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The thing I fear most is fear. 1

 家に着くと、早速かすり傷の手当をする夏美。呼んだわけでもないのに、さも当たり前のように家に上がり込む阿偉矛に文句は言わず、自由にさせていた。しかし、家の中――しかもリビングの真ん中で、よりにもよって夏美が日常的に腰掛けるソファに座って煙草を咥え始めたから焦る。

 手近にあったハサミを掴み、刃を開いて投擲。煙草に火がついた場所だけを器用に切り落とす。代わりにハサミの刃がフローリングに刺さり傷ができてしまったが。

 火を強制的に消された煙草を人差し指と親指で挟んでしまうと、阿偉矛は両手を上げて降参を表明。諦めたように首を振る。


「おっけー。オレの負けだよ。だから刃物は――聞いてる? 煙草しまったよね? そのカッターは何?」

「貴方がボクの家に上がるのは百歩譲って許そう。助けてもらった恩もあるし、何より聞きたいこともできたから。ただし、いくつか条件がある」

「お、おう」


 気圧されるように頬を引きつらせる阿偉矛は静かにその条件とやらを聞く体制に入る。


「一つ。ボクは煙草が嫌いだ。一つ。ボクは男が嫌いだ。一つ。ボクは汚いものが嫌いだ。一つ。ボクはいい加減な人種が嫌いだ」

「……つまり?」


 ひらりと。一枚の長方形の紙が舞う。それを掴むと、阿偉矛はまじまじと観察する。

 一万円札だった。

 これをどうすれば良いのだと夏美に向き直ると、不機嫌そうな顔の美少女は言う。


「まずは風呂に入ってきて。あとは洗濯。近くに安い銭湯がある。ついでに洗濯機も。一万円それだけあれば足りるでしょ? その合間に煙草でもなんでも吸えばいい」

「要するにこれで綺麗にしてこいってわけね……はいはい」


 確かに水浴びをしたのは二日前だったなと思いながら、四十手前ならではの独特な匂いを醸す阿偉矛は仕方なく夏美の言うことに従った。

 というのも、夏美に阿偉矛は敵わない。先日もコテンパンにされたからわかると思う。それを見越しての夏美の行動だろう。


 それに、と。

 整理する時間が必要なのも当然だ。もちろん、この場合整理をするのは夏美の脳内の話であって、阿偉矛は全く関係ないわけだが。風呂と洗濯と煙草。短く見積もっても三十分以上はかかる。それだけあれば、余裕を以て感情や記憶や置かれた状況の整理は行えるだろう。


「んじゃまあ、行ってきますかね」

「早くしてくれ。臭う」

「ひどくない? ねえ、ひどくない? おいちゃん泣いちゃう――」

「死にたくなければ喋らず歩け」

「イエスサー」


 半分逃げるようにビニールシートが掛けられる簡易的な修理をされた窓から飛び出して、そそくさと近所の銭湯へと歩く阿偉矛。

 その背を眺めながら、小さく息を吐いて汗だくのTシャツやショートパンツを脱ぐ夏美は、下着のまま、壁に特大の穴が空いた自室へと向かう。

 本来ならばシャワーでも浴びたいところだったが、消毒をした手前、洗い流すのははばかられた。異様に静かな自室。着替えを出すためにタンスを開ける音が耳に響く。


「あれほどの衝撃の後だから、仕方ないとは言え……」


 一人が心細いなど、何年ぶりな感情だろう。

 昂ぶる恐怖は未だにその存在を隠そうとはしてくれなかった。強姦よりも強烈な印象を残した使徒の馬乗りは、やはり普通の女の子にはインパクトがありすぎた。かすかに震える手が、それを象徴しているだろう。

 汗でベタつくせいで、上手く服が着れない。夏とは言え、本来無いはずの特大の穴が空いているから風通しが良すぎるのも相まって、夏美はくしゃみをする。冷えた体を抱えるようにして、夏美はしゃがみこんでしまった。

 じわじわと這い寄る恐れは、徐々に夏美の体の自由を奪っていく。加えて、夏の夜風により体温でさえも奪われていき、さしものクールさをもつ夏美の目に涙が浮かぶ。


「そう言えばよ。オレ、石鹸とか――――オレは何も見てないぜ?」


 どうやら、石鹸を取りに戻ってきて、夏美を探していたらしい阿偉矛と一瞬目が合う。

 下着姿で涙目。この世の恥ずかしさを集中砲火したような羞恥の姿を見られて、一瞬の硬直の後に、夏美の顔は茹でダコの如き赤さを帯びる。

 扉を閉めていなかった夏美にも非がある。しかしながら、ドアをノックせずに部屋の中を覗き込んだ阿偉矛のほうが何倍も重罪と言えるだろう。なにより、夏美は泣き顔のみならず、下着姿を見られたのだから。

 だから当然。阿偉矛は夏美の鉄拳制裁を受ける義務があるわけで。


 熱を取り戻す夏美。あまりの恥ずかしさで恐怖を忘れたおかげで、先程苦戦していた着衣も余裕でこなす。そして、大きめなシャツを着ただけの姿で部屋を飛び出した夏美は、冷たい視線を阿偉矛へ送る。


「待て。怒るのは十分わかるが、まあ少し待て」

「言いたいことはそれだけ?」

「待って? 今遺言考えるから。そうだな――ごちそうさま……は違うし。もっと飯を食え? は流石に手遅れな――」

「死ね」


 白く美しい夏美の御足で再び金的を食らわせられる阿偉矛は、梅干しの酸っぱい成分を凝縮した罰ゲームに使用されるクエン酸の塊を無理矢理口に入れられたような顔で、股間を押さえる。

 それだけでは飽き足らず、部屋にあった国語辞書を手に持って阿偉矛の下へと戻る。


「ちょ、何する気? え、殴るの? それで?」

「安心して。貴方は死なないんでしょ?」

「だから! 痛みは! あるんだよ!」


 逃げようとするが、股間への致命的な深手のおかげ芋虫のようにしか動けない。

 それでは到底逃げられない。特に鬼神と化した夏美からは。

 手に持つ辞書を振り上げ、怒りに震える夏美は告げた。


「記憶がなくなるまで殴るだけだから」

「その前に死ぬわ! 待てって! そ、そんなことしても人の記憶は――」


 ぎゃという悲鳴と、鈍器で肉を叩くような音が近所に響いたという。その詳細は結局誰にもわからず仕舞いだったが、よもや美少女浪人生が不老不死者を殴り殺している音だとはついぞ思いもしないことだろう。

 もちろん。記憶がなくなることはなく、夏美のストレス発散として散々殴られた阿偉矛は、百歩譲って引け目を持った夏美の許可で早瀬川宅の風呂を借りられることになったが、阿偉矛は全然嬉しくも無いだろう。

 こうして夜は更ける。

 そう言えば夜食を食べることも忘れて、夏美と阿偉矛は使徒について語り合う。

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