When it is dark enough, you can see the stars. 5
「あの、もしかしなくても失礼なこと考えてない?」
「いいえ? それよりも早く助けてくださいクソ野郎」
「ほらやっぱ! てめ、覚えてろよ!?」
小説の主人公の如き察しの良さで心の中を見透かされかけたが、それを隠しきれずについつい言葉に出てしまう。しかし、なおもポーカーフェイスを崩さない夏美に、首を振りながら仕方なさげに助けると公言した阿偉矛が近づく。
だが、夏美の中の阿偉矛の強さは一般人以下だ。少なくとも引きこもりがちな浪人生に簡単に殺されてしまうほどには弱いと想っていた。
けれど、その評価は非常に遺憾だが再評価が必要のようだ。
近づく阿偉矛は、夏美に馬乗りして鼻息を荒くしている使徒をまるで道の真ん中にある小石を退けるようにまるで力のこもっていなさそうな蹴りを食らわす。いや、食らわせたはずだ。夏美の目には一瞬のことすぎて何が起きたのかさえわからない。
阿偉矛のつま先が触れたと思うと、そこにあった使徒の姿が忽然となくなったのだ。少しして遠くで衝撃音が啼く。
「…………」
「ん? どした、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして…………まさか、オレが使徒を殺し回ってるって嘘だと想ってたわけ? おいおい。こう見えておいちゃんは嘘が大嫌いなんだぜ?」
ほんと見るからに胡散臭そうな姿でどの口が言うのだろう。
自由になった夏美は上半身を起こして、足にかすり傷を発見した程度で目立った外傷がないことを確認する。そうしているうちにも蹴り飛ばした使徒を眺めていた阿偉矛に視線が向く。
「貴方の好き嫌いは正直どうでもいいけれど、まあボクを助けてくれたことには変わりないかな……ありがと」
「おぉん!? すまん、も一回言ってくんね? 歳取ると耳が遠くってさ! も一回感謝の気持ちを言ってくんね!?」
「死ね」
「おぉう……とうとうおいちゃんの耳は壊れたようだな。愛してるが死ねに聞こえたぜ」
腐っているとすれば初めからだろう。なにせ、夏美は一言もそんなことを言った覚えはない。
調子のいい阿偉矛にため息を吐きながらも、諦めたように飛ばされていった使徒の行方を追う。
いわゆる人払いをされている近所では人っ子一人いないどころか、想像以上に大きい衝撃音で顔ひとつ見せやしない。付け加えるならが、使徒は鎧に傷がついた程度で未だ万全の状態だった。
さて、助けに来たということは勝算があるということだろう。使徒を殺すことを生業とする本領は未だ見れず、さりとてここで本領を見せなければ、阿偉矛曰く大嫌いな嘘つきになってしまうわけだが。
果たして……。
「それで?」
「なんだー?」
「どうやって倒すの?」
「あぁん? そうさな……動かなくなるまで殴るか。粉々にするか。まあ、やりようはいくらでもあるけどよ……そうだ。お嬢ちゃんはどうしてほしい?」
はて、難しいことを聞く。このご時世、注文で締め方を変える業種があるだろうか。いや一つだけあるか。今も存続しているかは目下不明だが、たった一つだけ。殺し屋という業種だけが。
しかし、ここで再び悩む。
夏美は使徒とやらに膝にかすり傷を付けられた程度――厳密には暗闇の中で追いかけ回されたという恐怖もあるが――しか被害がない。つまるところ、殺害するほどの恨みを持ち合わせていなかった。
恨みもないのに殺しをするのは政治家か王家くらいで十分だ。一般人でありたい夏美は正当な理由が無ければ殺しは容認できない。
と、悩む夏美にニヤついた顔で阿偉矛が告げる。
「ちなみに、ここでやつを殺さないと――いやまあ、殺しても同じだけど、ともかく。やつを殺さないとやつの仲間が数を増やしてお嬢ちゃんを追いかけ回すっていう――――」
「よし、貴方の知る限り最も酷くて苦しくてつらい殺しを要求する」
「分かってるじゃないか嬢ちゃん。あいよ、承ったぜ」
たった今、これからずっと追いかけ回されるという地獄を知った夏美には人並み以上の恨みを使徒に持った次第だ。夏美は容姿は可愛いし、聡明で優しいところもある。ただ、阿偉矛と自分に危害を加えようという存在には容赦しない。
依頼を受けた阿偉矛が動く。すでに立ち上がっている使徒に向けてゆっくりと着実に近づいていく。
「Arrrr。Arrrrrrrrrrrr!!!!」
まるで激高する獣の雄叫びのように使徒は叫ぶ。それを耳に人差し指を突っ込んで片目をつぶりうるさそうにする阿偉矛は、咥えていた煙草を地面に吐き捨てた。
「るっせーな。おちおち煙草も吸えやしねー」
怒涛の直進を見せる使徒は右腕をしなるように振り上げ、勢いのまま阿偉矛を縦に両断しようとその腕を振り下ろす。だが、それを読んでいた阿偉矛は事前に右足を軸に九十度回転し、凶悪な一太刀を難なく避けてしまった。
あまりの衝撃で剣が地面に突き刺さり抜けなくなった使徒の右腕の肘の関節に右足を乗せ、思いっきり体重をかけることで耳によろしくない音と共に使徒の右腕がグニャリと歪む。
音が痛そうで、さらには耳を塞いでも聞こえてくるものだから夏美は顔をしかめる。
「おっとわりー。こんなに脆いとは思わなくてよ」
「Arrrrrrr!?!?!?」
