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真っ黒少女と六つの約束  作者: 早見千尋
第一章 初動捜査は慎重に
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Ⅰ 三時のおやつはお預けです

 ティターニア王国。

 今から千年近く前に存在したという、魔術に精通し、黒髪を持つ聖女ティターニア。ティターニア王国は、彼女の弟子達が建国したと言われる宗教国家である。


 その宮殿の廊下を、貴族達がたむろする中、足早に進む一人の少女がいた。

 はしたない、と迷惑顔をしていた貴族たちは足音の主と翻る黒髪を見て、慌てて表情を変えた。


 分厚い水色の封筒を抱えた少女が着ているのは、黒い軍服に最近女性士官の間で流行り出したミニスカート。軍服と揃いのデザインのスカートと丈長のブーツ。


 ある伯爵は、彼女と初めて出会ったとき、思わずこう呟いたと言う。

 ――「人形かと思った」。


 北の出身者特有の、雪のような白い肌。少女らしい柔らかな輪郭。理性的な光を放つ瞳は夜空を閉じ込めたような静謐。絹糸のような黒髪は少女が歩くたびにたおやかに揺れた。狂いのない精緻な美しさは、まさに人形。

 まだ年のころは十五、六といった頃か。同年代の少年少女と比べても、決して高くはない背丈だ。

 

 儚げな印象を強烈な存在感に変えるのは、黒髪と黒い瞳だ。夜空を切り取ったかのような漆黒の瞳と髪は通常この世界の人間にはありえない色だ。


 彼女こそが、この古の聖女の名が冠された国の生きる伝説―――「神子」だ。

 伝説曰く、黒髪に黒目を持つ子供は聖女の力を受け継ぐ者。それぞれに偉大な力を秘めた“神子”であるという。数百人目の神子である彼女もその例に漏れず、偉大な力を秘めている。


 そんな彼女が宮殿の―――それも、第二王子の執務室への道を歩いているのだ。興味を集めないわけがない。貴族や軍人たちの視線はいっせいに彼女と、彼女が持つ封筒に注がれていた。 

 黒髪の少女は向けられた視線をこれから報告する内容に集中することですべて遮断し、一際大きな扉の前に立つ兵に声をかける。


「ご苦労。殿下にお目通り願いたいのだけど」

「はっ! 殿下よりお話は聞いております。大尉はお先に行かれました、どうぞ中へ」

「……そう、クロードはあの方を抑えきれなかったのね」

 先に行ったという「大尉」はおそらく―――というか、毎度のことだが彼の暴走を止められなかったらしい。

「………よく、分かりましたね」

「顔を見れば分かるわ」

 疲れ気味に笑う彼を見ていると、まだ問題を直視すらしていないのに頭痛がしてきた。 

(……まったく)

 「ご苦労様」と心の底から言ってやると、兵は疲れた笑顔を見せた。まったくもって同情する。


 この扉の先は、王族の居住空間。リコリスは大きく深呼吸をして、中へ入った。

 聞きようによってはそれは、ため息に聞こえなくはなかった。


* * *


 首都の街並みを臨むガラス張りの壁、リコリスの執務室の数倍はあろうかという部屋面積と本棚。

 ほぼ執務室に引きこもっていると言っていいリコリスにとって理想の部屋だ。


 メイド達によって毎日整理されるこの部屋は当然、散らかってなどいない。だがしかし、今は、今だけは散らかっていない方がおかしいのだ。

 午後三時、定例会議三時間前。本来ならば、忙しなく書類をまとめるなり書き直したりしなければならない時間。


 しかし、この部屋の主は。 

 未処理の書類の山はそのままに。書類どころか、塵ひとつない机の上で頬杖をついて。


「よおリコリス。三時だし、デザートでも食べようぜ」


 などと言うものだから。


「こんの……っ、馬鹿殿下―――ッ!!」


 リコリスは手に持った、鈍器になりかねないほど分厚い封筒(重要書類)を、思いっきりぶん投げた。


「相変わらず容赦ないな君」

「殿下こそ相変わらずの怠けっぷりですね」

「あの大佐、査問会にかけられる覚悟あってやってます?」


 リコリスの投げた封筒は狙い違わずアルバート王子の頭に着弾し、リコリスは痛がる猶予も与えず書類の処理と彼女が持ってきた書類を読むことを言い渡した。そしてアルバートの後ろで力なく笑う、相棒兼副官をキッと睨みつけた。


