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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第四章 誰も、何も、信じない
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ⅩⅦ 告げる。

 天幕の外に出た途端に、数百の視線がリコリスを射抜いた。

 敵意。好奇心。嘲笑。疑念。

 単純な単語では形容しがたい絡みつくような視線に、リコリスは思わず顎を引いた。


 円形の決闘上の周りには暖色の布で飾られた櫓が立てられ、そこから何人もの貴族や軍人が見下ろしている。ただっ広い闘技場は障害物もなく、リコリスのような魔術師にとってもっとも戦いづらい平地になっている。

 サマランカはもともと魔術師は少ないし、おそらくここは軍の訓練場を改造して作られたものなのだろうから、当然と言えば当然と言える。ただ、この視線から感じる感情を察するに―――リコリスにとって不利であることを承知した上で作られたのだろう、とも考えた。


 齢十六の娘には受け入れがたい事実。 

(ここにいるのは、全員が敵なんだ)

 リコリス・インカルナタは黒い瞳を伏せた。どうして私が、という言葉や感情を彼女は冷静に蓋をする。周りは皆敵なんだと、何度も何度もそう思ってきた。思い知らされてきた。

 私は神子なんだから、と。


 黒い瞳が俯きがちに、しかし前を向いた。ちょうど正面。闘技場の端に、同じように天幕から出てきた黒髪の人間がいる。

 肩の上で切り揃えられた黒髪。もう一つの象徴である黒い瞳は、ひとつは眼帯で覆われている。リコリスほどではないが、少年のように細い体。髪と同じ色の黒い旅装束。腰には小さな体に不釣り合いな剣。

 

 たった一つだけの瞳から放たれる視線。絡みつく数百の視線とは格が違う、強い殺意の視線だ。まだまだ遠い位置に立っているだけなのに、まるで今にも殺されてしまいそうな悪寒すら覚える。


 冷静に、努めて冷静に、リコリスは静かに見つめ返した。

 両の黒い瞳はすでに感情を写さない。

 戦士は気持ちを高ぶらせることで戦闘に酔うが、魔術師はそうではない。魔術師は一対の目のように戦場を俯瞰し、緻密に作戦と術を練り上げ、暗示で自己を高め超常の力を行使する。

 決闘のルールは単純だ。相手が倒れ伏してから二十秒経っても立ち上がらなければ勝ち。



 セドナが今までどういう風に教会の目を逃れ生きてきたかとか、教会とどういう風に手を組んだとか、今のリコリスにはどうでもよかったし、知る由もなかった。いや、そもそも相手の事情なぞに今は構っている余裕はない。


 この戦いで勝てなければリコリスは終わる。ただ、それだけだった。



 仕掛けたのは同時だった。

 互いに(・・・)剣に手をかけ抜刀する。まったく同じタイミングでの踏み込み。初手から魔術を仕掛けないリコリスに驚いたのか、セドナの動きが一瞬止まる。

 百分の一秒にも満たぬ隙。クロードであればその一瞬を突いただろうが、あいにくとリコリスはそうはできない。あらゆる手を駆使して(・・・・・・・・・・)五分に持ち込むのが精一杯だ。

 一合、二合、三合と打ち合う。セドナの斬撃は思っていた通り重い。一合交わすだけでリコリスの細腕は軋みを上げる。二合交わせばそれを支える足が悲鳴を上げる。


「――――っ」


 悲鳴の代わりにひゅう、と喉の音が鳴った。すでにリコリスの体は悲鳴を上げている。見た目通りの華奢な少女が武術に長けた神子に勝てるはずがない。負けに来たようなものだ。

 ―――そんなことはあり得ない、とばかりにセドナが顔をしかめた。剣を引いて、構えなおし、いつでも襲い掛かれる様に体制を整えながら疑問を口にした。


「お前、なぜ魔術を使わない」

 

 対するリコリスは教本通りの型で細剣を構えなおす。教本通りではあったが、すでに満身創痍であることが見て取れる、脱力した構えだった。

 歓声が聞こえる。遠くから見れば拮抗して見えるのだろうか。


「……その方が、あなたに勝てるからよ……!」

 言うが早いかリコリスは踏みこんだ。距離を詰める速度は全く一合目と変わらない。斬撃を受ける力も、反応速度も初撃から(・・・・)全く変わらない(・・・・・・・)


 一合、二合、三合。攻撃の精度も重さも、まったく変わらない。お手本のような対処。いかにも優等生のお嬢様らしい―――と馬鹿にしてしまえば簡単だ。

 一撃ごとに身体が軋みを上げている。一撃ごとに腕が、骨がひび割れていく。そんな攻撃をセドナは当て続けているのに、明らかにそうであることは見て取れるのに、動きが全く変わらない。ただ異常だ、という言葉がセドナの頭の中を駆け巡る。

 変わらず喰らいついてくるリコリスの攻撃をすんでのところで交わす。やはり攻撃の精度は変わらない。お手本のような、基本をしっかりと抑えた攻撃。だから恐ろしい。教本通りとは、すなわち理想形ということ。


