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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第五章 そうして、雨上がりに
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II 晩餐の時間

 晩餐の準備をする。

 そういって部屋に消えたリコリスを見送ってから、クロードも案内された部屋に入って大きく息をついた。

「……ようやく、ここまで来たか」

 長かった。

 自分が体験した、どの任務より長かった。


 リコリス・インカルナタ、歴代最強の魔術の神子。

 今にして思えば、常日頃から「魔術さえなければただの女の子だ」と思っていたはずの彼女を過信していたのは、ほかでもない自分だった。リコリスが魔術を使える状況ならば、負けることなどないと考えていた。

 ―――なんて慢心。彼女を守る、と何年も前に決めたのに。そのために、今まで行動してきたというのに。

 クロードは目を閉じて目頭を押さえて、自分の失態を思い出す。焦るあまり彼女に怪しまれてしまうし。リコリスに自分の秘密(・・・・・)が気付かれたら、すべて終わってしまう。

 けど、まだ気付かれてはいない。

 ならば、まだ打つ手はあるはずだ。

 目を開ける。彼に残された選択肢はあまり多くない。クロード・ストラトスはまたひとつ、彼女に嘘を吐くことを決めた。




「……まあ」「素敵です」「こんなに可憐な方の御仕度は初めてでしたわ」

 一瞬の静寂の後、満足げに賛辞する侍女たち。着替えと化粧、髪のセットを終えたリコリスはようやくね、と言いたい気持ちを我慢して鏡を見た。

 

 ティターニアではあまり見ないほどはっきりとした発色の青いドレス。随所にあしらわれた宝石は決して小さなものではなかったが、それでいて上品さを損なうことなく着ている少女の美しさを引き立てていた。形の良い鎖骨には小さな宝石のついたペンダントがかけられた。耳でも同じ意匠のイヤリングが揺れていて、小さな顔がよく引き立つ。敢えて耳上の髪を編むだけにとどめた黒髪と白い肌、青いドレスのコントラストは目に眩しい。

 ここまで飾り立てたのは初めてだ。鏡に映った自分の、見慣れない姿にリコリス自身も言葉を失ってしまう。その様子を見て満足したらしい侍女がリコリスに尋ねる。


「いかがですか、神子様。何か気になるところがあればお直しいたしますが」

 その声にリコリスは我を取り戻す。

 普段は研究と仕事漬けだが、一応社交界入りも済ませた伯爵令嬢。晩餐の招待主に失礼がないか、油断なく確認する。が、さすが宮廷仕えの侍女たち。一点のミスもない。ただひとつ、強いて気になるところがあるとすれば。


「……えっと……、派手すぎないかしら」

「とんでもありません。若い少女と来ればこれくらいの盛装はして当然。ましてや神子様、このように可憐なお方が着飾らなくて誰が着飾るというのです」

 振り返っておずおずというと、自信たっぷりに、というか半分くらいお説教みたいに力説されてしまう。確かに(一応清貧を謳う教会の象徴である)神子という立場上、本当に自身を飾り立てるということはしてこなかった。アルバートに「お前地味。気にしすぎ」と夜会で会うたびに言われていたけれども。


 鏡をもう一度見て、確認する。……確かにいつもの自分のドレスより派手だが、ルールを逸脱したところはない。サマランカの社交界のマナーもティターニアとそう変わらないし、問題はない。ひとつ問題があるとすれば、機動力の低さ。一応いつも通り足のベルトに触媒を仕込んでいるが、スカートのボリュームでうまく取り出せなさそうなところ。

 だが約束の時間が迫っている。今さら大きく変更できないのも確かだった。

 リコリスは一秒、瞳を閉じてそれぞれの案件を精査する。


(……大丈夫。クロードもいることだし、大きな問題にはならない)

(私が間違えさえしなければ、だいじょうぶ)

