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選ぶ側だと思ってた私、面接しすぎて全員に回避されてました  作者: そらのことのは


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第8話 結末

 検索条件の画面を開いたまま、十分ほど過ぎた。


 年収の下限は、六百五十のまま。

 身長は百七十二以上。

 大卒。

 転勤少なめ。


 指だけが、その上で止まっていた。


 消そうとは思った。

 少なくとも、一つくらいは。


 でも、何を消せばいいのかがわからなかった。


 年収は大事だと思う。

 身長も、まったくどうでもいいわけではない。

 仕事の安定だって、急に不要になるわけがない。


 だから、そこを消すのは違う気がした。


 でも、残しておくことも、前みたいには正しいと思えなかった。


 私は画面を閉じた。


 朝の通勤電車は、いつもより少しだけ混んでいた。

 吊り革を持ちながら、ぼんやり窓を見る。


 前なら、この時間にアプリを開いていた。

 新着のいいねを見て、プロフィールを見て、条件を見ていた。


 今はスマホを出す気にならなかった。


 会社で、真帆がコーヒーを持ってきた。


「まだ引きずってる?」


「引きずってるっていうか」

「うん」


「整理がつかない」

「珍しいね」


「そう?」

「杏奈って、だいたい自分の中で結論早いじゃん」


「今回は、材料が多い」

「材料」


 私は少しだけ笑った。

 真帆も笑った。


「検索条件、消せなかった」

「へえ」


「消した方がいいのかなと思ったけど」

「別に全部消さなくていいんじゃない」


「でも、あのままも違う気がして」

「まあね」


「じゃあどうすればいいの」

「知らないよ」


「知らないのに言うんだ」

「杏奈も知らないまま条件並べてたでしょ」


「……それはそうだけど」


 真帆は椅子に座って、コーヒーを一口飲んだ。


「たぶんさ」

「なに」


「条件があること自体は、別に悪くないんだと思う」

「うん」


「でも、最初にそれしか見えてないと、人はだいたい嫌がる」

「だって、後から聞くのも変じゃない?」


「後から聞くのが変なんじゃなくて」

「うん」


「先に相手が人かどうか見ないのが変」

「人かどうかって」


「今の言い方、ちょっと面白いね」

「どういう意味?」


「いや、いい」


 私は少しむっとした。


 でも、反論するほどの勢いもなかった。


 昼休み。

 私は一人でコンビニのサンドイッチを食べながら、スマホを開いた。


 アプリではなく、メモ帳の方。


 フォルダ名はまだ「選考結果」のままだった。


 開く。


 中には、いつもの定型文。

【保留後お見送り】

【相性不一致】

【先方に不快感を与えず終了】


 その下に、会った人ごとのメモ。


 亮介

 清潔感、あり。

 会話燃費、やや悪い。

 将来設計、解像度低め。

 長期運用、保留。


 高瀬

 条件面、非常に良。

 返答、明確。

 主導権、取りにくい。

 方向性、確認要。


 公務員の人。

 趣味、生産性低め。

 時間感覚、要観察。

 穏やかさ、あり。


 コンサルの人。

 対人マナー、波あり。

 気配り、演出寄り。

 長期運用、不安。


 私は、そこまで見て止まった。


 何人か分を読み返す。

 どれも、同じような書き方だった。


 可。

 保留。

 要観察。

 解像度。

 運用。

 改善余地。


 人のことを書いているのに、人のことがほとんどない。


 笑い方もない。

 声もない。

 何の話をしたかもない。


 あるのは、私が判定した言葉だけだった。


 私は一つ前のトーク画面を開いた。


 亮介さん。


 > ただ、僕には少し荷が重いので、今回はご縁がなかったということでお願いします。


 高瀬さん。


 > ただ、僕とはたぶん方向が違うので、今回はここでお願いします。


 広告代理店の人。


 > 僕には少し緊張感が強くて、恋愛という感じになれませんでした。


 忙しいと言っていた人。


 > また落ち着いたら連絡します。


 連絡は来ていない。


 私は画面をスクロールした。

 もう少し下へ。

 もう少しだけ。


 そこに並んでいるのは、私が見送った人たちの記録だと思っていた。


 でも、改めて見ると少し違った。


 先に熱が下がっていたのは向こうだった。

 先に引いていたのも、たぶん向こうだった。


 私はそのあとで、整った文を送っていただけだ。


 > ご縁がなかったということで。

 > 価値観の面で少し違うかなと。

 > また機会があれば。


 見送っていたつもりだった。


 でも、実際には、もう見送られたあとだったのかもしれない。


 そこまで考えて、私はスマホを伏せた。


 午後の仕事は、珍しく集中できなかった。


 数字を見ても頭に入らない。

 メールを返しても、文面が固い気がする。

 自分の言葉が全部、少し硬く聞こえた。


 帰り道、駅前の信号で止まる。


 向かい側に、男女が並んで立っていた。

 恋人かどうかはわからない。

 ただ、男の方が何か話して、女の方が笑っていた。


 内容は聞こえない。

