Ⅶ カルタナ騎士団
リコリス・インカルナタ。
最強の神子とも呼ばれた天才魔術師。 教会から還俗後、魔術師の名家、インカルナタの養女となる。
若干十六才にして軍のエリートの代名詞、ティターニア王国軍第三師団の副師団長に着任。
彼女の武器は圧倒的な魔力運用、多重作業を用いた魔術の多重展開、英才教育によって培われた術式の構成力。
以前の独立戦争介入の際は最後衛にて敵勢力の術式崩壊を引き起こし、一個師団を壊滅させたと言われた、まさに生ける伝説。
そんな彼女が、一傭兵の家で作戦会議をしているのはあまりに似つかわしくない、とイリス・クロイツァーは目の前の状況を見て、笑うしかないのだった。
当の神子様――幻惑術をかけ直したのか、亜麻色の髪と翠の瞳だ――はというと、傷だらけの机に地図をいっぱいに広げて、政治だの宗教上のだのなにやら小難しい話をしていた。
さっぱり理解できない内容からさっさと引き上げることにしたイリスは傭兵として持っていた彼らの情報を吟味することにしたのである。
所属するギルドから随分前に渡されていた書類に視線を戻す。 高価なはずの紙が惜しげもなく使われているのは、ギルドの成り立ちを考えれば普通のことだ。 イリスはリコリスのページを数枚飛ばした。 このあたりは彼女の魔術研究や戦果についてまとめられていたが、それよりもみたいものがあった。
――クロード・ストラトス。
イリス・クロイツァーの読みを答えた彼に抱いた違和感が、昨晩から消えないのだ。 だからなんとなく、彼を優先することにした。
リコリスの話を真剣に聞く彼の表情は軍人らしく引き締まっている。 一見リコリスが主導権を握っているように見えるが、実のところ最後に意見を求められるのは彼、のように見える。 その関係性もなんとなく腑に落ちない。
イリスは視線を戻す。
クロード・ストラトス、十八歳。
騎士の家ストラトスの次男。 修行と称し、幼少期よりアルバート第二王子と共にティターニア教会に入る。 神子リコリス・インカルナタとも教会内で出会ったとされる。
十四歳で還俗、ティターニア王国軍第一師団に配属。 二年後、第三師団に転属、リコリス・インカルナタの部下となる。 これはリコリス・インカルナタ警護のため――。
「ちょっとイリス、聞いてます?」
隣のエレアノールが怪訝な声を出す。 顔を上げればエレアは心配げに、奥に立つリコリスは苛立たしげにイリスを見つめている。
「あー、聞いてないや。 ごめん」
イリスがそう言うとリコリスは今にも舌打ちしそうなくらいな顔で言う。
「あのね、あなただって一緒に行くんでしょう? だったらこの街の警戒を突破しなくちゃならないのはわかってるわよね!」
ばん!と机を叩いたリコリスに美人が台無しだぞ、と返してやる。 イリスは調査書のリコリスの項にあった「プライドが高い」という一文を思い出す。 おそらく、自分の部下に刃向かわれたことが悔しいのだろう。 それともたかが一傭兵に頼らなければならないこの状況に苛ついているのか。
「び、美人とか…! そういうお世辞言っときゃなんとかなるとか思わないでよね!」
「思ってねーよ。 あと悔しいのはわかるけどカリカリすんな。 別にあたしはあんたらに協力しなきゃいけない道理はない」
癇癪をしょっちゅう起こされてはたまらない。
冷たく言うと、リコリスは表情を引き締めた。 さっきまで赤面していたようには思えない表情。
基本的にイリスは権力だとか名声だとかいうものが大嫌いだ。 その点で貴族ぶった話し方をするエレアノールと話があったのは珍しい。 目の前のリコリス・インカルナタは神子で名家の養女と、紛れもなくその象徴であり、なによりその態度が気にくわなかった。
睨み合う二人を観察するクロードにしてみれば面白い構図だった。
