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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第三章 魔術師は血で刻する
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Ⅴ 逃走劇

「待ちなさい――――ッ!!」


 リコリスほどではないが、彼女だって魔術師で、どちらかといえば短距離の方が得意なエレアノールにとって追跡というものはあまり上手い部類ではない。先ほどの声だって、息継ぎのひゅっと言う音に紛れてほとんど聞こえないという体たらく。


(ああ、もう、情けないったら――)


 件の盗人はずっと先に走っている。擦り切れたズボンとシャツはいかにも貧民層といった感じで、おそらくは窃盗の常習犯だろう。通りの角を曲がったり、その経路選びもうまい。

 しかもまずいことに、エレアノールはこの国の人間ではないから土地勘がない。ティターニアの街は似通った構造をしていたため見知らぬ街でもある程度の勘で動くことが出来たが、サマランカではそうはいかない。おまけにティターニアにはなかった暑さのせいで彼女の体力の消耗は著しい。


 いつのまにか表通りを抜けて居住区に来てしまったらしい、エレアノールは交差路の真ん中で立ち止まる。見失ってしまったらしい。ほとんどが白塗りの壁で、さらに彼女は方向感覚を失う。はあ、はあと肩で息をしながらあたりを見回す。二又に分かれた道の向こうで、小さな人影が陽炎のように揺らめくのを見た彼女は、一目散に走り出す。




「………失敗だわ」

 リコリス・インカルナタはベッドに寝転がったまま、思わず呟いた。

 彼女はエレアノールに咄嗟に仕込んだ術式で、エレアノールの「視界そのもの」を盗み見ていたのである。開発中で、いつか実験してやろうと持ち歩いていたソレがやっと使えると思ったのもつかの間。結果は失敗だった。


 ―――『あの子供、私より先にお姉さまの着替えを』

 ―――『というか私のもあのカバンに入ってて、何でクロード大尉たちのを見なかったんでしょう』


 なんて心の声まで駄々漏れだったからである。

 内偵疑惑の人物を探るにはちょうどいいかも知れない、なんて思いつつ彼女はもう一度目を瞑る。もっとも、これを使えるのは多重作業を扱えるリコリスだけで彼女自身はこれをあまり使いたくない。よく知りもしない人間の心まで覗き込みたくはない。

 

(……なんて、魔術の実験のほうを優先してしまうのも、私らしい脱線といえばそうなんだけど)

 とリコリスは本来の目的を思い出す。さすがのリコリスも、自分の視界と傍受した視界、両方を認識するなんて面倒な真似はできない。彼女は自分の視界を遮断すべく、目を閉じた。


 


「ああ、それにしても良い触媒だ。本当は手離したくないけどね」

「どっちだよ」


 鑑定を終わらせたイリスはすでに腰の鞄の中に短剣をしまっている。彼女自身、依頼を完遂したにしてもこれほどのものをどう処理するか考えあぐねていた。これほどの業物、製作者が誰だとかはすぐに分かる。イリスがすぐに考え付くものだけでもこれを欲しがりそうな者は、魔術師、蒐集家、教会、等々。この一品だけで競売が開けるだろう。


「ちなみに、金額はどうなる?」

 ついで、とばかりに聞いたイリスが女のほうを見る。女はニンマリと笑って、黙って金額を指で提示した。

「うっそ!?」

 後ろで間抜けな声を上げたのはクライブ。女はどんなものでもとことん買い叩いてしまうので、正直ここまでの高値は期待していなかった。

「この程度でいいのかね?」

 ニンマリ度を更に高めて、女が問う。後ろのクライブはハッとしたように首を振った。

 男にしては賢明だね、と呟く女。

「あんたさ、前々から思ってたけど男嫌いなの?」

「さあね。――ああマルタ、おかえり」


 陰鬱な部屋に、外の光が少しだけ入る。はあ、はあと息を切らして蒐集家の部屋に帰ってきたのは細身の子供。遊び盛りの子供だからなのだろう、よれよれのシャツとズボンは泥だらけ。その瞳は印象と違うことなく子供らしく爛々と輝いている。けれど、深く被った帽子からこぼれる金色の長髪は間違いなく少女のものだ。


「また男の子の格好をして出かけていたんだね。そろそろその悪癖もやめるといいのに」

「おばさんはそんなことかまわなくていーの! こっちのほうが動きやすいからいいんだっ!」

 なんて親子そのものな会話をして、少女は奥の部屋へ消えていく。


「……子供、いたんだ」

「馬鹿言わないでくれたまえ」

 女はことさら尊大に、イリスの勘違いを否定した。




―――「………なんてこと」

 大通りのど真ん中。呆然と呟いたエレアノールに、リコリスは心底同意した。

 いつの間にか大通りへの小道に誘導された上に、完全に捲かれてしまった。エレアノールが馬鹿正直に追っていたせいもあるが、それを差し引いてもあの子供の逃げ方は上手かった。


 エレアノールの思考傍受のほかに、魔力によるこのシドニアの地図を作成していた彼女は一旦そちらのほうに思考を切り替える。目を開いて、宿の天井に地図のイメージを重ねる。金色に輝く線によって視覚化された地図と、エレアノールが通った経路を重ね合わせる。


 リコリスはらしくもなく、ふぅむと感心してしまう。ぐにゃぐにゃと意味もなく曲がったり、何回も同じ場所を通らされたり。近くにある裏路地の存在も匂わせ、エレアノールを適度にひきつけて、最終的に大通りまで誘導して見せた。エレアノールが土地勘のない異邦人だということも勘定に入れた上での経路選択なのだろう。


(子供の癖に、やるじゃない)

 なんて素直に感嘆したりする。

 けれどリコリスだって伊達に魔術師として軍人をやっているわけではないし、ましてや彼女は魔術の神子。大通りの一歩手前、エレアノールが最後に子供の影を見た角の奥、地図上でも本当に細い小路を発見することくらい、簡単なことだった。


 それよりも。

 ―――「何か手がかりはないんでしょうか……本当に悔しいです……」

 思考の端っこ、追いやった傍受術式からエレアノールの独り言が延々と流れてくる。

 ―――「こんなんでは足手まといだと思われてしまいます……」

 そんな後ろ向きな発言に、リコリスはそんなことはない、と思わず独り言で返す。

 そういえば通信用の栞を渡したままだった、と思い出し彼女に連絡を入れようと、術式を起こす。


(足手まといじゃない。この前だってメルヴィンに追われつつも、ちゃんと位置を知らせてくれたわ)

 けれど、リコリスは魔術の天才である神子で、エレアノールはあくまで一般人側に属する魔術師だ。人は自分の無能さに嘆いているとき、有能な人間からの慰めを嫌う。自分の苦しみなんて、あなたみたいな人には理解できるはずがない、と。

 リコリスは術式を再構築しつつ、そうならないようにする言葉を考える。


 ―――「クロード大尉」

 ―――「どうしたエレア、顔色悪いぞ。それにお前、留守番じゃなかったのか」

 ちょうどいい、クロードなら上手く慰めてくれる、と少し安堵する。

 

 ―――「そうですが……少し、自分の無能さに落ち込んでいただけです」

 ―――「じゃあ、お前好みの店見つけたんだけど、行かないよな……誘おうと思ったけど」


 予想外の返答だった。

(なんでそう自然に、人を買い物に誘ってるのかしら)


 当然、「行きます!」と即答したエレアノールの声を最後に、リコリスは術式を切断した。

 これは、決して。

 自分が蚊帳の外にされてしまったような、そんな嫉妬から来る怒りではないと言い聞かせて。





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