 リコリスは目を開く。

 鏡に映った黒髪に黒い瞳の少女が、まっすぐに彼女を見つめ返していた。

 ―――きっと大丈夫。これで最後なのだから。




「来たか」

「お待たせしてしまい申し訳ありません」

「良い。客をもてなすのは国王の役目だ」

 盛装のクロード、エレアノールを伴って入室すると、国王はすでに席で彼女たちを待ち構えていた。立場が上であるはずの国王の行動に一瞬リコリスは驚いたものの、すぐに表情を伯爵令嬢らしい微笑に変えて席に着く。


「サマランカの料理はどうかね? 入国してから今までの料理のことだが」

「どれも美味しくいただきました。ティターニアと気候が違うせいでしょうか、食材はどれも目新しく―――」


 国王から世間話を振られ、リコリスはそつなくこなす。

 隣で見ているクロードはさすが、と内心舌を巻く。彼女が伯爵令嬢になったのは還俗してからのこと。つまり三年ほど前。その前の教会での教育は魔術などの彼女の神子としての資質を問うものばかりだった。なので、令嬢としてのマナーなどを学んだのはその三年の間。その間でよくもここまで完璧に、淑女として振る舞えるようになったものだ、とクロードは思う。

 

 次々に運ばれてくる料理。その何もかもに無邪気に感嘆し、賛辞を述べる。時折才女らしい切り返しをしながら会話を広めていく。クロードもエレアノールも会話に参加したが、リコリスほどうまく会話を持たせることはできない。


 リコリス・インカルナタは魔術のみに秀でた神子だ。魔術師としては神域の天才だが、その代償として他のすべてを失った。こういった会話術も、その影響を受けないはずがない。


 ……それなのに彼女はこの場の誰よりも輝いている。

 クロードは笑顔を張り付ける。会話の内容などこれっぽっちも頭に入らない。入るわけがなかった。

 これも彼女に隠し通すつもりだったが―――その力を使ってみよう、と思ったからだ。


 普段は使わない、あの森(・・・)で使った血流を目覚めさせる。リコリス・インカルナタを探すために思わず使った力を、今度は意識的に使う。

 彼に魔術の才能はない。理論も知らないし、実践なぞ一生かけたって出来はしない。


 ―――だが、リコリス・インカルナタの近くで濃い魔力に当てられ続けていたからだろう。

 いつしか彼の琥珀色の瞳は、意識的に魔力を捉えることができるようになっていた。


(……なるほどな)

 みると、リコリス・インカルナタを中心に細い金色の糸が見える。また無茶を、と思ったその矢先。


「―――」

 リコリス・インカルナタが不意に、クロードと視線を合わせた。その真っ黒な瞳に気づいて、クロードは背筋を凍らせる。

 感情のこもらない、底なし沼のような魔術師の瞳。だがそれと反対に、顔の表情は可憐な少女そのままに、どこか壊れた人形のように微笑んで―――ゆっくりと小首をかしげ、唇が小さく言葉を紡ぐ。

 ―――『視えているのね』。


 表情を凍らせたクロードを見て、黒髪の神子は不敵に微笑んで視線を外す。そのあとはいつも通りの彼女だった。

 リコリスの魔術師の眼なんて何度も見てきた。けれど、今のは―――。


(いや、やめよう)

 まるで別人のようだった(・・・・・・・・)、なんて、馬鹿なことを考えるのは。

 きっとリコリスがいつになく着飾っているからだ、と思い直す。

 そんな思いを打ち消しているうちに主菜の魚料理が運ばれてくる。

 晩餐はそうして、終わりへ近づいていく。




 リコリスは、本題に入るのは主菜が終わってからと決めていた。

 国王は気さくに話しかけてくるが、それは表面上のこと。リコリスやクロードの言葉一つ、仕草一つまでもが審査されている、そんな気がして冷や汗が止まらない。

 あまりの緊張に、話していたことを脳が片っ端から忘却していく。それでも会話を続けられたのは、本当に不思議でしょうがない。

 リコリスはサマランカ特産だという魚を綺麗にフォークで切り分けながら考える。


 ……リコリスの言う本題。今回のそもそもの発端。

 黒髪黒目の人間による、王位継承者殺害未遂。今回の騒動はそれがリコリスが起こしたものだとされて起こった。


 リコリスは実際その時、セドナの襲撃に会い意識不明。―――だとすれば、当然下手人はセドナだろう。セドナに乗せられたのか、それともセドナが乗せられたのか。それ自体は調べてみなければわからないが。少なくともリコリスが冤罪であるとわかったうえで彼女を陥れたのは教会。