「クロード・ストラトス大尉、あなたがいながらなんて無様なの。……いいえ、似たもの同士が二人集まっても同じことだったかしら」

「おい、クロードは頭いいぞ結構」

「馬鹿の味方するのは馬鹿だけなんですよ殿下」


 件のクロードは付き合ってられないというように目線をあらぬ方向に向けた。付き合ってられないのはこっちだ、とリコリスも大きな溜息をついて執務机の前に立つと、アルバートも目線をそらした。

 この二人はリコリスが怒ると昔からこうなるのだ。態度がどうこう怒鳴るのも数年前に飽きた。 


「一国の王子にそんな態度とるかよフツー」

「仕事もしない王子に払う敬意なんて微塵もありません」

「あーあー、十年来の幼馴染という仲なのにキッツいなぁ。同じ幼馴染のクロードは最低限弁えてるのになあ悲しいなあ。んで、コレ全部読むの?」

「当然。私、今日の会議のために昨日徹夜でまとめたんですよ。あなたのせいでまとめ損なんて御免被ります。―――もう一度言います、徹夜したんですよ私」

 

 ギロ、と黒い瞳で凄むと、十年来の幼馴染は明るい茶髪をくしゃくしゃにして頭をかいた。

 リコリスは執務机から水色の紐で束ねられた紙を引っ張り出し、漆黒の髪を翻して来客用テーブルに向かう。


 誰だってそうだろうが、リコリスは最初から軍人として生きてきたわけでない。

 リコリス・インカルナタ。当代の神子。この国はもちろんのこと、諸外国にも多数の信徒を持つ一大宗教のその象徴。彼女は生まれて間もなく教会に保護され、厳重に厳格に育てられてきた。年の近い友達もなく、幼いころから睡眠時間を削って勉学に励む日々。

 リコリスが十歳になる頃に、転機が訪れた。

 第二王子アルバートが、権力闘争から逃れるためにリコリスのいる修道院に預けられたのである。そうして護衛には、今のリコリスの部下であり、無二の相棒でもあるクロードがついていた。

 そして数年がたつころには、リコリスもこの無鉄砲な二人に感化されて教会を出た。簡単に言えば、唾を吐いて、逃げ出したのである。


 リコリスは教会に関して多くを語ることはない。だが、逃げ出した以外は表立って敵対行為は働いていないし、むしろ協力的であると言えた。


「お、やってくれんのか」

 テーブルについて書類をまとめ始めたリコリスに、アルバートは声をかけた。リコリスは心底嫌そうな顔で言う。

「軍部から回したものだけです。政治関係の面倒な方は殿下にお任せします」

「クロ、」

「俺もパスですよ、殿下。それで殿下のお立場が悪くなっても責任はとれませんから」

 リコリスに続いてクロードも書類を抱えてテーブルに着く。……軍関係のものだけさらってきたものの、それでもお世辞にも少ない、とは言い難い。リコリスは自分の机に置かれた未処理書類の山を思い出した。気分が悪くなりそうだった。


「で、殿下。まさか書類仕事手伝わせるために私達を呼んだのではないでしょう?」


 皺一つない書類をめくりながら言ってやると、アルバートが向こうの机でまた頭を掻いた気配がした。


「ながら作業的に聞くような話じゃないんだがな」

「クロードは別として、私は多重作業(マルチタスク)があるから大丈夫ですよ」


 多重作業――魔術師の上級技術、多重詠唱のための技術。同時に複数の作業を行うこと。詠唱をしながら防御や物理攻撃を行うことが出来るほか、普段の生活においてもこうして書類仕事をしながら会話、もしくは同時に二つの書類を片付けることができるので、リコリスはこの技術を重宝している。