「ッなら……!」

 セドナは剣劇の合間に前蹴りを繰り出す。リコリスは想定していなかったのか、それをもろに腹に受けて吹き飛んだ。四メーテルは飛んだだろうか。常人ならば失神していてもおかしくはない。ましてや、魔術の神子として代償を払った神子ならばなおさらだ。


 だが、リコリスは常人ではない。

 その攻撃を受けて、受け身を取ることもできずに吹き飛ばされてなお、

「―――」

 不敵に笑って立ち上がった。

「……くそっ、諦めの悪い……!」

 三秒もあれば詰められる距離だ。セドナは剣を構えなおす。だが、それも神速の魔術師の前では遅い。高速詠唱。リコリス・インカルナタが神話の時代に生きたティターニアと並び称される理由の一つだ。


告げる(befehl)

 灰は灰に、塵は塵に(燃えよ、燃えよ)私は戻らず、(我が手は何も、)世界を覆う(取り零さず)

 一秒。

 省略された詠唱ではない。魔術師リコリス・インカルナタの持つ、正式な呪文―――!

 黒髪の神子の右手に炎が宿る。紛れもない現実に起きた魔術事象。城ですらたやすく焼き払うであろう熱量を持つそれに、セドナは構わず向かっていく。


風は巡り、嵐となりて(揺れよ、揺れよ)私は巡らず、(我が手は何も、)世界を留める(取り逃がさず)

 二秒。周囲を風が吹きすさぶ。魔術に疎いセドナでも知っている。熟練した魔術師ならば詠唱は短縮できる。しかし、それができる魔術師がわざわざ正式な詠唱をするという意味をセドナは知っていた。

 省略した詠唱―――森で見たような魔術とは格の違うものが来る、とセドナは予感する。


 だが、それがなんだ。

 セドナは対魔力体質だ。魔術なぞ何の意味もない。いかに術式を組もうと、この身は容易く凌駕する。あの雨の日と同じように、すべての魔術を破壊するまで―――!

 リコリスは間合いを詰めつつあるセドナを泰然と迎え入れた。黒い双眸と黒い隻眼が一瞬だけ交錯する。


「……わざわざ正式な精霊魔術の詠唱をしたのは、ほかでもないわ」

 微笑みすら、こぼしながら。

「―――術式魔術(フェルディナ式)精霊魔術(セレニア式)の違いを、あなたに叩き込んでやる為よ!」

 三秒。

 右手に炎。周囲には風の檻。左手の剣は変わらずセドナを迎え撃つ。一瞬の間。炎に巻かれながらも両者は剣をぶつけ合った。術者は炎の中にあってもその影響を受けない。しかし、セドナの手には火ぶくれができていた。


(なぜ―――ッ、いやそれよりも!)

「―――はぁっ!」

「―――っあ、」

 セドナは全体重をかけて剣を押し込んだ。リコリスがその意図に気づいて声を上げる。同時に、体は先ほどと同じようにセドナを跳ね返していた。その反動を殺さず、どころか持ち前の力で加速させながら高く飛ぶ。


(思ったより、気付くのが早かったわね……!)

 リコリスは高く飛ぶ敵の姿を見ながら、自分の策が看破されたことに気づく。追い打ちの魔力弾を打つが、それはセドナの体に触れるや否や消えてしまう。


「―――そこだっ!!」

「……っ」

 叫んだセドナが空中で剣を振るう。その瞬間、リコリスは支えをなくしたように膝をついた。まとめていた黒髪の房が片方落ちた感触がした。着地したセドナと睨み合う。


 膝をつくリコリス・インカルナタと、立ったままのセドナ。

 勝負は着きつつあるように見える。立会人が前に進み出る。彼が宣言を出してしまえばこの戦いは終わる。だというのに、リコリス・インカルナタは膝をついたままだ。 

 会場は水を打ったように静かだ。誰もが二人の動きに注目している。

  

「………どういうことだ、これは」

 セドナが空中で切ったものを掴み、引き寄せる。すると、引っ張られたようにリコリスの腕がセドナを指した。リコリスの腕に、かすかに目視できる程度の糸が絡みついている。腕だけではない。足など、あらゆる可動部分に、まるで操り人形のごとく巻き付いていた。


「……あなたの動きは見切ってる。けれど代償を払っている私の体では、あなたには到底追いつけない。魔術師らしく、知恵を絞って考えたのがそれよ」


 魔術に関して問われれば答えなければならないのが、リコリスが自らに課した制約だ。魔術師として、強くなるために。―――完璧になるために。


「魔術の糸での自動制御、考えたな」

「本当に見下げ果てたお馬鹿さんね。自動なんかじゃなくて、私がその場で判断する。多重作業の容量七つのうち三つも使った、手動(マニュアル)方式よ」

「……別に、どうでもいいけど。それでどうする? このまま負けを認める?」

「まさか」


 糸を引っ張る。リコリスが腕を引かれまいと、膝をついたまま踏ん張った。不敵な笑みはそのままに。黒曜の瞳は、変わらずセドナを射抜いた。


陣地作成、(私は根を張り、)終了(芽生え始める)。さてセドナ、本番と行きましょうか―――!」


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