ⅩⅣ 大嘘吐きの礼拝者
「……とりあえず、だ」
包帯を巻き終えたのを確認したクロードは、ため息をついた。床にへたり込んだままのリコリスと視線を合わせ、まるで子供に言い聞かせるかのように、言った。
「お前は儀式が終わるまで部屋から出るな。単独行動なんてもってのほかだからな」
はい、と拗ねたようにリコリスは答える。
「でも、儀式の材料……」
「あとで材料書いたメモをくれ。そしたら俺たちが買ってくるから。とにかく、そんなフラフラな状態で外に出すわけにはいかないからな」
はーい、とまた拗ねたように言う彼女は、クロードから目を逸らしている。子供みたいな扱いを受けていることへの抗議のつもりだ。もちろん、こんな扱いをされるのは自業自得とは思うけれど。
「不安でしたらエレアノールがクロードさんをお手伝いします。お姉さま、安心してください」
頭を撫でてくるエレアノールも、子供に言い聞かせる口調。見ると、口元がだらしなく緩んでいる。……馬鹿にされている。
この三人の中で一番年下なのだから、当然といえば当然の扱いなのだが、気に障る。眉間に皺が寄るのも道理だと思う。
「……分かった」
こういう状況に慣れていない彼女としては、この返事以外出来なかった。
サマランカ国境の町、シドニア。
サマランカの国民性は陽気で好戦的、神秘より確実性を、祈るより動け、魔術より肉弾戦を好む――クロードをして「筋肉馬鹿」と言わしめた。冷静(陰気とも言う)、魔術頼みなんて言われるティターニアとはあらゆる意味で対照的だ。
けれど、その度合いこそ違えど教会が大きな権力の一つである、というのは二国に共通している。ティターニアの異常な信心深さに染まってしまうと、サマランカ民はなんと信仰心が薄いのだろう、なんて思ってしまうがそうでもないのである。だからこそ、ティターニアへの宣戦布告も、教会との連名で行われた。
――その権力の象徴たる、教会の鐘。
毎朝八時になる教会の鐘は、朝の礼拝の合図である。
「―――どうか今日も、あなた方に神の祝福がありますように」
白と赤の修道服を着た神父が、聖書を閉じて礼拝の終わりを告げる。
聖女像に祈りを捧げるため、前の席にいる礼拝者が動き出した。緊張が解けた礼拝堂におかれた椅子の一番後ろの席、イリスは眠そうな目をこすっていた。礼拝の席順は職業や寄付金ごとに分けられていて、普段からの寄付金がない商人、あるいは傭兵は後方席になるのだ。それ以下、とされる職業は礼拝堂に入ることすら許されていない。
「久しぶりに聞いたけど、やっぱり長い」
「朝は夕方より短いほうっすよ」
しっかりと目が覚めていそうなクライブが軽く返した。軟派な笑みを浮かべているが、眼だけは忙しなく動き回っている。使えそうな人間がいないか、探しているのだろう。戦闘向きのイリスと違って、クライブは情報収集が得意なのだ。いつも気が付けばいなかったり、何にもしてそうに見えるのに、いつも決め手になる情報を持ってくるのが彼だ。
たびたび数人の女によってたかってひっぱたかれているのを目にするが、それは放っておくことにした。すぐ女に手を出すのは、いくら殴っても直らない彼の悪癖……というだけでなく、女たちが持っている情報を引き出すため、やむなしだそうだ。イリスはもう馬鹿馬鹿しくてよく聞いていない。
「……とは言ってもねえ、何の手がかりもなしじゃ、正直辛いっすよ。俺でも」
「ふーん?」
金髪をわしゃわしゃとかき乱しながら、続きを促した。
「パレナ商会に借金なんて、依頼主もよく考えろっつーの。あんな小さな振興の商会、資金を出すだけ無駄じゃないっすか」
もちろん大嘘だ。
「いいじゃん、取り立てたら取り立てたであたしらにも給料は入るし。……それにしても、あの人も馬鹿だよね、依頼料の相場も知らないなんて、さ」
イリスは聖女像を興味なさげに眺めながら、そんな大嘘は続けた。
ここは商人と傭兵が座らされる席だ。商人は油断も隙も無い、どこで話を盗み聞きしていてもおかしくない、だなんて言われる。実際その通りで、ギルドに持ち込まれた依頼を、酒場でポロリと口に出しただけで翌日にはその界隈の商人全員が知っていた、なんてこともザラだ。
彼らはいつだって金の匂いを嗅ぎまわっている。そんな浅ましさを自覚しているから、わざわざ教会の礼拝に参加するのだ。
そして、ここにいる商人は信心深い。ならば、同じように礼拝に来ているものが、神と聖女の御前で嘘を吐くなどとは思ってもいない。
ましてやイリスたちは、あからさまに傭兵の格好をしている。
傭兵は基本的に嘘を吐くことがない。情報を武器にし、日々騙し合う彼らと違って、傭兵たちは手に剣を持ち、命をかけて戦っているから。嘘を吐く傭兵に背中を預けようなどという馬鹿者はいないので、自然と彼らは顧客からの信頼を失わないために、嘘を吐けなくなる。
イリスもクライブも、普段だったらこんなことはしない。こんな大嘘を平然とついたのは、ここが本拠地ティターニアではないから。そして依頼主が、ほかでもない神子リコリス・インカルナタだったから。
神子の頼みならば、別に礼拝堂の隅っこで独り言を漏らすくらいどうとでもない、と思えるあたり、イリスもクライブもティターニア人というか。
効果はてきめん、イリスは明らかに複数の視線を感じた。
イリスもクライブも、まったく何も気づかないふりをして、礼拝の列に並ぶ。必要以上に聖女像の前に跪いて「どうかこのエサにかかりますように」と祈る。
跪いている間、注視されているような視線を感じたのは、彼女が本当にここで嘘を吐けない信心深い者かどうかを見られていたからだろう。イリスは演技には自信がある。心配はしていなかった。
神父に挨拶をかわし、教会を出る。
朝日を浴びて、「今日も聖女様のお導きがありますように」とつぶやく。完璧。
クライブが仲間だけにわかる凶悪さでにやりと笑う。
「……一人、さっそく釣れましたよ」
クライブがささやくと同時に、男の声で呼び止められる。
「先ほどのお話、少し耳に入ってしまったのですが。これも神のお導きを思い、あなた方にお話があります。よろしいでしょうか?」
気の弱そうな、初老の男がそこに、立っていた。