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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第四章 誰も、何も、信じない
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ⅩⅡ 知られてはならない

 突きつけられた剣先は寸分の狂いもなく頸動脈に当てられている。クロウは背後に静かな殺意を持った邪魔者の存在を認めた。


「その汚い手を離せ。離したら両腕を上に上げろ。抵抗すれば殺す」

「……なんと。野蛮だなあ君は!ついでに聞いておこう。どうやって見つけた?」

「あいにくうちの神子様の血とそれに宿る魔力は一級品でね。あんたが好き勝手傷つけまくってくれたおかげで、漏れだした魔力から追跡できたというわけだ」

 

 相変わらずのポーカーフェイスだが、クロードの口調はリコリスも初めて見るほどに激怒している。クロウはその言葉に愉快そうに笑う。顎をつかんでいた手が名残惜しそうに頬を撫でた後、芝居がかった仕草で手を上げた。

 へらへらとせわしなく体を揺らすクロウを睨み付けるクロードは今にも彼を食い殺してしまいそうなほどの苛烈さを帯びている。

 

 ―――まずい。ほんとうに。こわい。

 幼馴染の姿を見て安心したのか、そんな言葉が脳裏をよぎった、じゃ、なくて。

 現状、リコリスは魔術を封じられているため、クロウ捕縛の支援ができない。クロードも見たところ単独のようだし、彼がこの異界を使って反撃に転じれば、勝ち目はない。


「クロード、」

「心配しなくても殺したりはしない。―――まあそうだな。腕の一本や二本は覚悟してもらうが」

 だからそうではなくて。

 二の句を継ごうか迷っているとクロウがくすくすと笑いだす。明らかな嘲笑に、クロードは顔をしかめた。


「私の前で、私の世界で、私の聖女(ティターニア)と言葉を交わすか」

「……聖女(ティターニア)、だと?」

 クロウは敵を疎まし気にクロードを見る。爬虫類のような、いや爬虫類そのものの眼。クロードは昔見た見世物の動物を重い出す。はるか東の南国にいるという牛すらも捕食するという巨大なトカゲだ。

 ……クロードも、一兵卒から数年で少尉の位を得た人間だ。薬でおかしくなった人間、数え切れないほどの人間を殺した殺人鬼にだって、臆せず戦った。


 けれどこいつは違う。もはやひとではない。人としてひとと認められない存在だ。

 狂っている、そんな言葉では言い表せないほど―――この存在は、決定的に間違っている。


 悪寒が走る。首筋に汗が伝う。不思議と火照る体と、反対に春の冷たい夜気に侵される手。クロードはせめて目は逸らさないよう、精一杯睨み付けた。

 戦慄するクロードを見、そして忌々しげにクロウは視線を外した。

「ふん、これ以上君となど言葉を交わしたくない。剣を交えるつもりもない。第一私は、純粋な戦闘能力が低い。よって、」

 崩れるようにしゃがみ込む。首筋をわずかに傷つけたのか、数滴の血が剣先に残る。動揺したクロードが狙いを定めるより早く、クロウはリコリスの前に膝をついた。


「ここでしばしのお別れだ、私のティターニア。また会う時を楽しみにしているよ」

「………っ」

 

 まるで婚約者にそうするかのように、彼女の頬に口づけた。

 

「んなっ……!」

 声にならない声を上げるリコリス、罵倒すらできないクロード。そんな二人に怪しく微笑みかけた。―――そうして、霧のごとく消えた。


「………消えたのか、あいつ……」

 あたりを見回す。耳を澄ませても足音一つしない。

「……そうみたい……」


 そういうリコリスの声をきいて、クロードは深いため息とともに剣を収めた。

 足元からも深いため息。言うまでもなく、磔にされたままのリコリス・インカルナタのものだ。


「……無事か?」

「この姿が無事に見えるならね。……けど、ごめんなさい。これは私だけの責任だわ。私が不覚だった」

「謝らなくていい。不覚だったのは俺も同じだ。怒りで我を失いかけたくらいだ。……それと軽口をたたけるくらいなら大丈夫だな……安心したよ」


 クロードはリコリスの前に座り、磔にしていたナイフを抜く。支えとなっていたそれをなくし、よろめくリコリスを抱きとめる。よろめきかけた彼女を抱きとめるのは何度目か。しかし浅い息を繰り返す彼女の華奢さに、何度繰り返しても慣れる気配はなかった。

 濡れた睫毛に縁どられた瞼が苦しそうに伏せられる。


「……と、悪い。止血しないとな」

 クロードはもたつく手で貫かれた腕の処置をする。血をふき取り、軍服に入っている薬を塗り、布できつく縛って止血する。と、何か違和感がする。

 もともと白い顔が失血したためか、異様なまでに蒼白になっている。汗で顔に張り付いた黒髪は乱れていて、クロードが駆け付けるまで必死にクロウに抵抗したためだろう、衣服も乱れ、スカートや足は泥まみれになっていた。


