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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第四章 誰も、何も、信じない
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Ⅰ 仕掛ける

 膠着状態。

 数十秒の間、誰も動く者はいなかった。

 

 セドナのクロードの攻防は、双方無言かつ無音のうちに行われ続けている。


「………それで、どうするつもりだ」

 誰もが拮抗する大剣に注目する中、潰れたカエルのような声が事態の進展を求めた。

「……何を。ど、どうすればいいと言っているのだ、リコリス・インカルナタ」

 震える声。土気色の神父のものだった。


 セドナと共謀して奴隷取引を行った張本人。おそらくセドナ以上に、これから苦境を強いられる者だ。

 おそらく奴隷取引自体、総本山…ティターニアの、リコリスが育った教会から指示されたものだ。そしてその推測が正しいのなら、リコリスに取引を暴かれた彼はすべての責任を押し付けられ、教会から正式に破門される。要は捨て駒だ。


 また、当然サマランカにも彼の居場所はない。

 彼はいわば国を謀った、国民を騙しその品性を貶めたもの。無実の罪で隣国に戦争を挑む。これは誇り高い戦士の血が流れるサマランカにとってこれ以上ないくらいの恥辱のはずだ。

 宗主国たるティターニアに帰ることなどもってのほかだ。

 

 故に彼は、この膠着状態を動かす術を持つ彼女に頼るしかない。


「どうすればいいか、なんて。わかりきったことでしょうに」

 あきれ返った顔で、黒髪の美しいティターニアの軍人は言う。


「国王陛下に会いに行きます。―――神明を、問うのです」



 神明裁判。

 何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法―――広く、世間一般的に見ればそうだ。

 ティターニアでは法律遵守した裁判が一般化し百年ほど前に廃れたものなのだが。近隣諸国では少数ではあるものの未だにこの神明裁判が用いられていると聞く。

 サマランカはそういった国の一つだ。

 この国における神明裁判―――最後に行われたのは二十年ほど前だったか、神意を得る方法は被告と原告の一対一の決闘に限定されている。


 つまり、リコリスの言葉の意味は。

「国王陛下を証人に。私、リコリス・インカルナタを"神子"セドナとの決闘による裁判を要求します」


 まっすぐと、片目しか見えない黒い瞳を睨み付ける。

 それでセドナは、ようやくクロードと交えていた剣を収めたのだった。




* * *


 それからは早いものだった。

 リコリス、クロード、それと密かに誰も逃げないよう不可視の結界を張っていたエレアノールはその場で教会の「保護下」に入った。もちろん、セドナも同様だ。さすがのセドナもこの観衆の中で逃げようとはせず、大人しく保護されている。


 がっくりと項垂れた神父によって街の憲兵は呼ばれ、この騒動が起きた朝の礼拝から数時間後には、ことの詳細を把握した尉官が早馬に乗って首都に向かった。国王の承諾が取れ次第、リコリス達は首都に移送され、神明裁判が行われることになるだろう。


「………………………………………疲れた」

 ぽすんっ、と軽い音を立ててソファにへたり込んだリコリスはつぶやく。目の下には濃い隈がはっきりと出ている。

「寝るか?」

 対面のソファに座ったクロードは平気な素振りだ。

「私の膝枕で?」「遠慮するわ」

 隣に座ったエレアノールのふざけた誘いもすげなく断る。リコリスは行儀よく座った体勢からそのまま横に倒れこむ。もちろん、エレアノールのいる方とは逆方向に、だが。


「結局イリスとは、ろくにお別れもできなかったわね」

 九十度ずれた視界。目の前のクロードをぼうっと眺めながらつぶやく。

 大人数を目立つことなく移動させるのだから、と合流したはいいものの結局礼拝の時間ぎりぎりまで掛かってしまい、ちゃんとした別れ方をしよう、などと思いすらしなかった。


 しどくなく乱れた黒髪。疲労を濃く残す表情。襟を緩めた軍服から覗く白い鎖骨がこれ以上ないくらい扇情的に、クロードの目に焼き付く。


「仕方ないだろ。商会から証書を盗んだイリスに合流したあとは、買い戻した奴隷……もとい錬金術師たちの解放だ。夜明けまで息つく暇もなかっただろうが」

 クロードはそんな気持ちを吐き捨てるために、語気も荒く答える。

 どうもリコリスは幼いころから知っているせいか、それとも神子の持つ神聖さのせいなのか、そういった男としては健全な感情を持つことすら躊躇わせる。「二人の関係」とやらが中々進まないのも、そんな躊躇いのせいだとクロードは思う。


「まあ確かに、仕方がないですね」

 リコリスの姿を見て、ナニカを触りたそうに両腕をピクピクさせながらエレアノールも続ける。

 リコリスはそんな二人の状態を知ってか知らずか、仕方ないか、と納得した。


「それにアウグステの商会……、結局、潰した。私が」

 声になったかどうか怪しいかすれ声。


 神明裁判、という可能性を思いつかせた女商人、アウグステ。彼女が守ろうとしたパレナ商会。息子の間違った、母親のアウグステの反対にあった判断に基づく経営。アウグステは権力闘争に敗れた。

 けれど彼女が大人しくそれに甘んじたのは、心のどこかでそうすればパレナ商会は続くと思っていたから……なんて考えてしまうのは、自分の深読みが過ぎるのだろうか。

 

 商人の強欲さは誰よりも商人が知っている。

 

 商人でも清くあろうとしたアウグステだが、実際に奴隷を扱えばどれだけの稼ぎになるかぐらいの計算はしたことがあるはずだ。そういう汚い手段を使ってでも生き延びなければならない世界であることを彼女は知っていた。

 だから甘んじて敗北を受け入れた。望まない形でも、自分の愛した商会が永く続くことを祈って。

 だから、その商会は崩壊した。他でもない、リコリスの直接指揮によって。

 アウグステは、リコリスを恨まなかったのだろうか。本当に、なぜ、手を貸してくれたのだろう。


 ついに思考が答えのない迷路に迷い込んだ。

 リコリスは仰向けに体を動かして、そして天井を見てふーっと息を吐く。桜色の唇が僅かに濡れる。


「お姉さま、大丈夫ですか? 寝るならちゃんと寝室に―――」

 まるで遠い場所から呼びかけられたみたいに、かすかにエレアノールの声が聞こえる。


(……やめた)

 考えること自体をやめることにした。もう数日はまともに睡眠をとっていない。

 霧に覆われ始めた視界を放棄して瞼を閉じる。心地よい暗闇。


「ちょ……お姉さ…、風邪――――」

 


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