ⅩⅢ まるで水車のような
「……何の真似?」
リコリスは平常心を装って問う。秀麗な眉をひそめて、出来るだけ高圧的に。
というか、なぜ悟られてはならないと思った直後にこれなんだろうか。
「身体強化、どうした」
「どうしたも何も、別に。ティターニアを出る前に回復してから、いつも通りだけど」
務めて普段通りの会話を、エレアノールが不安げにみている。……不安げに?
「解けてるだろ、身体強化術式」
「―――っ」
ぎり、と歯をかんで腕を振り切ろうとする。けれどその腕はクロードが掴んだままでまったく動かなかった。それもそうだ、身体強化が切れている今、男性軍人の彼に力で叶う道理がない。疲労が蓄積されすぎたこの体では、力を込めれば込めるほど立っているのが辛くなった。
時間にして一秒にも持たない逡巡。リコリスは全く冷静に答える。
「身体強化は、第二血流を同じで解ける解けないとかいう魔術じゃない。そこに術式が刻まれている限り、効果は続く。
例外は術者からの魔力供給が切れた時だけ。……この前、セドナにやられた時みたいにね」
あえてセドナの話題を出して、リコリスはわずかに殺気を匂わす。もうこの話題には触れるな、という意味を込めて。するとその反応は、意外なところからあった。
「ではお姉さま、……その、術式が、……損傷していた場合は?」
絞り出すような少女の声に、リコリスはさすがに言葉を失った。声の主はエレアノール。不安げにリコリスを見ている。
クロードに、ではなくリコリスに。
リコリスは、魔術に関して聞かれると、正答を応えずにはいられない。クロードにはあきれられ、アルバートには笑われた悪癖だ。
「駄目、でしょうね。術式依存の魔術だもの。術式を破壊されたら当然、使い物にならない」
答えると、クロードの腕の力が強くなる。彼が握っているのはちょうど、初めての術式を刻んだ傷の上だ。ぴり、と刺すような痛みがした。
「……観念しました」その痛みは、身体強化術式の決定的な崩壊を告げるものだったからだ。
リコリスは苦しげに微笑んだ。
「クロード、放して。痛い」
解放されたリコリスは支えを失い、力なく床に座り込んだ。すかさずそれを支えたクロードは、座り込んだリコリスの左袖をまくる。
エレアノールは息をのんだ。
およそナイフではつけようのない、まるで刺青のようだっただろう精緻な紋章。だろう、というのはその紋章の後から今まさに切り付けられたかのように、赤い血が流れ出しているからだ。
「エレアノール、傷の手当てを! 魔術じゃなくて、包帯のほうだ」
リコリスよりも早く、クロードが指示を出す。あわてたようにクロードの荷物の中から包帯を探す。
――体に刻む類の術式は、総じてその起点に魔術師自らがつけた紋章がある。リコリスの場合は、自らの左腕にナイフで刻み付けた。
術式が効力を保っている間、それは古傷のような形になる。術式が崩壊したときに、傷は開く。
「……なんで、分かったの」
「姿勢だ、この馬鹿。子供のころ、姿勢が悪いって毎日はたかれてただろ。身体強化してから直ったのに、また姿勢が悪くなってればもしかして、とは思うさ」
「腹筋も背筋も育たないんだもの、ね」
リコリスは自嘲する。その頭をこの馬鹿、とクロードがまたはたいた。
「それから、お姉さまの魔力の気配です」
腕を手当てするため、エレアノールが横にしゃがむ。手際よく処置をすすめる様子にリコリスは内心感心する。
「いつもはお姉さま、身体強化と第二血流の二つだからものすごい魔力の循環量なんです。音でたとえるなら水車のそばにいるみたい。それなのに最近は音が半減したからもしかして、とは思っていたんです」
「……我ながら。侮っていたわ」
いいんです、とエレアノールは微笑んで身を引いた。左腕にはきれいに包帯が巻かれていた。