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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第四章 誰も、何も、信じない
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ⅩⅧ 神子

陣地作成、(私は根を張り、)終了(芽生え始める)。さてセドナ、本番と行きましょうか―――!」


 リコリスが不敵に笑うと、二人を囲んで円形に炎が走る。

 それはまるで壁のように二人を取り囲んだ。リコリスも背中に熱を感じる。頬を汗が伝う。いくら術者には影響がないとはいえ、精霊魔術で起きた現実の事象だ。熱ぐらいは感じてしまう。


 ―――精霊魔術。読んで字のごとく精霊の使う魔術だ。

 精霊の行う魔術は、通常の魔術師が行う術式魔術とは規格が違う。精霊はそもそも自然界を構成する元素の一部なので、それはほとんど自然現象と変わらない。

 魔術師は体内で生成される高純度の魔力を精霊に渡し、その自然現象じみた奇跡を起こしてもらう(・・・・・・・)

 

 この円形の決闘上をさらに狭く囲ったのは、セドナに逃げ場を与えないためだ。狭いとはいえ平地。体力では圧倒的にセドナが有利。その中ですばしっこく逃げられては、いつまでリコリスの体力が持つかわからない。逃げられないようにして魔術で片を付ける、というのがリコリスの作戦だった。

 

 最初から魔術を使わずあえて無理をしてまで白兵戦で挑んだのは、このためだ。

 魔術を使って遠距離から攻撃してしまえば、逃げ回られて閉じ込められることができなくなる。それに、セドナであれば身体強化に加えて糸を使った身体操作魔術にも気づくだろうと思ってのことだ。糸をわざとセドナに握らせ、懐に誘い込んだのだ。

 

 リコリスは今日の決闘で使用する魔術を精霊魔術だけと決めていた。マントの下には手持ちの触媒がすべて入っている。そうしなければ、セドナには意味がないからだ。


 糸を介して引き合う二人は、いまだに不敵に笑ったまま睨み合っている。両者ともに、次の手を考えあぐねていた。

 セドナはまさか、リコリスから逃げ場をなくしてくるとは思ってもみなかったのだろう。そしてリコリスは、セドナが動かなければ動くつもりはなかった。

 

 精霊魔術の欠点は大きく分けて二つ。

 一つは精霊自体がとても気ままな存在のため、契約がうまくいかないことだ。

 もうひとつは、戦闘での決定打に欠けること。


「本番といったな、魔術師。君は魔術師である限り、絶対に僕には勝てない」

「いいえ」

 笑うセドナに、リコリスは静かに首を振った。

  

 術式魔術であれば、理論さえしっかりできていれば大抵のことは術者の思い通りになる。が、精霊魔術はあくまで精霊が行うものだ。気ままな彼らは非常に大雑把にしか魔術を行使してくれない。そして世界を構成する要素である彼らは積極的に殺生を行わない。そういう理由もあって、戦闘で精霊魔術を行う場合はほとんど支援用にしか使われないのだ。

 そもそも仮に戦闘用に調整したとしても、セドナは対魔力体質という「特例」なのだ。対魔力体質の人間には魔力を用いて動く魔術は通用しない。


「なにが違うんだ、僕は―――」

 

 だが、セドナという神子が「特例」であるのなら。

 ―――ここに、ただ一人の「例外(・・)」が存在する。


「いいえ。―――あなたはひとつ、大きな勘違いをしている。それに」

 その、静かな声が。


「あなたの誇るモノだって、全然完璧なんかじゃない」

 その、静かな瞳が。セドナを激昂させた。


 リコリス・インカルナタ。ティターニアに次ぐ、至高の魔術師。すべての魔術師たちの到達点に最も近い、境界を超える者。

 その特徴は精緻にして緻密。美しさすら感じる、狂いのない術式と計算式。飽くなき好奇心による新たな着眼点。それを迷いなく取り入れる豪胆さ。リコリスにとって、世間でいう「有り得ない」だとか「特別」だとか表される事象はほとんどない。全て起こり得る魔法事象。ならばどんな事でも、それを魔術に引きずり下ろす。彼女が「魔術」というフィルターを通してみてしまえば、すべて彼女の支配下に置かれる。人も、モノも数も種別もわけ隔てなく。