 ただ、この事件にはいくつかおかしな点がある。

 この事件に関わる大きな違和感と、その他の小さな違和感。きっと、この事件の本当の鍵はそこにある。

 リコリスの推理が当たっていれば、それこそがサマランカの―――そして彼女の主君である二人(・・・・・・・・・・)が仕掛けた罠であり、試験だ。


 リコリスは切り分けた魚の最後のひときれを口に入れ、咀嚼する。大変美味でした、そう賛辞してから口元をぬぐった。


 黒曜の瞳が理知的にきらめく。

 そうして、リコリス・インカルナタは静かに切り出した。


「……気になっていたのです。王位継承者のかたは、お加減はよろしいのですか」


 国王のナイフの動きが止まる。先ほどから浮かべていた微笑はそのままに、賢者を思わせる青い瞳がリコリスを射抜く。


「療養中だ。それを聞いてどうするというのかね?」

 とげのある言葉だった。両者の間に冷たい空気が流れる。

 クロードが最後のひときれを食べ終えて、ナイフとフォークを食器の上に置く。その音がやけに大きく聞こえる。


「そもそも此度の騒動は我が国の教会(・・・・・・)が起こしたこと。是非一度お会いしてお詫びをしなくてはなりませんし、我が国で下手人を突き止めなくてはなりません。お話を聞かせていただきたいのです。

 ―――その方が、本当に犯人を見たというのであれば、ですが」


 誰かが息をのんだ気配がした。

 

 リコリスは表情を変えず、視線を外さない。否、外せないのだ。

 国王の青い瞳が、リコリスを射抜いている。

 ここで目を逸らせば敗北する。そんな漠然とした予感が、リコリスの中にあったからだ。


 国王の瞳は何の感情の変化も見えない。明らかに不躾な言葉を投げかけられても尚、リコリスを観察し続けている。


「ふむ」

 そういってグラスを取って考え込む。


「これは異なことを。……面白い、続けよ」

「はい。ですがその前に、一つだけ。

 ―――サマランカの王位継承の儀。それが行われるまで王の嫡子は秘匿される。そのため他国の者はおろか、自国民さえ王子の顔を知らない。これは真実ですか?」

「いかにも。古臭い儀式だと笑ってもらって構わんよ。だが我々はそうやって国を治めてきた。私もそうだ。そこに一切嘘はない」


 頷いた国王に、クロードはわずかに驚いたような素振りをした。実のところ、同じように王の嫡子が表に出てこない国は意外とある。

 ティターニアが生きていた時代からの名残、古くから続く儀式などのせいらしい。二千年近く経つ今でも、各国それぞれの伝統を継承し続けている。―――が、それではあまりにも不便。

 王の嫡子だと発表されてはいないが、社交場や会議にそういう者(・・・・・)として参加している場合がほとんどだった。クロードが驚いたのは今この時代に本当に伝統を受け継いでいたとは、という驚きだろう。


「なるほど。では王位継承者が外で一般市民の振りをして生活していても、誰も気付かないでしょうね」


 黒を見つめ返す賢者の瞳は、今や凪いだ湖面の色ではない。期待と威圧感を含んだ、深く暗い青に見えた。


「だろうな。―――答えを告げよ、ティターニアの神子。疑念は早めに払うに限る。ただそれが、謂れなき中傷であった場合、どうなるか分かっていような」

「ええ、問題ありません。……証拠もなしに人を殺人犯と呼ぶような、斯様な謂れなき中傷など致しません」


 証拠もないのに人を殺人犯呼ばわりして、とリコリスは笑って嫌味を言う。その笑みに国王は同じく獰猛に笑った。




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