XXⅠ 高貴なる者には義務を
「リコリス・インカルナタ………!」
眼帯に覆われていない方のセドナの瞳が、殺意を帯びて爛々と輝く。
その片目だけの視線を、リコリスはしっかりと両の黒い瞳で見据えて微笑んだ。
お前の思うままに、これ以上させない。
そう。リコリスは確かに神子だ。神に与えられた力を行使する者。如何に聖女の名に守られていようと、その身がいくら神聖であろうと、力を持った時点で誰かに恨まれるのは世の常だ。リコリスで神子である以上、こうした理不尽な戦いがあるだろうと予想はしていた。
———けれどそれは。
(けれどそれは、セドナ。あなたも同じことでしょう)
この短髪の黒髪は、果たしてそれを理解しているのだろうか。力あるものには戦いに身を置く義務があることを。奪った分だけ、自分も奪われることを。
髪もリコリスの深淵の黒には僅かながら及ばないし、眼帯の下の瞳が何色なのかは知らない。
けれど片目だけでも黒を宿し、そして力を持つ以上、その人間は神子なのだ。
———その力を行使して戦いを挑んだことを、せいぜい後悔しろ。
リコリスの冷たい微笑みに、セドナは僅かに怯んだように見えた。唇を噛み締め、目を逸らさない様に耐えているのが良く分かる。
教会に詰めかけた人々も誰一人として動けない。怒涛の展開に頭が追いついていないのだろう。それでいい。彼らはあくまで観客だ。リコリスがこれから演じるモノを見て、その口から情報を伝える。それでこの対ティターニア情勢が少しでも揺らげばいいのだ。
リコリスは静かに口火を切る。
「……二十七人もの錬金術師が、この街から消えている。そして、この街から“出荷“されたのも二十七人。私がこの証書を使って買い戻し、そして今協力してくれた二十七人全員。全員が全員とも、教会に不当な理由で召喚された人だった。これは果たして偶然なのかしら」
静寂。
錬金術師たちは身じろぎもせず、自分たちを貶めた張本人を見つめている。
戻ってきたとはいえ、一度は奴隷としてすべてを奪われかけた者たちだ。セドナを見る目は、誰よりも暗い。
言い淀むことなく、リコリスは清廉な声で告げる。
「人が人として生きる権利を奪うものが奴隷取引と殺人である、というのが我が国ティターニアの法であり民意です。この意見に関してはあなた方も我々と同じでしょう。
———果たして。奴隷取引という形で私たちの意思と良心を裏切った者が、殺人を断罪することが出来るのでしょうか」
観客の心が揺らいだのを、リコリスは肌で感じる。
「はっきりと言いましょう。
私は、後継者暗殺未遂とは無関係です。
私が首都を離れたのは未確認の黒髪を調べよという主君の名に従い、ティターニア領アーガイルに駐屯。その任務中に襲われ、事件の翌日まで昏睡状態に陥りました。
———そこの、セドナという神子に襲われたのです」
はっきりと、嘘偽りなく事実だけを述べた。ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。
リコリスへの突き刺さるような視線が、殺意が、段々と氷解して行くのを感じる。代わりに向けられたのは、純粋な迷いだ。疑念でなく迷い。
どちらを信じていいのか。あるいはどちらともが嘘なのか。不安定な感情は伝染し、観客たちがそわそわとし始める。
リコリスを殺そうと張り詰めていた殺意は完全に崩された。
打つ手札さえ持たなかった司教の表情は青を通り越して土気色だ。
さあ、追い込みをかけようか、と口を開きかけたリコリスは唐突に喉に冷たい感触を感じた。
剣先だ。
目にも止まらなかった。この大剣が鞘を走る音さえ聞こえなかった。本当にこの速さには恐れ入る。
この軌道は本当にリコリスの喉を掻き切るつもりで描かれたものだ。理性で無理やり軌道をずらしたのだろう。そのおかげでリコリスは喉にちくりとした感触と、ほんの少しの出血だけで済んでいる。
剣の担い手は、黒い髪の中から血走った瞳を覗かせている。そして、白い首からの出血を嘲り笑う。
「………遅いし弱い。そのくせ頭だけは回る。本当に最悪だよ、お前は」
対してリコリスは涼しげに答える。
「それは、認めたということかしら」
少しでもこの剣を動かせば、死んでしまうのに。
「認める? 何をだ? ……ああ、お前が後継者を刺し殺そうとしたってことをか!」
叫んで、剣を振り上げる。咄嗟にリコリスは身を引いたが、それでもこの振り下ろしの範囲内からは逃れられない。
逡巡すること、二秒。
気付くタイミングなら十分過ぎる程あったはずだ。けれどセドナは最後まで気付かなかった。
忌々しいことに、激昂すると周りが見えなくなる悪癖は神子二人の共通項らしい。
リコリス・インカルナタは決して一人ではないという単純な事実だ。
「あんまり暴れてくれるなよ神子殿。罪状が増えすぎても面倒なんだ」
セドナの大剣を受け止めたクロードが、宥めるような口調で言った。