぞ、俺の頭脳をないがしろにすると——。」

「うるさい!」


 手のひらから電流が放たれる。ビクンと一度跳ねると、男は力が抜けたようにぐったりとした。


 遠くからサイレンの音が響いてくる。おそらくここを目指しているのだろう。男の両腕を後ろ手に縛りつつ、戦闘の跡を見渡す。


「後処理、すっごく大変そう…。」


 争いの勝者には不似合いな、憂鬱なため息をこぼす。


「だめだめ、めげちゃダメよ。織原怜。お仕事なんだから…。」


 女は、自分に言い聞かせるように呟いた。


次回予告


次回はようやく男主人公の登場!日本は浜風市の高校生、玄助を狙う三つの黒い影。その目的は?正体は?そして浜風の海に響く幼馴染の少女・華の悲鳴!巨大な陰謀の渦が今、二人を飲み込み覆い隠す。その先で玄助が出会った謎の少女とは!?

次回『巨神弾劾アイゼンエルフ』第二回、『想定外で最悪な出会い』

お楽しみに。

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