まるで悪気がなさそうな阿偉矛。もちろん、嗤っているから本当に悪気など無いわけだが。
対する状況が理解できていないようすの使徒は悲鳴を上げていた。
それでも戦意は失われていないようで、右腕がお釈迦になったというのに、視界に入る阿偉矛を排除するべく左腕でなぎる。
対する阿偉矛も悠然とそれを背後にジャンプして避ける。右腕が落ちてしまいそうになりながらも立ち上がる使徒に、すでに勝利を確信した笑みを見せる阿偉矛は右手を前に向け、人差し指をクイクイさせて挑発を思わせる。
「腕もある、足もある、大げさな翼だって付いてるだろ? 来いよのろま。駄神の使いなんだから、逃げ帰るなんて言わねーだろ?」
もはや怒りで叫ぶことすらしない使徒がまた愚直にも真っ直ぐに突っ込む。しかし、武器となる左腕の横薙ぎは避けられ、挙げ句掴まれて落ちそうな右腕までも捕らえられた。
両手で使徒の両腕を掴んだ阿偉矛は使徒の胸と腹に足をつける。
「とれーなーおい」
ガコッベキッバリバリッ。
両腕を掴んだまま、両足で腕を引き抜くように力を込めた阿偉矛。そのせいで、艶めかしいグロテスクな音が少し離れた場所にいた夏美の耳にも届く。
やがて、完全に引きちぎられた両腕で腹部を殴られ、あまりの衝撃で数メートル転がる使徒。仰向けで落ち着いた使徒に、休ませようとしない阿偉矛は自由な両足を掴み、そして……。
「テキサスクローバーホールド……使徒にも有効なのか……」
極々稀にプロレスを見ていたおかげで、阿偉矛のやっていることがわかる夏美は人間が人間に行う技が使徒にも通じるということに頬を引きつらせた。
テキサスクローバーホールド。仰向けになった使徒の足を4の字のように固め、そのままエビ固めの要領で裏返してキメる。というプロレスの技。見た目は地味だが、その威力はお墨付き。本気でやれば、背骨を砕くことすらできる関節技だ。
そして、プロレスの試合であれば相手のギブアップでほどかれるものが、今回は止まらない。やがて、プラスチックが砕けるような鈍い音が響く。
「Arrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!」
使徒の叫びも虚しく。背骨――使徒に背骨と呼ばれるものがあるのかはわからないが――は完全に砕け、曲がってはいけない方へ力なく落ちた。
それでも生きているらしい使徒の横腹を蹴り、強制的に仰向けにする阿偉矛は、嗤っていた。何がそんなに楽しいのかはわからないが、嗤う阿偉矛は仰向けの使徒に馬乗りすると、使徒の口と思われるところに両手を突っ込み、まるで無理矢理開くように上下に力を込めた。
再び耳によろしくない音が聞こえるが、もう夏美は慣れた。
すぐに顎が砕かれた使徒は、グロテスクな口を開けたまま動けずにいた。そこに阿偉矛は何やら唱え始める。
「謳え躍れ、嗤って喰らえ」
全てが済むと、阿偉矛の右手には一つの無花果が。
三日月のように釣り上げられた怖いくらいのニヤつき顔でそれを開かれた口に腕ごと押し込むと、阿偉矛は語る。
「さて、お前は体内に惑星の最後を内包し続けられるかな?」
「!?!?!?!?」
ようやく動き出したがもう遅い。馬乗りから立ち上がり、新しい煙草を咥えてジッポライターで火を灯す。
膨れ上がる胸や腹。辛うじて筋肉で動かせた両足が、見苦しい姿を見せ続ける。
済んだと言いたげな阿偉矛は人並みまで表情を戻してニヤリと笑いながら夏美の下へと白い煙を吐き出して歩み寄ってくる。
けれど、夏美の目にはなおも膨れ続ける使徒だけが写っていた。理解が追いつかない戦い。女子であるが故か、それとも阿偉矛と使徒という人類ではありえない存在であるからか。ともかく、夏美の脳では視界の中で起きたことすべてが理解不能だった。
ただ、一つだけ。
阿偉矛がただの小汚い愛煙者ではないという真実が、夏美に非日常の到来をこれみよがしに突きつけてきた。夏美の平穏な日常は今日、この瞬間を以て、完全瓦解の音を高らかに響かせる。それはゆっくりと着実に。確実に精密に。しかして妙にスカしたようにおちゃらけて。
御門阿偉矛という平穏ブレイカーは語る。
「どんなに暗くとも、星は輝いているものさ。たとえそこが絶望の最中であってもなお、星はオレたちを裏切らない」
やがて耐えきれなくなった使徒の体が見事に破裂する。
原理はわからないが、まばゆい光が写り、目をそらす。おそらくは、阿偉矛はこの光を星の光だと言いたいのだろう。
「オレが何度だって輝かせてやるよ」
「……え?」
「言うのが遅れた。助けに来てやったぜ。感謝しな、嬢ちゃん」
快活な笑み。不覚にも格好いいと想ってしまった夏美はムスッと顔をしかめた。
依頼通り。醜くて苦しくてつらい殺しだった。見るに堪えない見苦しい様相に、さしもの夏美もご満悦という他なかろう。
助かった。その安堵から、夏美の右拳は助けに来るのが遅れた阿偉矛への制裁として金的を食らわす。
一瞬にして青い顔になる阿偉矛は目頭に涙を浮かべて股間を押さえながら、しばらくアスファルトとキスをしていた。
立ち上がり、すべてが済んだことで拭うことすら忘れていた汗を拭い、股間を押さえたまま動かない夏美のよく知る脆弱そうな阿偉矛に小さく告げた。
「遅い、バカ」
頬が熱いのは、きっと怪我でもしたのだろう。しかし妙なのは、頬から血が出ていないことだろうな。