リコリス・インカルナタはイリスが思うほど高圧的な人間ではない。 確かに幼い頃から大人の汚い部分を見てきたせいで年の割には冷徹すぎる所もあるが、素直に人の悲しみに涙し、喜びを歓迎することが出来る少女だ。 礼儀もある、最初にここに来たときに頭を下げたのがその証拠だ。 しかし自衛のため、相手に足元を見られまいと取る態度がイリスの気に障ったらしい。
(素直なほうがよっぽど話になったのにな)
クロードが彼女と話したのは昨日と、いつかの酒場での騒ぎの時だったがそれくらいはわかっていた。
「イリス、お前だって無関係じゃいられないんだろ? だから今朝、お前から情報提供を申し出たんだろう」
「情報提供じゃない、心当たりがあるから手を貸せって言ったんだ。 別にクロード、アンタひとりでもいい。 このお嬢サマがいる必要性はない」
イリスとリコリスは視線を逸らさない。 殺気が出まくっている二人をよそに、クロードとエレアノールは顔を見合わせる。
(似た者同士って感じだな)
(同族嫌悪のようですわね……)
はあ、と人知れずため息をついたエレアノールはひとまずまとめる。
「護衛対象の商人や市民の移動が止まる戦争は儲からない、だから停戦に協力したいんじゃありませんでしたの。 イリス?」
「リコリスだって戦力は多い方がいいに決まってるだろう? 三人だけじゃどうしても手が足りない」
いかにリコリスが多重作業を用い、魔術の手数が多かろうと、それでもタイムロスは生じる。 振り上げた剣を降ろすだけの時間と詠唱から発動までの時間ではどうしても釣り合わないからだ。 リコリスだけの一騎打ちならまだ対処の仕様があるものの、囲まれたときにはどうしようもない。
「……わかったよ、だけどアンタらからの利益も情報もないんじゃ、完全に信用できないよ。 情報を完全に明かすことは、できない」
未だに手の内を明かさないイリスに、エレアノールは「ちょっと!」と叫びかけ、リコリスが細腕を上げて制止した。
こういうときのリコリスの制止は、クロードやエレアノールとは違った意味の「制止」だ。 相手の要求を理解し、非の打ち所のない完璧な方法を提示する。 ときに相手の要求を妥協させてまで、だ。
リコリスはそんな時、まるで難題をぶつけられたのを喜ぶかのような笑顔を浮かべる。 人形のように端正な顔に、触れれば壊れてしまいそうな華奢な雰囲気とこの強い挑戦的な笑みは神秘的な魅力にすらなる。
「利益なしでは動かないと? 骨の髄まで傭兵ね」
ふん、と鼻を鳴らしたイリスにリコリスは言った。
「では、イリス・クロイツァー。 あなたを傭兵として雇います」
予想通り、と言わんばかりにクロードは口の端を釣り上げた。 イリスの方はリコリスを見て「そうきたか」と言う。
イリスの属する傭兵ギルドは、確かに傭兵らしく素行は悪い。 が、その名の由縁からか、一度正式に契約を結べば、どんなことがあろうが最後まで遂行するという信念を持ち合わせている。 ギルド発足の理由といい、その名を冠することになった理由といい、あらゆる面で異端なこのギルド。
イリスは小さく舌打ちして、しかし不敵に笑う。
「前にやりあったくらいだから、忘れてると思ったんだけど? 名付け親さん」
「アルがこんなの作ってたなんて知らなかったのよ。 しかも子供時代の思い出まで持ち込むなんて」
リコリスも今ここにいない幼なじみをからかうように、しかし慈しむように笑う。
――第二王子アルバートの指示で作らされた、民間による「騎士団」。
それはあまりにも横暴なギルドに国民が頼らないように、と作らせたもの。 騎士団でありながら民間であるが故に、軍の支配を受けない彼らは貴族から反感を買いながらも国民の信頼を勝ち得た。
その名も、カルタナ騎士団。
リコリス・インカルナタが幼少期、「国を守る軍を作る」と言ったアルバートに、戯れに教えた名前である。