ⅩⅦ 行方不明
「まあ、こんな裏の世界だから当たり前かもしれないんだけどさ。最近おかしなことが多いんだ。でも
アウグステも何も話してくれないし」
「……おかしなこと?」
「うん、最近錬金術師がいなくなってるんだ」
眉を顰めるリコリスに、少年は怯えたように口を閉ざした。先導する彼のおかげで既に路地裏のかなり奥の方まで来れていた。リコリスは目視して得た情報を魔力の地図とを照らし合わせ、齟齬がないことを確認する。多重作業の連続使用、空間感覚の拡張―――さまざまな高度な技術を併せて作り上げた地図だ。こんな状況でなければ、リコリスは大満足だっただろう。
しかし、今は「それだけ」で終わる状況ではない。
開戦まで猶予もない。ティターニアの王子であり、幼馴染《とも》が任せてくれた停戦交渉という任務を一刻も早く遂行すること。……即ちそれは、今回の宣戦布告の直接のきっかけである、リコリスがかけられた容疑を晴らすこと。これを成功させなければ、リコリスはもう故郷に帰ることはできない。
「……で、アウグステの店は、近いの?」
「うん、すぐそこ」
口を閉ざした少年の横顔は、リコリスに対する恐怖よりも先の話題の心配の方が勝っているように感じた。けれどリコリスはその心配を無視した。今はそんなことに構っている時間はない、と。
路地裏の奥深く。ここはすでに錬金術師たちの縄張りだ。
錬金術師といえば、硫黄の匂いと金槌の音。その居住区一帯は竈から伝う熱で暑いというのが彼らの住処への印象だ。
けれど、この路地裏にはその気配はない。
微かに硫黄の匂いこそするが、それは何か残り香のよう。熱はなく、すでに彼らの竈から火が落ちて久しいことが分かる。確かに、この少年の言う通り錬金術師はいないようだ。
(あの彼らが工房をこんな風に抜け出すなんて、確かに妙と言ったら妙だけど)
錬金術師と魔術師は学問を突き詰める方向こそ違えど、ソレに対する執着心だけは通じるものがある。リコリスが突如魔術に興味をなくすようなものだ。
(……でも、今はそんなこと気にしていられない)
「そこの角だよ」
少年が立ち止って、路地の一角を指した。看板すらない店。分厚くつもった埃の向こうに、魔術用品の山と、見慣れた二人の姿が見えた。
「……やけに早いと思ったら、君か。君のせいか」
店に入るなり、そんな女の声が聞こえた。
声の主は紫色のローブを目深にかぶった女。年代物のソファに泰然と座っている。
その真っ正面に立っている二人の軍人、クロード・ストラトスとエレアノール・スコットは入り口にたたずむリコリスとその前に立つ少年を見て苦笑いした。宿にこもってろ、自分たちに任せろと出て行っておいて探しておいた相手からはリコリスを呼ばないと話にならないといわれたのだ。笑うしかない。
女は―――アウグステはリコリスよりも少年を見て、愚痴った。
「まったく……何をして彼女にとっ捕まったんだか知らないが、話しを腑抜けたものにしてくれるじゃないか。まったく分かっていない。君は将来商人にも脚本家にも向いてない。彼女が自力で、一人でここに来るのが面白いのに」
「意味が分からないよ。部屋に戻る」
「そうしてくれたまえ。どのみちそうしてもらうつもりだったがね。子供が聞くような話じゃない」
少年はアウグステの横を通り過ぎて、奥のドアの向こうに行った。とんとん、という階段を上る音。
アウグステはわずかに顔を上げ、その音を聞き届ける。少年が自室に戻ったのを確認しているようだ。数十秒の間。二階のドアを閉めるかすかな振動と音を聞き、アウグステはようやくリコリスに向き直る。フードの下から冷徹な視線がリコリスを見据えた。
「はじめまして。神の御子にして魔術の神子、リコリス・インカルナタ。私は店主のアウグステ・リオネル―――君の言うところのオーガスト・ライオネルだよ」
リコリスはその視線を臆することなく、当然のように受け止めた。そして同時に幻術を解く。
蜂蜜色の髪と緑の瞳は、あるべき姿に戻る。静謐の黒へ。すべてを内包したかのような黒い瞳に。怒りと敵意とが綯い交ぜになった、しかし静かな視線はアウグステのそれよりも遥かに冷たくまっすぐに彼女を射抜いた。
「……ふむ、確かにこれは、教会がモノにしたがるわけだ」
視線に酔ったかのようにつぶやいた彼女。リコリスの視界の隅でクロードが渋面を作っているのが見える。
「先日は愚息が失礼をしたね。その詫びと言ってはなんだが、商人らしい回りくどいことはせず、単刀直入に聞こう。―――何をしに来た?」