 すべての神秘を魔術に堕とし、この世の(ルール)を改竄するもの。神を神とも恐れず、法を法と認めず。すべての真実を暴き、すべての事象を目前に引きずり下ろすもの。

 ………魔術師。彼女の性質を表すのに、これ以上に正しい言葉は当てはまらないだろう。


「炎の、檻? はっ、ついに気が狂ったか失敗作! 僕に魔術が効かないのは、君自身がよく知っているはずだろう!」

「―――Eins(一番),」


 あまりの愚策(・・)に、敵は笑いだす。魔術師の詠唱は終わらないが、セドナはとにかく可笑しかった。肩までの黒髪を揺らし、ひとしきり腹を抱えて笑った後、片目だけの黒い瞳で眼前の少女を見る。

 眼前の少女は見た目通り華奢な少女だ。いや、神子としての代償がある分、実質病人と変わらないだろう。神子の強大な力と引き換えに、ほかの能力一切を失うという代償。


「でも、僕は違う。そんな代償なんてなくたって、僕が一番強い。早い。誰にだって負けたことはない。代償なんている、そんな不完全な神子は失敗作だ……ッ!」

「―――Zwei(二番),」


 おろしていた剣を構えなおすセドナを、リコリスは冷静に見つめた。セドナの表情は怒りにも、悲しみのようにも見えた。―――おそらくは、それは自分が抱いていたものと、同じ種類のものだ。

(私たちは人である前に、神子だった)

 人が、人として生きられる権利。それを説いた筈のティターニアの御子たちは、皮肉なことにそれを与えられることはなかった。

 リコリスは完璧であれと育てられた。いつしかそれはリコリスの基本方針であり、絶対信条と化していた。魔術師として、それは結果的に功を奏したが。

(……この子には、そうではなかったのかもしれない)

 どういう風に育てられてきたのか知らないが、それはきっと――――。


「だから、失敗作である君も! そんなモノを信じた国も、人も! すべて間違いだ―――!」

「………Drei(三番),」


 同情はしないと決めた。だからリコリスは走り出したその瞳に燃える悲しみも、叫びながら震える唇も、すべてを見ておきながら詠唱を続けた。


 詠唱の三段階目。周囲に満ちる魔力の純度がぐん、とこの一言で上昇していく。炎の勢いが増していく。炎の円の内外でいつしか吹き荒れていた風が、闘技場に突如現れた魔力を拡散させていく。今やこの風でほとんどの人間が仔細に二人の会話を聞くことはできなかった。けれど、風で乾いていく目をこじ開けてでも、「見ない」という選択はできなかった。

 黒髪の少女から舞い上がり、闘技場全体に降り注ぐ金色の火の粉。あまりの強さに素養を持たない者にさえ見ることができる、視覚化された魔力。それは、魔術に親しみがないシドニアの民たちにとっては、いや、ティターニアの民にすら紛れもない「奇跡」と映っただろう。

 それほどまでに、この場は神聖で幻想的だった。


「………詠唱の、三段階目」

 誰もいないテントの中で、青年は見知った幼馴染を見ながら、思わずそんな言葉を漏らした。周りに人がいなくてよかった、と安心する。

 観覧席は風で吹き散らされたことで薄められているからいいものの、この至近距離では息をすることすら難しい。並の人間であれば二呼吸すれば肺が破裂する。これはもう、神代の空気と言っても過言ではない。さすがに、こんな状況で素人の演技は難しい。だからこその安堵だ。

 だが、かの神子の偉業はこんなものでは終わらない。ほかに多重作業(マルチタスク)で魔術が動いている様子もない。リコリス・インカルナタをして省略なしの詠唱。精霊魔術。降り注ぐ高密度の魔力。 

