ⅩⅢ 落下のち、逃亡
戦闘を始めてから、すでに五分は経つ。 絶えることのない剣戟とリコリスの魔術援護の様相を見て、剣を引く一瞬の間、クロード・ストラトスは息を吐く。
(まったく、ここが無人地区でよかったよ)
着弾した魔力弾による穴は平らだった地面を無残にぼこぼこに穿たれ、セドナの踏み込みのあとなどで足場は相当に悪い。
その凄絶な様相を呈す戦いのメインに自分がいるというのは実に小気味よい。 武人として誉れ高いのは隠しようもない。
しかも、当の相手であるセドナは数十にもなる打ち込みをして、汗一つかいていない。 あの雨の日の金髪の偽者とは格が違う。
リコリスの魔弾は仕方ないとは言え、これ以上足場を荒らされると色々と面倒だ。
クロードは動きを止めて、眼前の黒髪に賞賛を送る。
「敵に褒められても嬉しくはないだろうが、その体格でその動きは大したもんだ」
その賞賛にどこから打ち込んでやろうかとばかりに間合いを測っていたセドナも動きを止める。 長い前髪と眼帯から覗く黒い瞳は、訝しげながらもしっかりとクロードを睨みつける。
「―――お前こそ」
小さく低く、呟いたセドナはまた踏み込む。 斬撃による攻撃ではなく、足を踏んで反応を遅らせるための踏み込み。 クロードは薄く笑ってそれをかわし、すれ違いざまに切りつけようとする。
さすが、と言わざるを得ないほどの精密な動き。
が、セドナも馬鹿ではない。
体格を生かして鋭く身をよじらせたセドナは、バックステップで退避する。 揺れる黒髪の生え際から、赤い血が流れ出した。
出血量からして、傷はそれほど深くない。
あの場からその程度で逃げ出したセドナにか、それとも神子に傷をつけた自分にかクロードは小さく口笛を吹く。
「ふざけんなよ……!」
(………!?)
表情を険しくしたセドナに僅かな既視感を覚えながら、クロードは踏み込む。
「どうだい、そっちの方は」
二人の剣戟の音が響きわたる、屋上。 クロードの戦闘を援護していたリコリスは、ふいに背後からかけられた声に驚き、振り向く。
(いつの間に!)
月明かりを背に佇む背の高い男は、ぱんぱん、と手を叩きながらリコリスに歩み寄る。 亜麻色の髪、濁った青い目。 月明かりの青白さも相まって、どこか爬虫類を思わせる顔つき。 長い足が間合いを詰めるのはあっという間で、リコリスが二の句を告げないでいるうちに、屋上の端にいた彼は大分近くにいる。
(ち、術式の準備は全部終わったのに。 こいつのせいで、上手く動けない)
リコリスは舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、新たに攻撃魔術を構築する。 彼が何をしても、すぐに対応できるように。
「あなた、セドナ側の人間?」
また一歩、近くなる。
彼の表情が変わらないのを見て、リコリスはもうひとつの問を投げる。
「それとも、教会側の人間?」
歩みが止まる。
止めた彼はなんとも憐れむような表情で、大げさに身振り手振りしながら答える。
「君という子は」
まるで出来の悪い玩具を憐れむかのように。
「想像力が高いというか、それとも、本当に馬鹿なのか」
火花が散りそうなほどの眼力で睨みつけたリコリスの視線を真っ向から受けて、動揺すらせずに肩をすくめる。
「あなたって嫌な人ね。 こういう大人にだけはなりたくない」
芝居じみた動作に苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「そうかい。 敵に好かれるのも面倒だし、全く構わない―――っよ!」
いつの間にか取り出していたのか知らないが、投擲された小刀を辛うじて避ける。 無理な体制で避けたせいでバランスがとれなくなった身体を転がし、距離をとった。 起き上がりざまに腕を鋭く振って用意しておいた魔弾を放つ。 狙いを定めづらかったせいで放った弾はすべてぎりぎりの所で外れていく。 強化魔術が適用できないせいですでに息が上がっている自分の体を疎ましく思う。 屋上のへりの部分に来てしまったのか、下から吹き上げる風が背中を冷たくする。
「ほう、やはり強化魔術はまだ使用できないか」
ぱんぱん、とまた手を叩く彼は当然汗一つかいていない。 きっちりと着込んだ燕尾服からナイフをまた数本取り出し、一歩距離を詰める。
