ⅩⅣ ローゼミア・コルロッテ
馬車の中は、無言だった。
リコリスは無表情で俯いている。あえて他人の様子を見てはいないが、視線を感じることもないので、きっと全員がほかの人間と目を合わせることもなく、沈黙を保っているのだろう。
六人用の馬車に乗り換えたはいいが、やはり狭い。そう感じるのは、広さの問題だけではないだろう。
リコリス・インカルナタとて軍人だ。外見は可憐な少女であっても、殺した人間の数は両手を使っても数え切れない。リコリスが大佐となったのも、同盟国として介入した戦争で一個師団殲滅という武勲を上げたからだ。
リコリスは両手を開いて、三つ、指を折り曲げる。今回の犠牲者の数を、もう何人かも分からなくなった合計に追加する。
「彼女が神子だった」―――という理由で死んだ人間は何人いるのだろう。リコリスはそう考えるのは、今回が初めてではない。大佐に昇格した理由を思い出すとき、また新たに殺すことになったとき、左腕の強化術式の刻印を見たとき。そのたびに背筋が寒くなり、あの大理石の冷たさを思い出す。死にたての人間の血のあたたかさを思い出す。
その先は考えないようにしていた。次に彼女が導き出すのは自分という存在の否定だ。
それはいけない。それを否定しては、彼女が殺した人間はそれ以上に無価値な存在に成り下がってしまう。
だからこそ、リコリス・インカルナタは立ち止まらなかった。立ち止まるわけにはいかなかった。
「着いたようです。みなさん、降りましょう」
馬車が止まる。オーランドが沈黙を破る。窓の外から、見覚えのある屋敷が見えた。
夢であってほしい。どうか夢であってほしい。
リコリスはそうつぶやくのを必死で自制した。
「だって、どうして、このタイミングで!―――そう顔に書いてありましてよ、リコリス・インカルナタ!」
「………ローゼミア・コルロッテ」
リコリスは大きく嘆息して、目の前で笑う銀髪の令嬢の名を呼んだ。
―――ローゼミア・コルロッテ伯爵令嬢。
サマランカでは珍しい魔術師の一族の末裔。文献を紐解けば彼ら一族の者と思わしき人物が散見される。確証はないし、だとしても血が混ざり過ぎて初代からかけ離れているだろう彼らが“コルロッテ”だと推論されるのは、その規格外の魔術スタイルのせいだ。
格闘バカ。
リコリスの養父、インカルナタ伯爵はかつてそう評価した。徒手空拳とフェルディナ式魔術を組み合わせた戦闘スタイル。初代コルロッテは古今東西、すべての格闘スタイルを学び倒したのちに、魔術を学んだという。
肉体的に最強と知性的に最強が合わせれば、それは史上最強に最強じゃないか、と。
―――そうして現在に至る。
この一族は馬鹿がつくほど一直線だ。語るまでもない。魔術を道具とした彼らはティターニア王国を離れ、彼らとよく似た気質であるサマランカに根を下ろし、ここまで来た。ただそれだけのことだ。
小難しい理屈も、理解はするが運用はしない。魔術師としては破格の才覚を持つ彼らだが、彼らは肉体の研鑽の手段として魔術を使った。初代の方針は間違ってはいない。ただひたすらに強さだけを見た彼らの進化には無駄がない。
魔術師でありながら魔術師の天敵。リコリス・インカルナタの一夜の宿として抜擢されたのも頷ける。
「クロード様! クロード様もお久しぶりです! ああ、こんな形で出会うなんて私達、やはり運命かしら……!」
一瞬リコリスと睨み合ってから、後ろにいたクロードに駆け寄っていく。何気なく手まで握りしめている。まるでようやく再開を果たした恋人のような一幕だがクロードの表情は困惑に満ちている。「あ、ああ」と返すのが精一杯だ。
ローゼミア・コルロッテとリコリスは初対面ではない。それがインカルナタ家の役目でもある。あるのだが、その場にクロード・ストラトスがいたのはリコリスにとっても予想外だ。クロードはもともと顔は整っている方だ。加えて物腰が穏やかで、表情を変えないところがミステリアスで素敵、というのは軍の食堂で小耳に挟んだ彼への評価だ。
リコリスも、彼の顔は整っている、ほうだと思う。物腰が穏やか……だ、基本的には。怒った時のクロードは怖い。少し強引なところさえあると思う。表情を変えないのは―――
『……だから、俺のことは聞いてくれるな』
数時間前にもった、彼への疑念を思い出す。彼は何を隠しているのか、どうして話してくれないのか。自分だって、同じだけれど。彼はいつも通りのポーカーフェイスだったが、すがるようにそう言った。情けなくも泣きそうになった自分と同じ表情をしているのではないか、と思ってしまうほどに。
「屋敷の提供を感謝します、ローゼミア。客人を連れていきたいのですが」
と、馬車をあとからやってきた銀髪の軍人、オーランドがいう。
「わかっていますわ、お兄様」
彼女は口をとがらせて了承した。名残惜しそうに手を離すと、部屋に案内します、と先導した。
今、何かおかしな単語が聞こえた気がするが。言われた本人は当然のように頷いて、リコリスに彼女に続くように促した。
「…………………………………………………は?」
あまりのことに数秒の間をおいて反応を返す。初めて銀髪の男はくすりと笑った。
「実兄ではありませんが。いとこです」
「リコリス・インカルナタ、あなたはこちらに。セドナ様、あなたは隣室です」
コルロッテ家の屋敷は古い。ティターニアの魔術師連中と違って屋敷を工房化するための改築が必要ないからだ。それよりも、格闘の鍛錬中に屋敷を誤って破壊したりしないよう、魔力によって純粋な強化がされている。案内の途中、セドナは古い貴族の屋敷が珍しいのか、装飾に手を触れてはオーランドやエレイシアに窘められている。
その様子を見ていると、セドナが自分と同じように、ただの年端もゆかぬ子供のように思えてくる。リコリスは首を振ってその考えを打ち消した。
神明裁判が始まれば殺し合う仲。開戦の発端を作った大罪人だ。そんな考えを持っては戦えない。リコリスは永遠に幼馴染の主君のもとへ戻れない。
「クロード様たちは上の階に。リコリスの監視は私、セドナ様の監視はお兄様とエレイシア様が。異論はありませんね」
ローゼミアはきびきびと言って振り返る。そこでエレアノールが初めて口を開く。
「私たちとなぜ分けるのですか? それとおねえさまにだけなぜ様をつけないのです!?」
「リコリス・インカルナタにつける敬称などありません。それと、代理人と本人たちをわけるのは神明裁判の決まりです。待遇を同格にすることも。むしろ今までが特例だったのです。文句があるのなら私を倒してからどうぞ、童話使い」
そういわれては何も反論できない、とエレアノールは口を閉ざす。それを全員の肯定と受け取ったのか、オーランドがセドナを促す。
「さ、あなたもさっさと―――」
ミシ、と嫌な音に振り向けば、隣室のドアノブを握ったセドナが呆然と突っ立っていた。オーランドもしばしそれを呆然と眺める。
「………二百年ぶりの屋敷の損壊ですわ………」
セドナが手を放す。ドアノブは地面に叩きつけられ、まるで砂糖細工のように砕け散った。