「……終わった?」

 リコリスがふいに、かすれた声でつぶやく。終わった、少し時間がたったら血も固まって止まるだろうと返すと彼女は大きく息を吐いた。


 そうして彼は、違和感の正体を理解した。ため息ではなく、集中するための深呼吸。クロードはそれがリコリスが魔術を行う時の予備動作だと、長年の付き合いで知っている。


 また厄介なモノを抱え込んで。クロードはわずかに苛立った。シドニアの町でエレアノールと話していた時にも感じた苛立ちだ。

 リコリスは神子として、常に追いつめられている。無理をすれば彼女の身体は壊れてしまう。しかし無理をしなければ彼女の心は、やはり壊れてしまうだろう。それを知っているからこそ、自分は見ているだけしかできない。そんな自分と彼女への怒りだ。

 

負傷していないほうの腕で患部を抑える。目をつむったまま小さな声で詠唱すると、抑えた腕から光が漏れだした。詠唱は続く。クロードの目には、リコリスがいつも以上に丁寧に治療しているように感じた。

 数分後、治療が終わる。顔色の悪さはそのままだが、リコリスの表情がすこし和らいだ。抱きとめた腕を離すと、リコリスはまっすぐにクロードを見つめ返す。

 どうやら違和感を感じたのは、こちらだけではないらしい。

 

「リコリス。どうして、俺が来る前に魔術で治療しなかった?」

「クロード。どうして、私の魔力を辿ることができたの?」

 口にしたのは同時だった。リコリスは同時だったことにか、それともクロードの言葉にか、驚いて一瞬目を見開いた。自分も驚きを隠せたか分からなかった。

 見つめ合っていてもしょうがないので、こちらから追撃することにする。


「それは身体強化術のような、魔術や魔術の制約によることか? それとも、アイツに怯えていただけか?」

 後者はあまり考えられない。あの男の目的は分からないままだが、無意味にリコリスを傷付ける意味はないように感じた。腕の怪我は明らかに魔術的意図を感じる。すこし挑発しただけだ。

 もっとも、こんな安い挑発に乗る方が考えられないが。


 クロードにとって、これは最大の失策だった。怒りで我を失いかけた、のではなく。本当に失っていたらしい。

 とにかく、この話をうやむやにして終わらせる。それが最優先事項だ。

 

 少し威圧するように見据えると、リコリスの瞳は揺らいだ。目を逸らさなかっただけ上出来だ。 

「……っ、私も質問しているのだけど、ストラトス少尉。あなたには魔術適性がない。つまり、魔力の存在すら感じられないはず。それなのになぜ、あなたは私が出血した程度で追跡できたの? エレアノールはいないようだけど?」

「俺も質問している、インカルナタ大佐。上官であるあなたの欠陥は、部下である私の問題だ。魔術師と剣士という関係の上でもな。俺たちは相互に欠点を補いあう間柄。違うか?」

「………この……っ」

 リコリスが唇をかみしめた。泣くのをこらえる彼女の癖。


 良心が痛むとはこういうことか、とクロードは思った。欠陥、という言葉が彼女にとって禁句であることは十二分に理解している。リコリスか幼いころから教会に完璧であることを求められた人間だ。ましてや、幼少期をともにし、理解者だと思っていた幼馴染に言われたのだ。涙目にだってなるだろう。


「……涙目で凄まないでくれよ。今のは……その、悪かった、言い過ぎた。アルはこのこと、知っているのか?」

 今にも涙がこぼれそうな黒い瞳を直視できなくて、目を逸らす。殺し文句は言ってしまったのだ、これ以上畳みかけることもないだろう。リコリスは最後の質問に、小さく頷いた。

「……ならいい。あいつが俺に言わないってことは、そういうことだろう。だから聞かない。何より、ここでは誰が聞いてるかわからないしな。ほら」


 そういっていると、丁度よく足音が聞こえる。

 木立の向こうに、夜闇でも目立つ桜色の髪の少女が走り寄ってくるのが見えた。


「……だから、今は俺のことも聞いてくれるな。お前の邪魔になるようなことは絶対にしないと誓ってもいい。それに、このことはアルバートも知ってる」

「……状況は同じって言いたいわけね。……分かったわ。アルとあなたを信じる」


「お姉さまっ!」

 走り寄ってきたエレアノールがリコリスを抱きしめる。無事を喜ぶ桜色の魔術師と、幼馴染の少女の背中を見つめる。


 ――――そう、このことは誰にも(・・・)気付かれてはいけない。

 そうでなくては、リコリス・インカルナタを救うことはできないのだから。


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