クズ婚約者に「証拠でもあるのかよ。被害妄想だろ」「他の女と喋っているだけだろう?」とモラハラ発言されました。もう我慢の限界です〜幼馴染を優先したり、浮気を繰り返すクズは、私の人生に必要ありません〜
日差しが落ち切った、とある雪の降る冬の日。
ガウフストン侯爵家の邸宅にて。
流れる水のような銀色の髪の毛に銀色の瞳を持つアリシア・ガウフストン侯爵令嬢は広々とした応接間の椅子に座っていた。
紅茶の乗ったテーブルを挟んで、婚約者レイモンド・サンデル伯爵令息と向かい合い、アリシアは堂々と告げた。
「レイモンド様、最終警告です。最近のあなたの言動は目に余ります。これ以上続くようなら、婚約破棄をさせていただきますわ」
レイモンドは浮気、アリシアとの約束のすっぽかし、そしてそれを問い詰めると逆ギレ、そんなクズ行為をここ一年ずっとしていた。
しかし、レイモンドは初恋の人、そして愛していた人。
できることなら、これを機に心を改めて欲しい。そうアリシアは思っていた。
だが、レイモンドの答えは予想の斜め上をいくものだった。
「婚約破棄だと? 困るのはお前だぞ?」
レイモンドは大きな怒声を発した。
そして、出されていた紅茶を一口飲み、アリシアを脅すように睨みつけた。
「俺以外にお前を選ぶ男なんていない。お前とうまくやれるのは、俺だけだ」
そう言うと、レイモンドは今度はニヤニヤと笑った。
脅し、そして洗脳。
レイモンドが、アリシアを下に見て、うまいこと操ろうとしているのは明白だった。
(私から本気で婚約破棄するはずがないとタカを括っているのね)
アリシアは覚悟を決めた。もう容赦はしないと。
「もう限界です。他に私を良いと想ってくれる殿方がいないとしても、あなたとは婚約破棄します」
♦︎
それは半年ほど前のこと。
サンデル伯爵家の庭で、熱い太陽が照りつける中、アリシアは、レイモンドに追い縋っていた。
「証拠でもあるのかよ。被害妄想だろ」
「目撃者がいるのです。あなたが私と約束したお茶会の時間に、あなたの幼馴染である男爵令嬢と出かけたことを目撃した者がいます。私との約束を破っておいて、どういうつもりですか?」
「あーうるさいな、もう終わったことだろ? これくらい男なら普通だぞ? お前が世間知らずなだけだ」
そう言ってレイモンドは不機嫌そうな声を出した。
アリシアは怯えて黙ってしまった。
アリシアは悲しかった。
自分のことを、あれだけ愛している、お前だけが好きだ、など甘い言葉をかけてくれた婚約者が、いつの間にか自分のことを邪険に扱っている。
アリシアの心は張り裂けそうになっていた。
今回の浮気も、約束を破られたのも、一回だけならば、許せたかもしれない。
しかし、今回のように浮気をされたり、約束を破られたり、嘘をつかれたりしたのは一回や二回ではなかった。
普通なら、こんな仕打ちを受ければ、レイモンドのことを嫌いになり、憎むだろう。
しかし、アリシアは大好きだったレイモンドのことを嫌いになれなかった。
それには、アリシアに求婚してくれた初めての男性が、レイモンドだったことが関係していた。
幼い時から高嶺の花だったアリシア。周囲の男性は皆、アリシアに気後れしてしまい、求婚する男はあまりいなかった。
アリシアは美しいと言われながらも、自分のことを好きと言ってくれる異性がいなかったことで、自信を持つことができなかった。
そんな中、アリシアに求婚したのがレイモンドだった。
レイモンドは求婚するだけでなく、可愛いや綺麗、素敵だとアリシアを褒めた。
それにより、当初は自信の持てなかったアリシアも、少しづつ自信を持つことができるようになった。
だからこそ、アリシアの中で、レイモンドはどんどんと大きな存在になっていっていたのだ。嫌うなど考えられないほどに。
アリシアはレイモンドと婚約ができるとわかった時、とても喜んだ。
しかし、レイモンドはアリシアとの婚約が決まると、最初のうちは引き続きアリシアに優しく丁寧に接していたが、だんだんと対応が粗雑になっていった。
アリシアは懸命に努力した。
レイモンドの心を取り戻し、幸せな日々を取り戻したいと。
けれど、レイモンドの心は戻ってこなかった。
それどころか、ますます調子に乗っていった。
純粋なアリシアは、いつかもう一度振り向いてくれる、私だけを見てくれるようになる。そう固く信じていた。
だからアリシアは、家族にこの現状を相談していなかった。
相談してしまえば、きっとお父様もお兄様も怒り狂う。
けど、そうなったらレイモンドと別れることになるだろう。
アリシアにとって、それだけは避けたかった。
アリシアの父、ガウフストン侯爵は伯爵家の令息レイモンドとの婚約を、渋々許可したのだ。
とはいえ、レイモンドは、そんなアリシアの心情を知ってのことだろうか、アリシアに対してどんどんと粗雑な対応をとっていた。
レイモンドは、わざとらしく大きなため息をついた。
そして、アリシアの方を睨みつけた。
「だいたい重いんだよ、お前。他の女と喋っているだけだろう? やましいことなんてしていないのに」
アリシアは決して重くない。貴族として、未婚の時からの婚約者の女遊びを諌めるのは当然だ。
けれどアリシアは、責められることで自分が悪いと思い込んでしまう。
「す、すみません」
「わかったら二度とこんなこと言うな。俺をこれ以上イライラさせるな」
そう言ってレイモンドはアリシアを睨みつけると、先に伯爵家の庭園から出ていった。
残されたアリシアは嗚咽を漏らし、その頬には涙が伝っていたが、それをレイモンドが気にすることはなかった。
♦︎
その日、侯爵邸に帰ったアリシアに高熱が出た。おそらく精神的なショックが大きかったのだろう。
侍女たちに看病される中で、熱にうなされながら、アリシアは一つの長い夢を見た。
それは日本という異世界で育ち、お局に詰められながらも働き暮らしていたという夢だ。
そこでは、アリシアにはたくさんの友人がいた。そして、その友人たちはみんな、美人であったがウブで男運が悪かった。いわゆるクズ男というやつに引っかかっていた。
アリシアは、逞しく育ってきた経験をもとに、友人たちの相談に乗っていた。そんな夢だった。
夢から覚め、熱が下がった時、急速に冷静になった思考で、アリシアはふと思った。
(あれ、私の婚約者、夢に出てきた友人の恋人のモラハラ男とそっくりじゃない?)
