Ⅳ 思いがけずの再会
「……お姉様っ!」
薄汚い家の中、粗末な椅子に腰掛けて待っていた彼女、
「心配かけてごめんなさい、エレア」
エレアノール・スコットは疲れきった顔に溢れんばかりの喜色を持ってリコリスに抱き付いた。
状況が状況だからか、今回は怒らず、むしろ自分より背の高いエレアに寄りかかるようにしているリコリス。 それを後ろからほっとしたような、それでいて安心しきってはいない表情で見守るクロード。
その原因たる人間は彼らの後ろ、家のドアをぴったりと閉まったかどうか確認しているところだった。
塗装も剥げたドアを注意深く見守る彼女。 豊満な胸はリコリスと会ったときと同様に大胆に露出されて、巻きスカートの下にズボンをあ履いているにも関わらず、その腰つきの良さは服越しにもわかるほど。
リコリスにとっては遠い昔に思あえる、数日前の夜。 まだ黒髪の情報など掴んでいなかった頃に酒場で出会い、どうやら酒の勢いで、喧嘩した、らしいギルドの女。
結果はもちろん魔術を連発したらしいリコリスの勝利。 どうやらその時に女含めた代金をリコリスが払った、らしい。
さっきから「らしい」が続いているのはリコリスが酔っていた間の出来事をまったく思い出せないからだ。
「まったく、大変なことになったね」
女性にしては低めの声で切り出した彼女は椅子にどっかと腰を下ろす。
「しっかしまあ、ホントにあんた神子? 見事に化けてたもんだね」
エレアに抱きつかれたリコリスは未だ術を解かず亜麻色に翠の瞳。 人間離れした美貌を遠慮もなしにじろじろと見て「動かないなら人形として飾っときたいわ、うん」。
「……助けてくれたことにはお礼を言うわ。 説明をしてくれたらさらにお礼をしたいんだけど」
その無意味な言葉にしびれを切らしたのか、リコリスは切り出す。 「相変わらずしゃべると可愛くない」とやはり無遠慮に呟くと、手元の板にチョークで文字を書き連ねていく。
「これがあたしの名前」
指し示したそこには少々変わった名前があった。
「……アイリス・クロイツ?」
「違う、ハノンブルク語か。 ならイリス・クロイツァーが正しい読み方だな」
リコリスと同じくすかさず覗き込んだクロードは足を組んで見守る彼女に目線で問う。
「やるじゃん、正解」
「………むー」口に出すのが悔しかったので、服の裾を掴んで説明を求める。 クロードは少し言葉を選んでいる間にイリスが答える。
「数世紀前の移民でハノンブルクからこっちに流れた奴らがいるだろ? そっちは帰化したことでティターニア読みになった。 まああたしがその移民の子孫だったらアイリスで合ってたと思うけどね」
「つい百年前まで、クロイツァー姓は色々大変だったから移民なんてできたわけがない。 だからせいぜい、移民一世二世くらいだろ? 帰化しても読みを変える習慣は廃れてきてるから、もとの読みで『イリス・クロイツァー』」
饒舌に説明する二人を交互に見てため息を吐いたのは背後のエレア。
ため息は知識不足だったリコリスにではない。
「クロード大尉、歴史オタクの知識を披露している場合ではないと思いますの」
「というかあなた、教会の授業は剣術しか出なかったじゃない。 歴史なんか私が教えてもちんぷんかんぷんだったくせに、なんでそんなに詳しいのよ」
専門の民族学の本でも開かない限り得られないわよそんな知識、とリコリスは毒づく。 魔術師の彼女も人並み以
上に歴史に通じているが、そんな知識は得ていない。 なにがきっかけでそんなに興味を持つようになったのか。 というか、非番の日は寝るか剣を振るか剣を磨くか寝るかのクロードが本に向かう姿が想像できない。
「別にいいだろ、なんだって」独り言が漏れていたらしい。「まあ本題に入ろうか?」
一向に視線を合わせようとせず言われてもいまいちやる気にはならないのだが。
――それでもやるべきことは早急に。
頭の中に冷徹な自分の声が響いた。
「まず、恩人に尋問するようで悪いけど――」
リコリスは考えを整理するかのように、人差し指を中空でぐるぐる回す。 説明の仕方に気に入らないところはあったが、まずはまとめる。
ほとんどイリスが話していたので情報が出揃わないのは無理もない、か。
「まず、要約すると」
イリス曰く、軍に居辛くなり(危険すら感じた、というのはエレアの言葉)、あの酒場で泣きながら飲んでいたエレアと再会し、ここに匿っていたこと。 検問所での騒ぎを聞きつけ、エレアに頼まれたイリスがいずれリコリスがここに逃げ込むだろうと見越して待ち構えていたこと。
「エレアノールから幻惑術の話は聞いてたし、実際見つけたときもあんまり上手く化けてたから、人違いかと思ったんだけど」
ゲームに勝った直後のように、イリスは笑う。
「うちのギルドには女の顔だけは忘れないクズがいるから、断定はできたよ。 さすがに少し手こずったみたいだけどね」
この前路地裏で売春婦どもに殴られかけてただろ、と言う。
「あの時のやつか」と呆れたように笑うクロード。
「まあ、その点に関しては感謝するわ、ありがとう」
リコリスは頭を下げる。 イリスはさすがに少し驚いたらしく、椅子から腰を浮かしかけた。 浮かした、のではなく浮かしかけたのは、リコリスがすぐに視線を移したからだ。
抉るような鋭い眼光を、部下であり友人のエレアノールに。
磨かれた氷のような鋭い視線にエレアは肩を跳ねさせる。 イリスから見たその横顔はとても端正だった。 作り物の翠の瞳の奥に、闇夜に紛れてしまいそうな冷たい黒を見たような気がして、思わず寒気すら感じる。
「エレア、話して。 すべて」
尚も俯くエレア。 その顔はどこか駄々っ子のように悲しげで、その理由は聞くまでもなく。 だからこそ、リコリスは脅すように続けた。 免罪符を与えるために。
神子、というよりリコリス自身が問題になっているのは先程の騒ぎを考えても間違いない。 しかし、リコリスはティターニア教会の象徴といっても過言ではない「神子」だ。
その地位をもってしてもリコリスが兵に追いかけ回されるというのは、どう考えても異常すぎる。
ましてや彼らはティターニア国民市民層、最も教会に忠実な信徒と言える。 その彼らが、なぜ「神子」に刃向かったのか。
思考を巡らせつつ、追求する。
「エレアノール・スコット。 私のためと思って黙ってても、何の解決にもならない。 あなたが黙っているのなら、あなたが危険を感じたという基地に行って、問い詰める」
クロードが息をのんだ気配がした。 同時にエレアが小動物のような俊敏さで顔を上げる。
「そんな危険なことっ、させられません!」
それなら、エレアが取らなければならない手はひとつしかない。 未だ怯えた瞳のまま答えた。
「話します、すべて。 ですが、そのかわり」
意外そうなリコリスとクロードの視線、よく言ったとばかりのイリスの視線がエレアノール・スコットただひとりに注がれる。
「お姉様の、神子の『秘密』――教えていただけませんか?」