Ⅹ 錬金術師の仕入れ屋
「何か忘れ物かね、イリス」
裏路地区の知り合い——もとい、昼間訪ねた女魔術師のもとに戻ったイリスはそんな呆れを含んだ声をかけられる。
女は古いベルベットのソファに尊大に座っていて威圧的に感じる。相変わらず一緒にいるクライブには目もくれない。
「そういうわけじゃないんだけど……新しく聞きたい事ができてさ」
「ほう?」
言われた女は嬉しそうにソファから身を乗り出した。
「それは神……いや、お前の連れの件についてかね? なるほど、彼女の事件で私に聞きたいことと言えば、それは面白いに違いない。イリス、後ろの赤毛、そこらに座るといい。話を聞こうじゃないか」
やはり、彼女はイリスの依頼主がリコリス・インカルナタだと確信している。イリスは本日何度目かの依頼主への恨み言を胸中にしまう。昼間にこの女魔術師が言ったとおり、彼女がリコリスを国に突き出すことによって得られるものはない。むしろ不利になることの方が多い。警戒はもちろんするが、素直に彼女の協力を仰いだ方が得策だ。
女は蒐集品に埋れかけた小さな椅子を指指し座るように促す。クライブが初めて自分の存在が認識されたことに驚きながらも座る。女の表情は伺えない。けれど、何故だか楽しそうな雰囲気は伝わってくる。
そう、まるで地に這う者を見下ろす、鷹のように。
「短刀直入に聞く。この街、この地区にパレナ商会前商会主、オーガスト・ライオネルがいるか、知ってるか」
しばしの間だった。
女が、ローブから僅かに唇を覗かせた。
真っ赤な口紅を引いた、かさかさな唇。その唇が歪にゆがむ。笑っている。
「……知らないね」
「本当か」
イリスの青い瞳が、すうと細められる。彼女の重ねての問いに、彼女は今度は何の躊躇いもなく首を縦に振った。
「オーガスト・ライオネルなんて男は、私は知らない」
……あり得ない、とイリスは思った。
元々、ここにパレナの前商会主がいるという話を拾ったのイリスだ。その情報源も彼女の信頼のおける人物であったし、ティターニア王国内で調べられる範囲内ではあったが、情報調査を得意とするクライブにも動いてもらっている。ある程度の証拠は掴んでいた。彼が隠居しているならこの街しかあり得ない。
ますます視線を鋭くするイリスに、女が饒舌に答えた。
「まず前提から説明しようか、イリス・クロイツァー。この街、この地区における私の仕事は知っているかい?」
「……錬金術師たちの研究材料の購入代行、魔術品の買取、査定」
少し言葉を選んでいうイリス。彼女はこういう、言い回しに慣れていない。
「正解だ。故に、私はこの地区では顔が利く。それはこの地区が違法者の吹き溜まり、要するに錬金術師たちが集まる場所だからだ。いかに石から金を作り出す錬金術師でも、元の石がなければ奇跡は起こせない」
女は立ち上がり、ゴテゴテした机の上から小さな鉱石を取り上げる。紫色の結晶が伸びるそれを手にとって、その質感を確かめるように撫でた。
「私はその材料の調達が担当。営業会話は得意中の得意だ。彼らは世間に関わることに慣れていないからね、安価でさらに大量にモノが手に入るんだ。ならば私の元に錬金術師たちが頼るのも道理、その関係で顔が利くのも道理だろう」
皮肉っぽくも簡潔な説明は確かに、彼女が優秀な仕入れ屋であることを物語っていた。
「ただしね、それは錬金術師とその賛同者、取引相手だけでの話だ。もちろん、対錬金術師派の人間には危険視されるし奴隷商人にも私は敵視されている。
昔はこの界隈は彼らだけの縄張りだったんだ、私のような新入りが目障りなんだろう」
新入りといっても、もう五年近く経っているがね、と彼女は肩をすくめる。この話には何故だか自嘲的な響きがあった。
「話が逸れたが、イリス。要するに私はオーガストがここで商売をやらない限り、彼の所在地を知ることが出来ないのだよ」