9話 再び……
「ふあぁ…… 」
翌日、孝太はあくびを噛み殺しながらキャベツの千切りを作っていた。
「眠そうだな? 夜中までなんかやってたのか? 」
孝太の向い側に立ってニンジンのグラッセを作っていた司は、孝太のあまりのあくびの多さに首を捻る。
「ん? あぁ、ちょっとな 」
「…… お気に入りのAVでも見つけたか? 」
トントントン…… ザシュ!
「うあぁぁ! 指がぁ! 」
「お、おい!! 」
真っ青な顔で指を押さえる孝太に司は慌てて菜箸を投げ捨てて駆け寄る。
「…… 嘘だよ。 AVなんて見てねーよ 」
スカン!
「あたっ! 」
司は手元にあったステンレスのボウルで孝太の額を叩く。
「少し外の空気吸ってこいよ 」
孝太から包丁を取り上げて、司は孝太と立ち位置を強引に代わる。 額を押さえ、文句を言いたそうにしていた孝太だか、『ウッス』と一言答えて厨房を出ていった。
「………… 」
カウンターから覗き見していた瑠依は、孝太が裏口のドアを閉めたのを見計らって司の横にパタパタと走り寄ってくる。
「孝太さんがあくび連発なんて珍しいよね 」
瑠依は裏口を物珍しい目で見ながら司に話しかける。
「あいつだってロボットじゃないからさ、眠たい日だってたまにはあるさ 」
トントンとリズミカルに司は千切りを続ける。
「ツカサ君もAV見るの? 」
ザシュ!
「うあぁぁ! 指がぁ! 」
「ふぅ…… 」
鉄製の重たいドアを閉めて孝太は白いため息をひとつ。
「おや、孝太君も休憩かい? 珍しいね 」
紫色のゴム手袋を嵌めて一服中だった琢磨が孝太に話しかけた。
「ええ。 司に弛んでるから外の空気吸ってこいって怒られちゃいました 」
「AVも程々にね 」
「違いますよ! 」
ハハハと琢磨は軽く笑って備え付けの灰皿に煙草を擦り付ける。
「何に悩んでいるのか知らないけど、あまり仲間に心配かけないようにね 」
ポンと肩を一つ叩いて琢磨は店内に戻って行った。 その背中を孝太は微笑んで見送る。
「…… 」
孝太がおもむろに見上げた空は一面灰色の雲に覆われ、今にも一雨来そうだ。 予報では夕方に雨、所によっては雪に変わる。 孝太は今日もまた遥が公園にいるんじゃないかと心配していた。
夕方、天気予報通りに雨になっていた。 たっくんの厨房の前を行き交う人々は、雨足が強まる前に帰ろうと足を速める。 店内には雨宿りの客が数人だけ…… 今日はこれ以上来店客は来なさそうだった。
「司君、瑠依ちゃん、今日は上がってもいいよ。 二人には特別任務をしてもらいます 」
琢磨が二枚のチケットを二人の目の前に広げた。
特別優待券 レストラン 「ラ・セーヌ」
「特別任務って…… どうしたんですか? これ 」
「僕の同級生の店なんだ。 二日前にオープンしたそうでね、是非来て欲しいとチケットを置いていったんだよ。 ディナーをコースで出してくれるそうだよ 」
「え? それじゃ店長と奥さんが行けばいいじゃないですか? 」
琢磨は苦笑いで司の手を取ってチケットを握らせる。
「いやー、普段着で入れるお店なんだけど、小さな子供を連れて行ける所でもないからね 」
チケットに書かれていた住所は南5条西4丁目…… 札幌の歓楽街すすきのの中心部に、ディナーで3才の男の子を連れて行くものでもない。
「まぁ楽しんでおいでよ。 それを持って僕の名前を伝えれば大丈夫だから 」
「あ、ありがとうございます! 」
瑠依は司の手を引っ張って事務室に消えていく。
「…… 良かったんですか? 琢磨さん 」
お先に失礼しますと私服に着替えた二人を、琢磨は手を振って見送る。
「司君と瑠依ちゃん、今日が付き合い始めて一年だって聞いたからね。 僕からのささやかなプレゼントだよ 」
「そっか、もう一年も経つんですね。 早いなぁ…… 」
「僕もこの一年、あっという間だったよ。 忙しかったからねぇ…… それもこれも君達がいてくれたからなんだけど 」
琢磨と孝太は厨房のカウンターに肩を並べ、店内の様子を見ながら語り合う。
「…… 余計なお世話かも知れないけど、丸ノ内さんをあまり待たせてもいけないよ? 気付いてるんでしょ? 彼女の気持ちに 」
「わかってます。 栞の事も、今年けじめを付けようと思ってたんですけど…… あの、店長 」
孝太がその先を口にしようとした時、雨宿り組の客が席を立ち始めた。 スッと琢磨はレジに移動してしまう。
「ありがとうございました。 雨ですけどお気をつけて 」
琢磨は笑顔で送り出して食器を下げに行く。
「話の途中だったね? 」
「あ、いや…… なんでもないっす 」
孝太は苦笑いで二人分の賄い飯を作り始めた。
「お疲れ様でした。 お先です 」
琢磨に見送られて、孝太は少し強めに降る雨の中を一本物の傘を差して帰路に着く。 自宅に近づくにつれて徐々に歩くペースは速くなり、孝太は自宅前を走り抜けて公園の急な階段を駆け上がった。
「はぁ…… はぁ…… 」
自動販売機の照明に照らされた、すぐ横のいつものベンチ。 そこには遥の姿は見当たらない。
「良かった…… 」
孝太は公園の中には入らず、ゆっくりと急な階段を下りて自宅へ向かう。
「あ…… 」
孝太のアパートの前で、向かいから歩いてくる傘を差した薄手のコートを着た女の子が孝太に気付いて傘を上げる。
「こ、こんばんは…… 」
大きく膨らんだボストンバッグを肩から下げ、制服のままの遥がびっくりした表情でそこに立ち止まっていた。