浮気の証拠を掴まれておいて、
「これくらい男なら普通だぞ? お前が世間知らずなだけだ」
「重いんだよ、お前。他の女と喋っているだけだろう」
「もう終わったことだろ?」
などなど。
それはもう、冷静に考えるとモラハラ発言のデパートだった。
私、なんであんな人のこと好きだったのだろう?
恋とは盲目である。好きだった時には、その人しかいないと思っていても、実際にはそんなことはない。
けれど、当人には気がつけないのだ。決して。
アリシアもそうだった。
しかし、アリシアはその日、気がついた。
自分がモラハラ男に洗脳されていたことを。
このままだとずっと洗脳されてしまうことを。
そして、この先に幸せは決してないことを。
アリシアは決めた。
クソ男と別れることを。
♦︎
アリシアは父の執務室に行き、まず今までのことを洗いざらい父に話した。
父は娘の突然の来訪に驚いたが、執務室の椅子に座りながら娘の話を黙って聞いた。
そしてその日、アリシアの父、ガウフストン侯爵は全てを知った。
アリシアが浮気をされていたこと、約束を破られていたこと、そしてモラハラ発言をされていたことを。
アリシアが幸せに暮らしていると思っていたガウフストン侯爵は怒り狂った。
まるでレイモンドの実家のサンデル伯爵家に攻め込みに行きそうな勢いだった。
アリシアはそれを嬉しく思った。しかし、父を必死になって止めた。
「お父様。私は目が覚めました。しかし、今まで彼の言いなりになって来た私にも非があると思うのです」
「いや、全くもってそんなことはない。悪いのは、サンデル伯爵家の小僧だ」
憎々しげに、ガウフストン侯爵は吐き捨てた。
アリシアは嬉しく思ったが、込み上げてくる嬉しさを押し留めながら言った。
「いえ、大丈夫です。それにいきなり婚約破棄をしたら、我が家の家名にも傷がつきます」
「そんなことより、お前が一番だ! 家名に傷などつけばいい!」
ガウフストン侯爵は、ドンっと机を力一杯叩いた。
その音に少し怯えながらも、アリシアは決めていた。
今度は自分の意思で、自分なりにできる行動をしようと。
「お父様。怒っていただきありがとうございます。しかし、この件は私に任せて下さらないでしょうか? うまくやれなければ、お父様の言うとおりにしてくださって構いません。しかし、私の手で決着をつけたいのです」
ガウフストン侯爵は意外なものを見るかのような目で、アリシアのことを見た。
と言うのも、それまでアリシアがこんなわがままを言ってくることがなかったからだ。
今までアリシアはよく言うと素直、悪く言うと自分の意思がない子だった。
だから、このような成長を見れたことで、ガウフストン侯爵は驚いたのだ。
「……よかろう。半年だ。半年で決着をつけることができなければ、私の言うとおりにするのだぞ」
「分りました」
ガウフストン侯爵は娘に任せてみることにした。
娘の真剣な眼差しを、その意思を尊重したのだった。
♦︎
それからアリシアの日々は忙しかった。
これまでされてきた発言の記録。
浮気の証拠集め。
それから今後どうするのかの方針固め。
そうして半年が、約束の時間があっという間に過ぎようとしていた。
そんな中だった。
日差しが落ち切った、とある雪の降る冬の日。
ガウフストン侯爵家の邸宅に、一台の馬車が来たのは。
「おい、来たぞ。アリシア、このままだと浮気で伯爵家を訴えるって、何の真似だ。ふざけたことを言うな。こっちも忙しいんだ」
応接間に通すなり、レイモンドは怒り狂った調子で言った。
まるで可愛がっていた子飼いの犬に手を噛まれたかのような態度だった。
「手紙に書いたとおりです。証拠はあります。もう見過ごせません」
「ただの遊びだよ、本気じゃない」
「本気かどうかは関係ありません。約束を破り、他の女性と遊んでいた。その事に対して指摘しているのです」
アリシアは淡々と言った。
「ああ? お前、本気で言っているのか?」
レイモンドが脅してくる。
しかし、夢で見たお局に詰められた経験と比較すれば、まるで怖くなかった。
「レイモンド様、最終警告です。最近のあなたの言動は目に余ります。これ以上続くようなら、婚約破棄をさせていただきますわ」
