ⅩⅣ 桜色の魔術師
実のところ、エレアノール・スコットが戦場といえるところに居合わせるのは初めてのことだった。
もともと魔術師は前線に出ない。 いちいち精霊と契約しなければ発動しないセレニア式や、自らの精神を昇華させる自己暗示の詠唱、精霊の力を得ないかわりに構築に時間のかかるフェルディナ式魔術――等々、おちおち前線に出ていれば即効で魔術師は殺されてしまう要素しかないからだ。
例外として多重詠唱や精霊との契約の時間が異常に短いリコリス・インカルナタという最強の神子がいるが、アレはあらゆる意味で規定外過ぎるので無視することにする。 色々と問題があるが、魔術師として近接戦に臨むこと自体が離れ業だ。
故に、魔術師は最後衛で陣を敷き、各々タイミングを微調整しながら敵陣を討つというのが定石。
もちろんエレアノールだって年齢の割には優秀な魔術師だが、その定石を覆すことはできない。
――そんな彼女にとって、不意打ちというのは最高に不利な条件だった。
リコリス達に先に発ったエレアノールとイリスは、物陰から現れた人物をみて絶句した。 まるでこちらのことを待ち構えていたかのような彼は月光の下、二人の方に歩み寄る。
「おーう、こっちは二人共初めましてだな」
そう、場違いな声で言った敵は楽しそうに笑う。 肩で切り揃えられた金髪に栗色の愛嬌すら感じさせる幼い瞳。 遠目に見れば少女にすら見える細い体。 けれど、動きを見ればわかる。 無駄のないしなやかな動作は体を鍛えている人間にしか出来ない。 クロードの報告にあったとおりの人間で、一言で言えば可愛い少年。
けれど本能が告げている。
見た目に騙されるな。
アイツは本当に殺す気でここにいる。
「――お前、私達を殺しに来たのか」
それはエレアノールを守るように立っていたイリスも同意見だったようで、普段以上に攻撃的に問う。
問われた方は笑みを崩さず、いや、と頭を振った。
「本当はあっちの大尉殿の方が殺し甲斐がありそうなんだけど、ウチの神子様がそっちの偽物と一緒に殺りたいって言うんだ。 僕らとしては神子様の言うことは絶対だし、まあ代わりっちゃなんだけど僕一人で君等二人を殺させてくれることになった」
饒舌に話すその様はまるで快楽殺人鬼。 血の生暖かさを求めて、肉を刃で切り裂く感覚を求め続けて、ようやく獲物を見つけた喜びで満ち満ちている、そんな殺人鬼。
敵わないかもしれない、女傭兵は大きく舌打ちする。
「私達を殺すのは、つまりおまけという事ですか」
ピンク色の髪を揺らして、エレアノール・スコットが呟く。
いやいや、と首を降る刺客は、月明かりの中微笑んだ。
「それってさぁ、答える必要、ある?」
血のように真っ赤な舌でぺろりと唇を舐めて、彼は言った。
言って彼は走り出す。
「エレアノール、下がれ!」
近接戦では足手まといでしかない魔術師を一喝した分出遅れた一手。
月夜にきらめく刺客の大剣と傭兵の細剣が交錯する。 イリスが細剣を滑らせて間合いに入り込むその前に、刺客は大剣を彼女に向かって薙ぐ。 体をひねって剣をかわしたイリスの息はすでに荒い。
(なんて、奴……!)
大剣なんて使い勝手の悪いものを振り回しているくせに、異常に動きが早い。 確実に相手を殺す、それだけを考えた思考の速さはイリスを遥かに上回る。
僅か数秒の間に、イリスは圧倒的な力量差を感じていた。 女性らしい胸が大きく上下していることに気付いて、更に情けなくなった。 もう息が上がっている。
こいつに勝とう、とかそういう打算はしてはいけない。 こちらは無事にこの街を脱出さえ出来ればいい、だから出来るだけ深手を負わずに出口へ向かうことが最優先。 ……かなり癪な話だが、リコリス達に途中で合流できれば尚良い。
「エレアノール、逃げるぞ!」
「えぇっ!?」
舌打ちして踵を返すと、彼女も戸惑いながら従った。 続いてどこかスキップするかのような楽しげな足音が続く。 振り返らなくても分かる、金色の死神の足音。
こういう戦闘では、エレアノールは足手まといに等しい。 話によるとエレアノールはセレニア式の魔術師、精霊の力を借りて自然の力を用いた攻撃魔術を得意とする。 が、この型は効果は大きい割に詠唱開始から発動までの時間も長い上に、消費する魔力も大きい。 その上ここは街の中、あまり大きい術式は使いたくはない。
もちろん走りながら詠唱なんて出来るはずも無いので、実質今ここで戦えるのはイリスだけだ。
走りながら考えたイリスは横目にエレアノールを盗み見る。 彼女も自分の状態を痛感したらしく、唇をきつく噛み締めていた。
何度目かの曲がり角に差し掛かったとき、イリスは追ってくる刺客が懐から何かを取り出したのを見た。
(なんだよ、ったく……!)
嫌な予感がして走る速度を上げる。 この大通りを抜けてしまえば関所に入る。 軍人組の話によれば、ここは確かに厳戒態勢を敷いているが、リコリスを加えた四人なら強行突破できるだろうという話だった。 身内のことを馬鹿にし過ぎだろ、とその時は思ったが、今ここで普通の魔術師と話に聞く神子の力を比較してみればそう言えるのも納得だった。
思った瞬間、イリスの髪を何か鋭いものが掠めた。 茶髪が数本空を舞う。 振り返って刺客を見れば、数本の小さなナイフが手にあった。
「くそっ」
今度こそ口に出して毒づいて、イリスは走る。 この大通りではいい的だ。
脇道に入ってしまえばいいのだが、それでは合流地点は遠のくばかりだし、リコリスたちと合流する機会がまた減ってしまう。
そんな時、ふと追いかけてくる足音が止まる。
何故。 仲間を呼んだのか?
思って振り向く。
金髪の刺客の背後、大通りの奥に黒髪がいた。
肩が大きく上下しているのは今まで走ってきたせいか。 青白い月の光に照らされた、陶器のように白い肌は顔全体が桜色に染まっている。 夜闇の閉じ込めた黒い瞳は真っ直ぐと敵を見据えている。 圧倒的なまでの存在感が刺客をその場に踏み留めていた。
一歩、リコリス・インカルナタは前へ踏み出す。
特有な腕の構えは、魔弾を撃つためのもの。
「一歩でも動いてみなさい、撃つわ」
凛とした声が通りに響く。
「くっ――」
焦ってイリスに向き直った彼はもう一人の闖入者を見咎める。
「クロード・ストラトス……!」
「悪いけど、お前は囲まれている。 多勢に無勢だな」
刺すような殺気を纏った彼は、刺客を気の毒そうに眺めた。
「お前等はセドナに追われていたはず……、なんでこんなに、」
待ち構えていたかのように、囲むように現れたのか。
リコリス・インカルナタは秀麗な眉を顰める。
「調査が足りなかったようね。 そこにいるエレアノール・スコット少尉は、」
刺客は、魔術師という特性故にそのどう見ても奇異な少女に関して、何の注意も払っていなかった。 彼はピンク色の髪、蒼い瞳というふざけた外見の少女をこれでもかとばかりに睨みつける。 それも、もう遅い。
彼女が軍でも一目置かれているのは、見た目だけの話ではない。
「元第三師団の期待の新人――街中に自分の居場所を知らせる魔力を撒くことぐらいは造作もないのよ」