 おぼろげな記憶をたどって単語を繋ぎ合わせた彼は、呆然とその言葉を呟いた。 

「…………決戦、術式………」


 一歩。セドナが駆けだす。

 歩いてくる足に、振り上げた剣に、いつもの速さも力強さもない。……ああ、人は冷静さを失うとああも緻密さを欠くのか、ぼんやりそう思った。スローテンポで動いていく世界で、リコリスは声を出さずに呟いた。声帯はすでに詠唱を紡ぐだけの器官になった。たった一言にさえ数十の意味を載せて発している。

 重い。この魔術はすごく重い。

 本来はこんなもの、対人用に発動するものではない。それこそ国相手にぶつけるものだ。ちゃんとした人数を揃え準備をすれば、神の権能にだって抗うことができるだろう。


 ……リコリス・インカルナタの対抗策。セドナがしている勘違い。

 突破口はひとつだけだった。

 「魔術」を破壊するセドナ相手には、「魔力」でもって打ち負かすというたった一つの必勝法。


 言うなれば「対魔術体質」。そんなもの、リコリスですら聞いたことがない特異体質だが、現にそうとしか考えられないのだから仕方がない。

 ローゼミアの屋敷で起きた術式崩壊。術式が組み込まれた首輪の破壊。町に敷かれた探索術式の破壊。反対に、単純に魔力のみで構成された異界は破壊できなかった。

 単純に考えれば分かる。セドナは魔力に反応しているのではない。魔術に反応して破壊している。

  

 フェルディナ式・術式魔術とセレニア式・精霊魔術の違いはまさにその違い。術者が精霊に依頼し、精霊は自身の魔力で自然現象を起こす。魔力の暴力。単純な魔力で起こるソレはセドナは破壊できない。だから、炎の檻は無駄だと言いながらも脱出しようとはしないのだ。

 セドナはおそらく気付いていない。魔術の知識自体がないのだろう。そしてそれを気付いた者も、忠告するものもいなかった。

 

 そして最後の切り札、―――決戦術式。

 本来なら術式なんて名前を付けることすら不自然な、最大の魔術。竜にも匹敵する魔力量を惜しみなく使う。組み上げる術式は空間に魔力を固定・増幅されるためだけに使われる。単純な目的でありながら途方もなく複雑な術式。何せ一段階組み上げるごとに世界からの修正としか思えないおかしなズレが発生するほど。数十年前にとある小国を滅ぼしたといわれる魔術は三十人もの高名な魔術師が十日間寝ずに術を組み上げたといわれるものである。

 そうして集めた魔力を精霊に捧げ、そしてさらに精霊が自身の魔力を振るう。術式は精霊の魔力すら吸い上げて、巨大な魔力の檻を作る。そして最後は膨れ上がったソレをたった一点に向けて照射する。国などひとたまりもない。

 

 生ぬるい汗がリコリスの頬を流れ落ちた。それが周囲の炎のせいか、それとも術式の重さのせいかは分からない。今回はさすがに対人、威力は原典のそれより一千分の一程度に抑えてある。

 

 近づいてくるセドナを、リコリスは静かな瞳で迎え入れた。

 向かってくる姿は、きっとあの時の自分と同じだ。忘れもしない、セドナに初めて出会い、打ち負かされたあの雨の日。リコリスは今のセドナと同じように、自分の欠点をつかれて逆上し、冷静さを失った。

 ……ああ、この子もやっぱり、同じなのか。どういうわけか今日のセドナはよく自分と被る。なれば、ならばこそ。リコリスは乾いた唇で幾重にも意味を持たせた、たった一言を紡ぐ。

「―――Vier(四番),」

  

 その一音で、比喩でなく周囲の空気の重さが変わった。リコリス・インカルナタは重力すら支配した。彼女以外の者は立っていることすら難しいその中で、セドナだけが変わらず駆けている。魔力の重圧の中で。

 リコリスは反射的に胸元をつかんだ。詠唱はまだ続いている。ここで声を上げて術式を崩壊させることはできない。思わず後ずさりしかけた足をしっかりと大地に着けて、唇をぎゅっと引き結んだ。