 たぶん、そんなに大事な話でもない。


 でも、その軽さが少しだけ目についた。


 前の私なら、ああいう会話を、たぶん中身がないと切っていた。


 今も、そう思わないわけではなかった。


 ただ、それだけで切っていいとも言い切れなかった。


 家に帰って、コートを脱ぐ。

 バッグを置く。

 洗面所で手を洗う。


 部屋は静かだった。


 私はソファに座って、またスマホを開く。


 アプリを起動する。

 新着いいねは、一件だけだった。


 プロフィールを見る。


 三十四歳。

 メーカー勤務。

 年収欄は、条件に少し届かない。

 身長も、少しだけ足りない。


 前の私なら、そこで閉じていたと思う。


 でも今日は、少しだけスクロールした。


 趣味の欄に、古い喫茶店が好きだと書いてある。

 休日は、特に予定がなければ散歩するらしい。


 私はそこで少し止まった。


 散歩。

 前なら、そこで何か言葉が出ていた。

 生産性とか、時間感覚とか。


 でも今日は、何も出なかった。


 代わりに、その人のメッセージが目に入る。


 > はじめまして。

 > 写真の雰囲気が落ち着いていて素敵だなと思いました。

 > よければ、ゆっくりお話しできたら嬉しいです。


 私は、その文を二回読んだ。


 年収の話もない。

 仕事の将来性もない。

 条件確認もない。


 ただ、感じがいいと思った、というだけだった。


 私は返信欄を開く。


 > はじめまして。

 > ありがとうございます。


 そこまで打って、止まる。


 続きがわからなかった。


 前なら簡単だった。

 休日の過ごし方。

 今後の働き方。

 家事分担。

 親との距離感。


 聞くことはいくらでもあった。


 でも今、それを書き始めると、たぶん前と同じになる。


 私は一度、全部消した。


 もう一度打つ。


 > 喫茶店がお好きなんですね。

 > よく行かれるんですか?


 その文を見て、少しだけ変だと思った。

 私らしくない気がした。


 でも、前の文よりはましだった。


 私は数秒迷って、送信した。


 既読はつかなかった。


 それだけで少し落ち着かない。

 前にも、こういうことは何度もあった。

 でも今は、待つ側の時間がやけに長く感じた。


 五分。

 十分。

 二十分。


 画面は動かない。


 私はアプリを閉じた。

 少しして、また開いた。


 まだ既読はついていない。


 たまたまだと思った。

 仕事中かもしれない。

 通知に気づいていないだけかもしれない。


 そう思って、キッチンへ行く。

 水を飲む。

 戻る。


 既読がついていた。


 少しだけほっとして、画面を開く。


 返信は来ていなかった。


 そのまま、一時間が過ぎた。

 二時間。

 三時間。


 夜十一時前、トーク一覧を開いたとき、その人の名前が消えていた。


 マッチ解除。

 たぶん、そういうことなんだと思った。


 私はしばらく画面を見ていた。


 別に、何か失礼なことを言ったつもりはない。

 普通の返事だった。

 少なくとも、前よりはずっと普通だった。


 でも、消えた。


 私は小さく息を吐いた。


 掲示板のことを知っている人だったのかもしれない。

 たまたまだったのかもしれない。

 理由はわからない。


 ただ、一つだけは前よりはっきりしていた。


 私は、まだ間に合う側だと思っていた。

 少し直せば、少し変えれば、また選べる側に戻れると思っていた。


 でも、そんなに簡単ではなかった。


 私はアプリを閉じて、もう一度メモ帳を開いた。


「選考結果」のフォルダ名を見つめる。


 しばらくして、名前の変更を押す。

 カーソルが点滅する。


 選考結果。


 その四文字を消そうとして、止まった。


 消せなかった。


 全部が間違っていた、とまではまだ思えない。

 条件が不要になったとも思わない。

 ちゃんと見た方がいい、という考えも、たぶん明日には少し戻る。


 私はそこまで素直じゃない。

 そこまで急には変われない。


 でも、前みたいに胸を張ることも、もうできなかった。


 結局、名前はそのままにして閉じた。


 スマホを伏せる。

 部屋は静かだった。


 何も届かない画面を、私は少し前まで、選ぶ前の空白だと思っていた。

 まだ条件に合う人が現れていないだけだと。


 でも、たぶん違った。


 ずっと違っていた。


 私は選んでいるつもりだった。

 保留にして、見送って、判断しているつもりだった。


 けれど本当は、その前から、向こうはもう決めていたのだと思う。


 選ぶ側だと思ってた。

 でも、選ばれてなかったのは、私の方だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


選ぶつもりで見ていたはずなのに、いつの間にか自分のほうが見られていた。

そんなズレが、静かに形になっていく話でした。


最後まで全部をきれいに認めたわけではないところも含めて、杏奈らしい結末だったと思います。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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