interlude - Confabulation 1
―――人が、人として生きる権利は、誰にも奪われるべきものではない。
この世界でそう最初に言ったのは、ほかでもない聖女ティターニアだ。
彼女はありえない黒髪と黒い瞳と美貌を持ち、そして。
だれも持ち得なかったほどの、強い魔術の力を持っていた。
神と魔なるモノと人間が共存する、神話の時代も終わりかけた頃。
人間として生まれながら、魔に近しい黒と神に等しい魔力を持つ彼女は幼いころからひどい迫害を受け。また魔術師として大成した後は畏れを持って迎えられた。
神が力を持たなくなった頃に人間は慈愛と寛容を忘れた。
魔術師は魔の象徴として抑圧された。
そして彼女が十四になったころ、天啓がひらく。
「我がいとしい娘。そなたが彼らの王となれ」
彼女は神の囁きに従い、その力をもって戦火に身を投じた。その力は絶大であり、彼女がいるだけで戦況は大きく変わった。魔術師たちの反乱分子の長となるのにそう時間はかからなかった。
神の娘を長に据えた勢力。それらは数々の勝利をおさめたが、彼女は迫害した非魔術師たちへの報復行為は一切行わなかった。それどころか彼女は復讐に走る戦友たちを説得したのだ。その思いは戦友たちへ伝わり、中でも彼女に近しかった十人の戦士たちは彼女の弟子となった。
そうして王になった彼女はこう高らかに宣言したのである。
「人が、人として生きる権利は、誰にも奪われるべきものではありません。たとえそれが、どんなに卑しいものだとしても」
その意志は、思いは。瞬く間に国中の共感を得た。
為政者としても手腕を発揮した彼女は、十年の平穏を手に入れる。
そう、たったの十年間の平和を。
彼女に教えられた魔術と、悪魔との取引を使って国を滅ぼそうとした一人の弟子がいた。そんな彼を倒そうと、剣をとり魔術を行使した弟子が九人。そうして起こった内乱で、彼女は裏切りへの怒りに燃える九人の弟子のうち、四人を失った。
女王として彼を断罪することは容易かった。けれど彼女の愛は、魔に堕ちる弟子を見過ごすことはできなかったのである。
彼女は弟子のうち、最もよき理解者であったエクバードに国を託し姿を消した。
魔への道を封じれば、裏切り者の弟子も悪魔に魂を囚われることもない。せかいはしかし、彼女の魔術の力をもってしても世界の改変はそう簡単でなかった。
彼女が姿を消した七日後、とある湖畔で眠るように死んでいる彼女の遺体が見つかった。
葬儀の間は誰一人言葉を交わすことがなかった。後悔から訪れた裏切り者への罵倒の言葉さえない。彼が彼女の棺に花を手向けると、死んでいるはずの彼女は「よく来てくれましたね。ありがとう」と声をかけたという。
それがティターニア王国誕生の物語であり、聖女の神話である。
そして、黒髪に黒い瞳の『神子』が生まれるきっかけになったのである。
* * *
「自分の能力の過信が過ぎるのよ、ティターニアは」
神子リコリスは吐き捨てるように言った。
彼女の勉強部屋にいつものように忍び込んだクロードは、突然始まった聖女の伝説に関する講義……もとい痛烈な批判に、口をはさむこともなく聞いている。というか聞かされている。
少女の瞳にはいまだに見慣れない意志の強さがある。迷いなく発せられる少女の声が、こんなにも鋭く凛としたものであることに未だに驚いてしまう。
身体強化の儀式の後、彼女は怯えるのをやめた。自分を虐げた教会の幹部を睨み付け、実際に暴言すら吐いている。
あの事件から三か月、彼女の魔術の能力はあの日以前とは比べものにはならないほど高くなっていた。もうおそらく、この国で彼女に匹敵する魔術師はいないだろう。
そしてリコリスは教会から脱出する道を探し始めた。あと数日で宮殿に戻るアルバートに、軍籍の取得について頼んでいる。そして教会の協力的な幹部のコネを使って、自分の還俗後の身元引受人となる貴族を探している。
まるであの儀式の返り血が彼女の枷を錆びつかせ、そして破壊してしまったかのようだった。
「普通の人間が彼女を―――いえ、力あるものを無条件で慕うと思って胡坐をかいていたのも問題よ。そんなんだから術に失敗する。弟子に裏切られる。……いくら聖女だろうと、自分の能力を見誤ってはいけないし、みんながみんな自分を無条件で信じるとおもっているのもダメね」
そう気だるく呟いて彼女は行儀悪く頬杖をついた。長い睫に縁どられた瞼が物憂げに下がる。
もう誰も、何も、自分の能力さえ信じない。
リコリスは暗にそう言っていた。
なんていう矛盾。彼女はこの教会から抜け出すためにたくさんの人間を頼っているというのに。
リコリスはその視線に気付いたのか、クロードを冷めた目で見た。膝まで伸ばされた黒髪が絡みつくように動く。
「……ふん、どうせ上手く行くなんて思ってない。漏れたら不味いところはちゃんと脅しつけてあるわ。例え私の計画が潰されたとしても、それは相手も同じこと」
桜色の唇が、冷酷すぎる言葉を紡ぐ。
「二度と、日の目を浴びることはない」
クロードは何か窘めるか、あるいは慰めようと思ったが、かける言葉が見つからなかった。諦めたように時計を見て、もう刻限が迫っていることに気づく。
「俺、もう行かないと。アルの支度を手伝う約束をしてるんだ。……多分、ここに来れるのも今日が最後だ」
「………っ、そう」
傷ついたように視線をそらしたリコリスは机に広げた資料を閉じる。それが彼女が心を閉ざす音のような気がして、慌てて続ける。
「俺にできることがあるならするから! その時はたす——何でも言ってくれ」
助けに行くから。助けに行くから頼って欲しい、なんてとても言えなかった。
リコリスが本当に助けを求めていた時、その場にいれなかった癖に。
言葉でだけでも助ける、なんて言えない情けない自分に腹がたつ。
リコリスは窓辺に立って外を眺める。その窓の外では、首都でも屈指の眺望が夕焼けに染まっているはずだ。
黒髪が夕日を受けて、金色に輝いた。
「うん、ありがとう。
きっと私、ここを出てあなたに会いに行く。アルバートに軍人として仕える。……その時まで、先に行って待ってて」
それがあなたに出来ることだと、振り返った彼女は切なく笑っていた。彼女の瞳から一粒、金色の水滴が落ちる。
柔らかな拒否。最後の一言は精一杯の譲歩か。
背を向けて、ドアへ向かった。見知った幼馴染が今はとてつもなく遠い。
そして彼らが再会を果たすのは三年も先のこと。
リコリス・インカルナタは前にも増して教会を(主にクロードに愚痴る形で)ありとあらゆる点を批判した。
しかし、今にして思えば。
リコリス・インカルナタは聖女ティターニアのその思想だけは批判せず、大切に守っていたのである。




