Ⅱ 妹と、思い出す夏至の夜
「――これで大方の審査は終了だ。協力感謝する」
「それはどうも。最近は特に物騒だし、同情するよ。検査内容も前より細かくなってるし」
「そう、検査項目が二十二も増えた。急にティターニアの神子がウチの皇帝陛下を狙うからこんなことに……って、こんなこと得体の知れない傭兵なんかに漏らすことじゃなかったな」
「水臭いねぇ。んじゃ、早々に退散しますよ」
「ああ、是非そうしてくれ。――イリスの妹さんよ、気をつけてな。姉さんは怖い女だぞ」
「くっ――っは、あはははは!」
関所をなんなく通過し、それが見えなくなった頃、ついにイリス・クロイツァーが笑い出した。御車台で腹を抱えて笑う彼女はこの明るい国でもやはり奇特に見えるようで、道行く人が彼女を見る。隣に座る赤毛の男もニコニコと笑っているので、それが尚更奇妙だった。
そんな不審者の後ろに無言で立つのは、人形のような端正な面持ちの少女。
「そんなに笑わなくてもいいでしょう」
まさに苦虫を噛み潰したような顔で彼女の爆笑を諌める少女。
そんな彼女の蜂蜜色の髪をわしゃわしゃと撫でるイリスは笑い過ぎて途切れ途切れになった声で言う。
「いーや、ごめんねぇリリーちゃん。お姉ちゃんね、リリーちゃんのあの門番の前での演技に――ははっ、ツボにはまっちゃって」
そういってまた腹を抱えて笑う女傭兵。うるさい、と反抗期の子供さながらに頭に置かれた手を振り払う。助けを求めようと思ったが、どうせこの女の隣に座る男は傍観者を貫くだけだ。
よって、最も信頼できる相棒に声をかけることにする。
「ねえ、クロードも何か」
言い掛けて、やめた。
馬車の奥に座っていたクロード、それだけでなく部下のエレアノールさえ、口を抑えながらも笑っていた。
そんな皆の様子のせいで、つい思い出す。
(「で、その後ろの子は何だ、傭兵」)
(「私の妹。治安のいいティターニアに預けておいたんだけど、この情勢じゃあ連れ出さないわけにはいかないだろ」)
(「賢明だな。じゃあ妹さん、通行証を見せてもらいたい」)
(「こいつは恥ずかしがりでさ。ほら、この子の通行証はこっち。――名前ぐらいは名乗れるだろ?」)
(「………ぃ、リリー・クロイツァーです……」)
しかもこのあと、イリスの後ろに隠れて服の裾をつかむという小芝居付き。
「あれ、やっぱりリリーちゃん、恥ずかしかったんだ。ごめんね――ぶっ、はは」
「その笑い方おっさん臭いっすよ姐さん」
頬に手を当てると、やはり恥ずかしさのあまり熱い。
(ああ――早く無実を証明して、本名を堂々と名乗りたい……)
リリー・クロイツァー。女傭兵イリス・クロイツァーの妹。
それがこの旅の間、かの神子リコリス・インカルナタが名乗ることになった名前だった。
サマランカ側国境の街、シドニア。
古くからアーガイルと同じく、自国の作物の輸出中継地と商業の街として栄えてきたこの街は国境に面している割には開放的だ。
一年を通して肌寒いティターニアと比べて少し暖かいのも影響してか、国民性自体が明るく開放的。シドニアはそんなサマランカ国民の人の良さを表す良い街として名高い。
サマランカと比べると閉鎖的な思考を持つティターニアの国民であり、軍人でもあるリコリスは、そんな街の賑わいもないものだろうと予測していた。それはもちろん、クロードもエレアノールも同意見である。
そして、予測は見事に外れた。
(イリスはイリスとして、この街も何なの……)
ほろ馬車の隙間から、街の様子を覗き見た彼女は、感心にも似た吐息を漏らす。
確かに物々しいといえば、物々しいのだが。
あらゆる出店の軒先に、鎧や武具がかけてある。食料品は日持ちするものが主で、鮮度が大切になるものは安売りされている。地元の名産などの店では豪快な字で「戦争で死ぬ前に食っとけ」と書かれた掲示もある。
さらに最も衝撃的だったのが、売る方も買う方も、笑っていること。
その様子だけ見れば、何かの祭りのように思えてしまう。リコリスは一瞬、あの花の舞う夏至の夜を思い出す。
馬車の奥に行き、同じ場所にいた彼の表情を見れば、やはりそれを思い出していたようで、リコリスの視線に気付いてさっと目をそらす。
子供か。
冷静につっこんだリコリスは、同じくその冷静さで、軍人らしく考える。
もし、こんな国に攻め込まれたら。
正直、情報不足から身動きのとれないティターニア軍がどれだけ動けるかは分からない。加えて、今回のサマランカからの宣戦布告は教会との連名だ。
教会から離れかけている貴族たちにすら、この状況は脅威とみなす。さらに未だ教会を信じて生きる一般市民の混乱と恐怖はもはや未知数。そして追い打ちをかけるように、今回のきっかけを「神子リコリス・インカルナタによる皇帝暗殺の企て」としている。統率力を削ぐには完璧な策だ。
おそらく、軍は軍としての機能を持ち続けることはかなわないだろう。
対してサマランカ側は暗殺未遂への仇討ちという大義を持ち、さらに教会が味方に付いている。士気がどうして落ちようか。
――こんな国に攻められたら、故郷の国は間違いなく負ける。
考えも改め、リコリスはまた決意する。
一刻も早く、サマランカが本格的に仕掛ける前に片をつける。
そのためには消えた身体強化の術式を、もう一度体に刻む。
初めてソレを刻んだときの痛みと恐怖を思い出して、リコリスは左腕を強く握る。




