その8
「このがきんちょはなぁー、ひとつ失敗犯したんだ」
「失敗?」
カレンが聞くと、黒庵さんが頷いて。
それはやけに優しい声で言った。
「…できなかったんだ。復活させた辻斬りのコントロールが」
できなかった…どういう事だ?
「こいつは餓鬼も餓鬼。お前らより餓鬼だ。
一族の願いを背負ってるとはいえ、やろうとしたことは身の丈が合わなすぎた。
復活させて早々、辻斬りが暴れたんだ」
まだ小さい彼だ。
うまく使役できなかったのだろう。
それは想像に難くない。
「そして、辻斬りはがきんちょに切りかかった」
でも彼は幽霊だ。
死ぬことはないだろう。
「そのとき、たまたま幽霊が視えたんだろうなぁ…通行人ががきんちょをかばった。
自分が切られるのも厭わずに。そいつの友達も視えてねぇのに必死に辻斬りを止めようとして、その姿に通行人も足を止めて参戦した。
結果、そいつらは死んだ。もうわかんだろ?」
「何が?」
「思い出せ、そりゃぁお前らだ」
…同時に、カモくんの頬に涙が伝ったのが見えた。
一一ああ、そうか。
だから、刀が通らなかったのか。
気持ちの悪い喉に引っかかった小骨のような感覚が、すぅっと溶けたような、そんな感覚。
しかし同時に、僕は信じたくないという思いにも襲われていた。
僕は生きてる。
だから、生きていたい。
“あのとき”にはなかった、生存していたい願う本能。
…“あのとき”
“あのとき”ってなに?
突然、湯水のように溢れ出したのは、“あのとき”だった。
なにかのストッパーがはずれたかのように、思い出した。
重い記憶が一気に流れ込んできた、それも大量に、だ。
情報を集めすぎた携帯が熱くなる時のように、僕は体力と精神を強く消耗した。
がくん、視界ごと崩れる。
「…あ、あああ……」
「クミ!?」
いきなり倒れ込んだ僕に戸惑うカレンの声。
そんなのよりも、ちがう、ちがうと僕の全本能が異常なまでに否定していた。
僕は、生きてる。
生きてるさ。
思いだす。
ぬめぬめとした光を放つ刃物が、眼前に飛びかかる瞬間を。
思い出す。
刃を冷たいと思った感触を。
溢れだす。
血と肉と命たち。
どうして、忘れてたのか。
疑問に思うほど思い出せた。
「…ちがう、僕は生きてる!」
とっさに出たのは、否定と存在意義だった。
自分が死んだとはどうしても認めたくなかった。
「バカなことを言うな!」
一一認めたら、本当に死ぬ事になる。
そう思って、驚いた。
人間って、本当に醜い生き物だ。
こんな一瞬で死んでることを半ば認め、そして保身に走れるとは。
こいつらは神様の警察。
きっと、もう一度僕たちを殺すつもりだ、秩序のために。
とっさに殺されるのと、死ぬと意識して殺されるのとでは、全然恐怖が違うらしい。
「視えてた、ということはやはり感受性が強いようですね」
「…なんかしたのかぁ、御先」
「意図的にこの子が閉じ込めてた記憶を放してあげただけです。
あなた様と違って忙しいので、話は早い方が効果的ですから」
「ま、1人にしか効いてないみてぇだけどなぁ」
「…ちっ」
「御先ー、行儀悪ぃぞ?」
僕の保身なんか露ほども興味がないのか、それとも予想の範囲内なのか。
彼らは呑気に会話に花を咲かせていた。
それが僕にはとても腹ただしい。
「ちょっと…どうしちゃったの!?クミ!」
「……」
全く事態が追いついてないカレンはしきりに疑問をぶつけてきた。
僕だけなのか、この状況が理解できているのは…。
カレンもヒナちゃんはわかっていないようだ。
「頭がいいのなぁ、お前」
黒庵さんが倒れ込んだ僕に近づいてくる。
もう殺す気なのか…。
そう思うとお腹の底から恐怖が込み上げてきて、全く違う人にみえてきた。
思わず身を起こして尻だけで移動し、後ずさる。
「ははっ、そこまで考えてんのかぁ
すげえや、そこのお二人さんも少しはお勉強しろ
まあもう無駄だけど」
怖い、あまりにも彼が怖い。
嘔吐感がこみ上げてくる。
吐きそうだけど、押し上げてくるそれらを無理やり胃に戻す。
脳は吐いた方が楽に命じてくるが、そんなの知るものか。
胸焼けのような気分の悪さが胸に漂うが、僕はそれを必死に堪える。
「そこまで露骨に怖がられるとなぁ。俺、Sだからイジメたくなっちまうな♪」
愉悦を浮かべて、近寄ってくる。
黒い霧でも纏ってるように、僕には恐怖の塊にみえた。
「に、逃げろ。カレン、ヒナちゃん!」
何もわかってないだろうカレンたち。
説明より先に、逃がす方が先だと判断した。
「ククッ、いいこと教えてやろうか」
「…近寄んな!あっち行け!」
後ずさる、しかし、尻ごときでは彼の長い足は、いともたやすく追いつかれてしまう。
耳元まで来て、恐怖に目をつむった。
あの変幻自在の謎な刀で、彼は僕を殺すのだ。
嫌だ、と身を固まらせ一一しかし、僕に刺激を与えたのは耳だけだった。
「…落ち着け、まだ殺す気はねぇよ」
思いの外優しい声音。
先ほどのドSとは全くちがう、まるで娘にかけるかのような。
仰天していると、ぽんっとまた頭を撫でられた。
「悪かったなぁ、つか考えすぎなんだよ…言ったろ、お前らには同情もしてんだ」
“すまなかったな、気付いてやれなくって”
やけに悲しそうに、そう言ったのを思い出した。
「…安心しろ、さすがに娘と変わらねえ、てめぇらを叩き斬ったりしねぇ」
「…てことは、いつか斬るんだな」
「悪ぃ」
「……」
オブラートに包むことも、表面上の否定もなかった。
そのおかげで、というのは皮肉なのだろうか。
僕は随分と受け入れられた。
お陰で落ち着くことができた。
今すぐではないことの安堵なのだろうか。
それとも、それを含めた彼の優しさだろうか。
「…よしよし、怖かったな」
なでなでなで。
髪の毛をわしゃわしゃと撫でくりまわされ、そのまま押さえつけるようにぽんっとまた手のひらを頭頂部に置いて。
「御先ぃ、てめえもうちょっと子供との関わり方を考えた方がいいぞ?
頭いいから変な風に受け取られて、怖がられた」
「……申し訳ありません。子供がいない身ですので」
「…言い訳は採用しねぇぞ」
僕から離れながら、彼らはそんな会話をしていた。
呆気にとられていたカレンとヒナちゃんが僕のもとへ駆けてきて、身を起こそうとしてくれる。
「ど、どうしたんですか?いきなり…大丈夫ですか?」
「ごめん、取り乱しすぎたんだ」
心配そうに見つめてくれるヒナちゃん。
安心させて、事情を話さねば。
制服の臀部についた土を払いながら立って、カレンたちと目線を同等にする。
「…二人とも、落ち着いて聞いて欲しい
僕は落ち着けなかったけど、だからこそ。
僕たちは、辻斬りにとっくに殺されてるんだ!」