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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第二章 壊れた世界で、彼女は
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ⅩⅤ 取引と代償

 告げられた追跡者はふう、と肩を下ろす。切り揃えられた金髪が、まるで少女のもつそれのように揺れる。


 ――余りにも舐め過ぎていた、と舌打ちと共に呟かれる。

 ――その通りだ、とリコリスは溜息と共に思う。


 確かに自分はセドナに呆気なく負けた。

 けれどそれは、あくまで「リコリスという神子」と「セドナという神子」との戦いにおいて、だ。リコリスは普通の人間相手なら、剣の間合いにすら近付けない。今のようにクロードが入ればそれ以上だ。そしてその部下だって、優秀なのは間違いがないのだから。

 エレアノールに目配せし、続いてイリスに目線を送る。女傭兵は少し驚きながらも、こっくりと頷く。

 

 構えたままの腕をそのままに、リコリスは意識を集中させる。

 眼前のクロードは、髪の毛一筋ほどの油断もなく、じりじりと距離を縮めていく。


 前回のリコリスの決定的な敗因が油断だというのなら、この敵の敗因は間違いなく慢心だ。


 真っ黒な瞳は、金色の敵を見据えて動かない。追跡者は完全に囲まれてしまった。

 今ここで彼を抑え、軍に突き出すこともできる。けれど、この状況を打開するためには彼の捕縛は意味がない。セドナという名の黒髪――事件の原因を捕らえなければ、教会はまるでトカゲの尻尾のように彼を切り捨てる。

 

(……そんなんじゃ、意味がない)

 今回の騒動で必要となるのは「立場の回復」。サマランカの皇帝暗殺容疑をかけられたリコリスの立場だけでなく、ティターニアという国全体の権威に関わる。


(私を信頼してくれたアルの面子だって、掛かってる)

 幼馴染であり、君主である彼の権威を守らなければならない。


 それにこのまま無実を証明しなければ、軍の力だって借りることができないのだ。それが出来るとすれば、真犯人を捕らえた時の一回だけ。


(こいつのために、そのたった一度の機会を無駄にはできない)

 けれどそれはリコリス・インカルナタにとって簡単に断じることが出来ない。これは「立場の回復」でもあり、リコリス個人の「名誉の回復」のためでもある。本当なら今すぐにでも彼を突き出してしまいたい。けれどそれはできない、だからこその苦渋の決断。


 その内面の葛藤すら表情に出さず、リコリス・インカルナタは無表情に獲物に告げる。

「取引をしましょう」

「取引?」

 わずかに眉を顰めた彼にリコリスは淡々と告げる。


「簡単でありがちな取引よ。ここであなたの命を奪わない代わりに、あなたは私達が国境を出るまで追ってこない。たったそれだけよ」

「お姉さま」

 それでいいのですか、と一歩進み出た彼女を視線で制する。国境といえばすぐそこだから、危険を感じたのだろう。けど、それでいい。

 クロードは微動だにしない。まるで予想したかのようだった。


「へえ、国境を出た後はいいんだ」

 エレアノールを代弁して、追跡者が挑発的に言う。苦境に立たされているにも関わらず楽しげな彼の視線を臆することなく受け入れて、リコリスは返す。

「ええ、セドナという黒髪と一緒に追ってくるといいわ――そのときに、一人残らず捕らえてあげる」


 視線が交錯し、ダンッと強く地面を蹴る音がする。

 クロードが同時に剣を抜く。

 

 独特な金属音とともに、二つの剣が交錯する。

 あくまでも楽しげに表情を歪めた彼の顔に、一筋、血が流れる。

 驚いて飛びずさるその間に、また二つ、傷が出来て血が流れる。

 

 クロードは微動だにしなかった。表情は戦闘時のような無表情ではない。

 細心の注意を払っているような、そんな表情。

 その表情にぴんとくるものがあって、クロードの後ろにいる小柄な少女を見やる。


「お前――そうか、神子っていうだけはあったんだ」

 先ほどとは違う構えをした黒髪の神子。手袋をはずした白い指先からは、月明かりに反射する細い糸のようなものが伸びている。

「一瞬でそんな魔術を組み上げたんだな」

「言ったでしょう。動くな、と」


 この路地いっぱいに張り巡らせたその糸はリコリス・インカルナタの魔力によって出来た魔術の糸だ。

 本来これは陣地に入り込んだ敵に対し、何時間もかけて行う設置式魔術のはずだったが――彼の動きを考えて、通常戦闘用の魔弾や炎陣では命中度が低いと判断したために場ごと活用した術を使ったのだろう、と推測する。

 リコリス・インカルナタも神子というだけはあるが、このクロードだって相当人間離れしている。

 恐らく彼女はあの場全体に糸を張りめぐらせたはずだ。当然あの場にいたクロードは糸に触れないように動き、あの剣を止めて見せた。


「わかったよ、取引に応じよう。お前たちが国境を抜けるまで僕らは手出しをしない、その代わりお前たちは僕を殺さない。この内容でいいな?」

「だが、それでお前はセドナに殺されたりはしないんだろうな」


 傭兵らしくそういう心配をするイリスに、金髪の追跡者はふっと笑って言う。


「ウチの神子様はあんなツラしてる割にそっちのに似ているらしい、アマちゃんだから許してくれるさ」

「一緒にしないでほしいわね。取引は成立したのだからさっさと失せなさい」

 むっとしたリコリスに向き直り、彼は剣を納めた。


「じゃあ最後に土産を置いていってやる。ウチの神子の名はお前らが掴んでいるとおりセドナ、ついでに僕の名はメルヴィン。次に会ったときは本当にぶっ殺してやるからそのつもりで」


 


「――メルヴィン、ねえ」

 金髪の追跡者、メルヴィンが走り去った暗闇を見ながらイリスが呟く。その表情には疑いだけがある。

 安堵の溜息を吐きながら、エレアノールが賛同する。


「わざわざ名前を名乗るでしょうか。向こうにとっては何の利益もないでしょう」

 力なく腕を下ろし、糸の魔術を解除したリコリスはここ数時間の消耗が激しいのか、珍しく口を挟まない。そんな彼女を肩に寄り掛からせながら、クロードが楽観的な意見を述べる。


「相手だって人間だし、尋常に名乗りあっておこうと考えたって不思議じゃない。それより早くここを出ないと」

 一歩、進み出た彼に寄り掛かっていたリコリスが崩れ落ちる。

「ちょっとクロード大尉、少しは気を使って――」

 エレアノールが非難を言い終わるよりも早く、リコリスが地面に倒れ伏した。


 地面に広がる黒髪。月明かりに照らされた青白い肌。

 苦しげに上下する控えめな胸と、滝のようにかいた汗。汗で張り付く髪。

  

 エレアノールとクロードは、嫌でも理解してしまう。

 無理に無理を押して、弱い体を使えるものにするために使い続けた身体強化の魔術。

 張り詰めていた緊張が解けたせいで、それが不意に解けてしまったこと。

 

 これが、彼女が完璧を求めたために起きた代償――その一部だということを。



 

これで第二章おしまいです。

長い間更新停滞して、申し訳ありませんでした。

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