「婚約破棄だと? 困るのはお前だぞ?」
レイモンドは大きな怒声を発した。
そして、出されていた紅茶を一口飲み、アリシアを脅すように睨みつけた。
「俺以外にお前を選ぶ男なんていない。お前とうまくやれるのは、俺だけだ」
そう言うと、レイモンドは今度はニヤニヤと笑った。
レイモンドが、アリシアを下に見て、うまいこと操ろうとしているのは明白だった。
それを見て、アリシアは覚悟を決めた。もう容赦はしないと。
「もう限界です。他に私を良いと想ってくれる殿方がいないとしても、あなたとは婚約破棄します」
「なっ!」
初めて、レイモンドの表情が変わった。今までのアリシアと違う事に気がついたのだろう。
「……こんな真似したら、お前にも傷がつくぞ」
「ええそうでしょうね。けど、それも別にいいのです。あなたと結ばれることを座して待つよりは百倍マシですわ」
アリシアからすれば、経歴に傷がつくことは勿論痛いことであったが、それでもモラハラ夫に嫁ぐよりも良かったと判断できていた。
レイモンドはこめかみに青筋を浮かべた。
「王家も認めた婚姻だ。王家に反乱するつもりか?」
そう言って今度は得意げにレイモンドは続けた。
「お前がいくら婚約破棄したいと言っても、それは無理だ。黙って嫁ぐんだな」
そう言ってレイモンドは乱暴に笑った。
(本当に、なんでこんな人のことが好きだったのでしょうか?)
アリシアはどこか寂しいと思う感情が自分の中にある事に驚きながら言った。
「残念ながら、もう王家には離縁の許可をとっています」
「なっ」
「婚約破棄の理由はあなたの不貞です。証拠も提出済みですし、王家から遣わされた証人にあなたの不貞現場も目撃してもらっています」
そう言ってアリシアは紅茶を一口飲んだ。
本当に、今となっては何で好きだったのかわからなかった。
「後悔するぞ?」
「どうぞご自由に」
「俺以外に、お前を選ぶ男なんていないぞ?」
「そうですか」
「この薄情ものが」
「どちらがそうなのでしょうかね?」
アリシアが挑発に反応しないのが、よほど悔しかったのだろう。
ガチャリと音が立つようにソーサーにカップを置くと、レイモンドは立ち上がった。
そしてしばらくアリシアを睨みつけた。
アリシアも目を逸らさずに、レイモンドのことを見つめた。
そうして数秒がたった。
何も変わらないと気がついたのだろう、レイモンドは乱暴にドシドシと足音を立てながら部屋を出ていき、ドアをわざとらしくバタンと閉めた。
アリシアはドアが閉まるのを見て、止めていた息を大きく吐き出した。
そして、溢れてくる涙を拭った。
(やっと終わったのだ。もう大丈夫)
そう思っても、涙は止まらなかった。
(さようなら、初恋の人)
その日は雪が降りしきる日だった。
暗闇の中で月の光に照らされて、庭の湖は水面が凍って反射し、白く光り輝いていた。
♦︎
ある春の日、王妃主催の夜会に珍しい人物が現れていた。
参加者たちは皆、その事に驚いていた。
アリシア・ガウフストン侯爵令嬢、通称氷の令嬢。彼女が社交界の場に出ることは少ない。
この頃には、アリシアが婚約破棄をしたらしいと言う噂が社交界には広がっていた。
しかし、その噂を直接確かめに行く勇気あるものは、その場にいなかった。
否、一人の令息が無謀にもアリシアにダンスを申し込みにいった。
いつもなら、アリシアは冷たく断るか、嫌な感情を隠さずに一曲踊るのが常だったが、その日は違った。
ニッコリと微笑み、楽しげにダンスを踊ってくれたのだ。
それを見て、次々と令息たちがダンスを申し込む。
アリシアに何があったのだろうか。
それは夜会の最後までわからなかった。
けれど、アリシアに何かしら変化があったことは、皆アリシアと接した人は感じた。
アリシアの傷は実際、癒えていなかった。
けれど、アリシアは決めていた。
前に進もうと。
寒い冬を超えて、ガウフストン侯爵家の庭園では、白いチューリップの花が咲き始めていた。
その蕾は、確かに今花開こうとしていた。
読んでいただきありがとうございました。
辺境軍に派遣されていたアリシアの兄が、この顛末を聞いて父親以上に怒り狂ったのは、また別の話となります。