じり、と後退るが後ろはもうない。
クロードがいるのはこの男の背後の方。 恐らく彼はこの状況に気づいていない。
「魔術の神子とはいえ、余りにも使えないな」
ぎり、と音がしそうなほど歯を食いしばって睨む。
リコリス・インカルナタは間違いなく魔術面では最強の神子だ。 その反面、体力体術面では平均以下で、今のように少し激しい動きをしただけで息が上がってしまう。
はあ、はあと荒く息継ぎを繰り返し夜気を肺に押し込みながら、リコリスは尚も眼前の敵を見据える。
「セドナが君を殺したがっていたわけがわかったよ。 君は余りにも使えない。 その点セドナは、優秀だ」
リコリスの戦術は多重作業による魔術の手数の多さとその破壊力。 強化を行った状態ですら白兵戦はあくまでも牽制、補助としてしか使えない。 多重作業を用いて用意していた術式で圧迫された脳は、今は同時詠唱など行えるはずもない。
確かに魔力切れもない体術に秀でたセドナのほうが、戦士として扱いやすいだろう。
それに、リコリスの魔術の地図を食い破ってきたあの力。
華奢な喉が、精一杯に空気を取り込む。 青白い月明かりの下で、黒髪の少女と長身の男が向き合う。
「それとも何か、打開策でも?」
小刀をゆらゆらと揺らしながら言う彼に、リコリスは鮮烈に笑う。
「ひとつ言っておくわ」
怪訝な表情をした男から後ずさり、屋上のへりに立つ。 ブーツに踏まれた小石が、遙か下の大地に落ちる。
「大きすぎるのよ、あなた」
そう言って前のめりに転がるのと、彼が小刀を投げるのは同時だった。 回転する視界の中で、くすんだ青い目が苛立たしげに細められるのがよく見えた。
一回転、リコリスは体制を整えないままに魔弾を放ち、投擲が間に合わなかった彼の体に諸に当たる。 的が大きいと当たりやすいのだ。
くすり、と。
小さく得心の笑みを浮かべたリコリスは彼の後ろへと走り出す。
「なっ………!?」
叫んだ彼の足元で仕込んでおいた火の魔法陣が発動し、炎にまかれて見えなくなる。
「――――クロードッ!!」
叫んだリコリスはそのまま、屋上から飛び降りた。
「………おいおいおい」
叫ばれた彼はセドナの大剣を押し戻して、頭上を見上げた。 つられて仰ぎみたセドナも思わず固まる。
見慣れた長い黒髪の少女がこちらに向かって落ちてきている。
「あいつ……!」
近づく天敵を前に、殺意をむき出しにしたセドナ。
「悪いな」
隙だらけな敵を蹴り飛ばすことで牽制したクロード。
「――――だあああああッ!!!」
叫びながら落ちてきたリコリスが、クロードの襟首を奇跡的な正確さで掴む。
これら全てはリコリス・インカルナタがセドナの襲撃に備え布陣した、逃亡のための術式が発動するまでの僅か数秒の間。
撹乱の閃光に目を潰され、セドナが気づいたときには、誰もそこにはいなかった。
残ったものは、発動の証である魔法陣が焼き付いたあとだけ。
「ち、逃げられた」
苦虫を噛み潰したかのように吐き捨てるセドナに、背後から声がかけられる。
「気にすることはないさ」
建物から悠々と進み出てきた割に、煤まみれの燕尾服の男は、芝居じみた動作で一礼する。
「うるさいな、変態。 お前こそ、笑えるくらい手酷くやられてるじゃないか」
「まあまあ、目的はまだ見失ってはいないよ?」
不自然なまでに青白い指が、少し先の家の屋根を指す。 そこには、黒髪の少女と茶髪の青年が何かを言い合いながら走っていた。
視線をやって、頭を振った黒髪黒目の神子は吐き捨てる。
「アレはただの幻惑術だ。 恐らくこの街にいくつも発生しているだろうから、追うのは困難だな」
「諦めるのかい」
細い路地に向かう真っ黒な背中が、その言葉に立ち止まる。
「それは絶対、ない」
冷静な炎を内包した瞳がまっすぐに彼を射抜く。
「どうせ連中の行き先はひとつしかない。 なら、機会はいくらでもある」
冷たく言って歩き出したセドナを見て、煤だらけの燕尾服の男は大げさに肩をすくめた。
白磁のようにきめ細かな肌、夜を溶かしたような黒い髪、同じ黒い瞳。 幻想的にすら見えるその美貌を、眼帯と無骨な剣がひどく現実的なものに変えていく。 そしてそれらは、セドナ自身の性格と違わない。
セドナはそんな神子だった。
大変お待たせしました!