(どうして、立っていられ―――……いいえ、そういうこと)

 どこで推理を間違ったか、と焦るのも一瞬。詠唱に紛れてふぅ、とため息を漏らした。自分と同じ(・・・・・)だと、自分で気付いたばかりなのに。


 リコリス・インカルナタはもう一度瞳を閉じた。雑念を払う。思考が澄み渡っていく。

 そうして、ただ一言。最後の、終幕の言葉を告げた。


「―――Vor dem(決戦術式/) Sterben(終焉の際に)


 瞬間。視覚化さえしていた魔力が一点に向けて炸裂した。リコリスは姿勢を低くして衝撃波と土埃に耐える。手ごたえはあった。だが―――


「―――!」

 背後から襲う斬撃。背後に回る風切り音はすでに配下の精霊が捉えている。糸の魔術はまだ左腕に残存していた。左手には剣があった。澄み渡ったままの思考が、最速で正解を導き出す。この、理論上はありえないことだが―――切り札を破られたことは問題ではない。理論で考えたことが絶対じゃない。世界はそこまで完璧じゃない。リコリスはふっと、笑いをこぼした。


 理論なんて、それこそ自分が散々破ってきた。

 それが神子だ。理論に捕らわれない異能の力を持つ、黒髪黒目の聖女の御子。

 それが背負うモノも、その力を振るう意味も、セドナはリコリスと同じように理解はしていないだろうけれど。けれど、今まで歩んできた道は、神子であるがゆえに険しいものだったはずだ。

「……あなたも、確かに“神子”だったのね」


 振り返る。背後には教えられたとおりの光景があった。


(―――「リコリス、よく聞け。セドナは確かに早いし、斬撃も重い。だが」―――)

 リコリスは細剣を構えなおす。刺突の構え。

(―――「功を急ぐばかり、振りが大きくなる傾向がある。いいか、仕掛けるならその時だ」―――)

 余力はもうこの一撃しか残されていない。軋む体を動かして、足は鋭く大地を蹴って。


 天高く掲げられた剣先が止まる。

 セドナは眼帯で覆われていない方の目でリコリスと、彼女に突きつけられた剣先を見つめていた。剣先はその黒い瞳の、ほんの一寸前。リコリスはほんの数センチ先のセドナの瞳をまっすぐに見つめている。逃げを許さない理知的な瞳で、表情でセドナを見つめていた。


「―――どうして」

 セドナの細腕が震える。剣を掲げた腕だ。振り下ろせば決定的な何かが訪れる、と予感したからだろう。剣を下ろそうとはしない。けれど、大きな瞳から零れ落ちた水滴が、何よりもそれを認めていた。

 

 ………あのとき。リコリスは雨の中で、血だらけの体で、砂利の味がする舌でそう叫んだ。

 どうして、自分の最も誇りとするモノが破られたのか、と。

 魔力で片を付けることも出来なくはなかった。けれど、この戦いはリコリスだけのものではない。だから剣を握って立ち向かった。―――いつだって隣にいた彼が、最も誇りに思う技術をもって決着を着けたかった。


「―――クロードからの言伝よ」

 息をすることすら躊躇われる静寂の中。リコリスは誇らしげに告げたのだった。


 

 

 



久しぶりにあとがきに失礼します。作者の早見千尋です。

第一部もやっと終わりに近づきました。気づけばこの作品自体、5年も続いています。

超不定期更新ながらもじわじわ伸びるポイントとお気に入り数に励まされ、ここまで続けてこられました。皆様のおかげです、本当にありがとうございます!


そうしてあと3000PVほどでこの「真っ黒少女と六つの約束」は10万PVになります!

感謝を込めて、なにがしかの企画/短編を書き上げさせていただこうと思います。

まだ全然アイデア出てないけど。


そういうわけで、もし「アレやって欲しい!」ということがあれば感想欄などに遠慮なく書き込んでくださいませ!

「うちの子とクロスして!」というのも善処します!←


これからも「真っ黒少女と六つの約束」をよろしくお願いします!

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