 アルバートがふうっと吐息を吐いて、重く。 

「……外交問題のこと、と聞いてもか」


 部屋の空気が凍って、さすがのリコリスも手を止めた。隣で身を硬くしたクロードが、搾り出すように「……アル、」と。手で制しかけたリコリスはアルバートの声で思いとどまった。


「いい、今は非公式に会ってるからな。昔のままでいい」

 そういうアルバートの赤銅色の目は、珍しく真剣そのもの。リコリスは呆れたような目を向ける。ここで話すということは軍部で把握している以外の問題があるのか、と。

「報告は大体聞いてる。和平交渉が上手くいってないそうね?」



「このところの国境付近での小競り合いだが、昨日の時点で十件を越えた」

「……十件」


 思わず復唱するクロードに、アルバートがしっかりと頷いた。横からリコリスが、茶のみ話でもするような気軽さで話す。彼女がこういう風に話すときは、何かを熟考しているときと知っている彼等は気にも留めない。


「まああまり仲がいいとは言えなかったけれど、いきなりよね。それほど向こうの――サラマンカと小競り合いになるような理由はないはずだけど。……ああ、あるとすれば」

「サマランカ人は喧嘩っ早いところもあるが、戦争状態まで行くほどバカじゃない。そこまでいくとすれば、神子関連か」


 リコリスの言葉をクロードが引き継いだ。リコリスはそうね、と肩をすくめて続きを促す。

「そう、神子関連だ。―――ということは、お前、言いたいことは分かるな?」


 ………ああ、言うと思っていた。

 これはアルバートだけでなく、彼の兄性悪第一王子エドワードの命令でもあるのだろう。むかつくほどに自信満々なアルバートの顔に、冷たく見下すエドワードの顔が被った。


「続きをどうぞ、第二王子殿下」


と僅かな反抗として嫌味を言って、殿下の命令に「是」と答えた。


「最初の騒動の発端はサマランカの兵が神子について、というか君について悪く言ったからだな」

 リコリスは「神子」と復唱して、自らの黒髪に触れた。その向こうでアルバートが、隣にいるクロードさえもが目をそらしたのは、恐らく気のせいではない。


「神子は神の愛し子。神子はティターニアの御子。その証はこの世のものではない、濡れた黒髪に黒曜石の瞳。……だっけ、バカみたい」

「それを信じてるバカが大勢いるのがこの世の中だ。俺や君自身を含めてもな。第一、聖女の力と言われてもしょうがないほどの力を持っているのは事実だろう……まあいい。続けるぞ」


 さあ、とでも言うように肩をすくめたリコリス。クロードは疲れたように続けてくれ、と呟く。


「騒動の大半はティターニア国領アーガイルとそこからすぐのサマランカ国領シドニアのどちらかで起きている。いずれも自警団や軍が介入しているから暴徒化する前に鎮圧出来ている。軽傷の者が数名と言ったところだな。

 ただ、騒動が続けば軽傷者が重傷者となり、そしてそれが死者になる。そうなれば戦争は目前だ」

「そんなに小競り合いが続くのか、しかも同じ神子絡みで」

「そこなんだよ」


 口をはさんだクロードにアルバートがペン先を向けた。

「クロードがさっき言ったように、連中は血の気が多いのは事実だがな。だが蛮勇ではない。サマランカ人の二割ほどはティターニア教徒である彼らが、理由もなく神子を悪く言うのはおかしい」

「では原因があると?」

 リコリスは両眉を上げた。


「ああ。サマランカの軍に上がった報告だがな、なんでも騒ぎの直前にはある悪党が出るそうだ。やっている内容は大したことじゃない。―――その目撃証言では、そいつは黒髪に黒目の人間という話以外はな」

「……なんですって」


 リコリスは机にぶつかりながらも勢いよく立ち上がる。立った勢いで書類が机から雪崩のように落ちたが、そんなことは気付いていなかった。


「そんなこと、あるわけ」

「それを調べてほしい、リコリス・セレナ・インカルナタ大佐。

 ―――聖女ティターニアの再来と言われた、歴代最強の魔術の神子よ。戦争を、止めてほしい」

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