ⅩⅡ 剣戟の音
いつだってそうだ。
仕事の時は驚くほど体が軽い。
僕はいつものように走る。
地面を踏みつけると同時に、華奢なガラスを踏み砕いたような音がする。
あの神子が敷いた魔力、その破砕音。
あと数十メートルも走れば、あの神子がいるであろう場所に着く。
踏み出したその足元を、魔力で練られた弾が抉る。
顔を隠す為の眼帯を邪魔に思いながら、発射地点を探す。
「――……いた」
月明かりの下、堂々と黒髪を晒した少女。 前方数十メートル先、三階建ての建物の上から両腕を突き出して、次の攻撃の狙いを定めていた。
離れていても分かる、冷たい闘志。
眼下を睥睨する氷のように冷徹で、美しい姿はなるほど、確かに畏怖されても仕方ない。
背中の愛刀の位置を確かめて僕も睨みつけたその先で、神子がその小さな唇を動かす。
「――……クロード、見つけたわ」
リコリス・インカルナタは小さく呟いた。 両手で次弾の魔力を充填する彼女の周囲に、しかし問いかけられた彼はいない。
代わりに淡く、エレアの買った新しい服のポケットに光る物。 通信用の栞である、そこから声が響く。
『ああ、こっちも準備できたぞ』
魔力充填の耳障りな高音の中に、聞き慣れた相棒の冷静な声。 戦闘時にはいつも以上に冷静で、獰猛になる彼の返答にリコリスは小さく笑って答える。
しかしそのリコリスの笑みすらも、剣先のように鋭かった。
合図はいつだって同じ。
最初は相手の足元に、続く第二撃は金色の魔力弾に交じっての青い魔力弾。
クロード・ストラトスは間違えずにそれを見つけ、剣を抜いて物陰から踏み出した。
互いに間合いを詰めるのは一瞬。
その速さに僅か瞠目したクロードは、素早く身を引いて打ち込む。 黒髪――セドナの方は慌てる素振りもなく応じ、それが幾度も続く。
クロード・ストラトスは、剣においては最強、と呼ばれる男だ。 だからこそ、その年若さで生まれの地位に頼ることなく少尉にまでなった。 当然、剣と剣の戦いは食事作法も同然に慣れ親しんだものである。
しかし、今度の相手は格が違う、と言わざるを得なかった。
相手はほとんどリコリスと同じくらいのみすぼらしい体躯で、背丈ほどもある大剣を扱っている――百歩譲ってこれはまだいい、許せる。
だが、それにも関わらずあの速度は何なのか。 通常、あの武器は重さにより速さが落ち、その代わりに大きな打撃力を持つ。 だがセドナの攻撃は速く、重い。 まるで細剣でも扱うかのように、驚くほどの速さで対応してくる。 その速さにクロードは舌打ちを禁じえない。
(くそ、まったく隙がない。 化物かこいつは)
(まるで化物ね、あの二人)
屋上から見下ろすリコリスの方は、呆れ混じりの賞賛を二人に贈る。
確かに上辺だけ見れば、手数の多さでセドナが優勢に見える。 が、リコリスに言わせればどっちもどっちだ。
圧されているように見えるクロードは、その実一度もセドナを攻撃範囲内に入れてはいない。
むしろ一打ごとにその動きを精査しているように見え、時には攻撃にすら転じる。 速さではセドナが勝っているものの、 クロードは慣れが違う。
第一目標であろうリコリスを攻撃してこないのが、かの暗殺者がクロードに手こずっている証だった。
始まってから一分ばかり静観していたリコリスは、息をついて集中力を高めて何事か小さくつぶやく。 すると魔力を高密度に圧縮した魔力弾が待機状態で現れる。 その数三十。
クロードの剣と共にセドナを制圧するには些か少なすぎる量だが、それでいい。
今回は、この街から脱出できればいい。
そのための準備はすべて、整っている。