Ⅲ 留守番中の目論見
「んじゃ、留守番は頼んだよリリー」
「……はい」
未だに笑い続けるイリスに、リコリスは苦虫を噛み潰したような顔をして答える。イリスの知り合いのやっている宿屋に手続きを終えた彼女は、「色々やることがあるから」とクライブを外出することを希望した。クロードも彼女っちとは別行動であるが、買い出しに出かけたいと言ったのでエレアノールとリコリスが二人、宿屋に残ることになった。
宿屋前の通り、埃っぽい通りの空気にむせそうになりながら幌馬車に乗った二人にリコリスは告げる。クロードも準備を整え、リコリスの隣に立つ。
「兵に密告したりしないでしょうね」
「そんなことしたらあんたを妹だと偽って入国させた私も処罰されちまうよ」
まったく疑り深いなぁ、やれやれという動作をするイリス。
「大丈夫っすよリリーちゃん。俺が姐さんをちゃんと見張ってますから」
「あなたはどちらかというと、イリス寄りな気もするんだけど」
無愛想に言い返すと同時に馬車は走り出す。隣に立つクロードも咳払いして、「俺もそろそろ行くかな」といった。
「ん。いってらっしゃい」
翠の瞳が上目遣いに微笑んだ。
「イリスお姉さんも言ってたけど、ちゃんと留守番するんだぞ」
ぽん、と頭に置きかけた手をリコリスではなくエレアノールが振り払う。
「馴れ馴れしくお姉様に触れないでいただけません?」
そのくせ彼女は胸の下に手を回し、頭の上に顎を載せる。髪と瞳の色のせいでさらに印象が幼く見えるので、エレアノールに抱きつかれたリコリスはさながら抱き枕のようだ。むす、と膨らました頬が、さらに幼さを引き立てる。
「エレアノール、重い」
「んじゃ、リコ……じゃなかった、リリー、エレア、行ってくるなー」
「ちょっ、助けなさいよ!」
「行ってらっしゃいませ、クロードさん」
「無視!?」
馬車を預け、徒歩での移動に変えたイリスとクライブは人ごみの中を慣れた様子で歩く。
「いつ来ても祭りみたいですね、ここ」
「クライブ、それ田舎から都会に出てきた奴の代名詞みたいだからやめてくれないかな」
「国境の街もそーとー田舎じゃないですか」
……そういえば、そうだったとイリスは後悔する。金髪を掻いて、八あたりにも近いような口調で言う。
「無駄口叩いてないでさっさと歩く」
「嫌ですよ、口達者なのが俺の個性ですもん。ところで姐さん、あの魔術師のところに何売りに行く気ですか」
後ろに続く彼の詰問するような口調。
「今回は売りに行くんじゃない、鑑定だけだよ」
歩幅を早めて横道に入る。
国境の街の路地裏というのは外れモノの吹き溜まりのような場所で、住む場所にも金にも無頓着か、あるいは異常な執着を持つ奇人変人が集まり易い。イリスのような傭兵はもちろん、少しばかり汚い手を使っても良いと思うような商人も、この吹き溜まりを利用することが多い。
今回行こうとしているのはその中でも飛び切りの変人で、魔術師でありながら術式なんぞに興味を持たず、ただひたすらに触媒だの魔導書だのを蒐集している女のところだ。
職人集団らしき連中が戸口で鍋を叩く音が響く。ハンマーで一度叩かれたところは滑らかに直っていく。が、その職人の目は鍋を見ていない。イリスたちの動きを視線で追っているのに、手つきは見事なものだった。
よそ者を見張っているのだ。
まとわりつくような暗い殺気に、ぞわりを寒気を感じるが、それすらも傭兵の彼女にとっては慣れ親しんだ感覚だ。
「あの女は確かに金に汚いけど、モノを見る目は確かだよ。商売相手としちゃ最悪だけどね」
以前、イリスとクライブが傭兵を始めたばかりの頃、初めて彼女に魔術の品を売りに行ったところ、とんでもない安値で買い叩かれていたのだ。今思うと鑑定し、それを売る相手を無条件で信用するなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「俺、あのおばさん苦手なんですよー」
重々しい空気でも変わらず、クライブはぼやく。
「グダグダ言うな、なさけない。 ほら、もうすぐ着くよ」
(やっぱり、強化術式なしで出歩くのは少しキツいわね……)
リコリスは普段よりわずかに重い足を見つめながら考えた。何故か焼ききれてしまったらしい術式をあの場で再構築する訳にもいかず、現在は何の補助もせずに歩いている。このことはクロードにもエレアノールにも行っていない。一度施術を行ったこの身体なら、再構成にもさほど時間はかからない。あの場で再構成をためらったのは、その前に詳しく自分の身体を調べたかったからだ。
リコリスの補助なしでの体力は、ほとんど病人のそれに近い。日常生活だけでも常に倦怠感が伴い、走り続けたり急激な運動は体にかなりの負担を強いる。以前は鍛えればそれなりに成果もあったものの、二回目の神子の対価が発生した十歳の頃からそれすらもなくなってしまった。
さらに今は術式の反動もあるから、今こうして宿屋の階段を登ることすら億劫だ。せめて後ろにいるエレアノールに悟られることのないよう、すました顔をして歩き続けるだけだ。