第4話 なぜか続かない
既読はついていた。
十五分前だ。
私はスマホの画面を見たまま、カフェラテの氷をストローで押した。
> では、家事分担の考え方だけ先に確認しておきたいです。
> 平日・休日それぞれ、理想の比率はありますか?
既読。
返信なし。
「……そんなに難しいかな」
私は独り言のように言って、もう一度トーク画面を見た。
相手は三十六歳。
商社勤務。
年収条件クリア。
写真も普通。
会ったときの印象も悪くなかった。
ただ、前回のデートでは、こちらが質問してから答えるまでに微妙な間があった。
あれは少し気になった。
でも、聞けば答える人ではあった。
だったら、認識合わせは進めた方がいい。
私はそう判断して、追加で一文送った。
> ざっくりで大丈夫です。
送信。
その瞬間、画面の上に「オンライン」の表示が出て、すぐ消えた。
「見てるなら返せばいいのに」
そう言ってから、私は少し考えた。
いや。
忙しいのかもしれない。
社会人だし。
商社だし。
平日の昼だし。
私は一度スマホを伏せて、仕事に戻った。
一時間後。
返信はなかった。
昼休み、真帆が私の向かいに座った。
「またその顔してる」
「どの顔」
「既読ついたのに返ってこない顔」
「そんな顔ある?」
「あるよ。ちょっと査定が通らなかった人の顔」
「通らなかったわけじゃないよ」
「じゃあ何」
「保留」
「それ、相手じゃなくて杏奈が言う言葉では」
私はスマホを見せた。
「これ、どう思う?」
「何が」
「質問、重い?」
「家事分担の比率?」
「うん」
「初回デート後には重いかな」
「でも大事じゃない?」
「大事だけど」
「じゃあ聞くの普通じゃない?」
「普通ではないかな」
私は眉をひそめた。
「でも、付き合ってから聞いてズレてたら困るでしょ」
「まだ付き合ってもないのに比率まで聞かれるの、まあまあ怖いと思う」
「怖いってほど?」
「“ざっくりで大丈夫です”が追撃になってる」
「答えやすくしてるのに」
「圧がある人の“ざっくりで大丈夫”って、全然ざっくりじゃないんだよ」
私はその意見を、少し極端だと思った。
その程度で圧と言われても困る。
ただ必要なことを、少し先回りしているだけだ。
夜になっても、返信はなかった。
私はトーク画面を閉じて、別の相手を開いた。
三十三歳。
金融。
身長百七十四。
プロフィール文に無駄がない。
悪くない。
> はじめまして。
> お仕事柄、忙しいと思うのですが、将来的に家庭との両立はどう考えていますか?
送信。
三分後、返信。
> はじめまして!
> まずは気楽にお話できたら嬉しいです。
私は画面を見た。
気楽に。
便利な言葉だ。
つまり、まだ深い話をしたくないということだろう。
逃げ道の多い言い方だと思う。
私は丁寧に返した。
> もちろんです。
> そのうえで、最初に価値観の方向だけでも確認できると安心です。
> 結婚の時期感はありますか?
送信。
既読。
返信なし。
「またか」
私は小さく息を吐いた。
最近、この「またか」が増えている気がする。
前は、ここまで止まらなかった。
返ってこなくても、その日の夜とか、翌朝とかには何かしら来た。
今は、既読がついたまま、会話が死ぬ。
翌日。
一件、別の相手から返信が来ていた。
> すみません、ちょっと仕事が立て込んでいて。
> また落ち着いたら連絡します。
私はそれを見て、少し安心した。
ほら。
やっぱり忙しいだけだ。
真帆にもそう言った。
「仕事が立て込んでるんだって」
「便利な言葉だね」
「何が?」
「断るときに使いやすい」
「断ってはなくない?」
「“また落ち着いたら”は、かなり断り寄り」
「でも、落ち着いたらって言ってるし」
「杏奈って、都合のいい言葉だけ素直に受け取るよね」
「素直って大事じゃない?」
「今その使い方する?」
私は少しむっとした。
疑いすぎるのもよくない。
相手にも事情はある。
私は事情を考慮できる方だ。
そこは自分の長所だと思う。
その週の土曜、私は新しくマッチした相手と会った。
広告代理店勤務。
三十一歳。
写真より少し幼く見えたけれど、許容範囲。
店に入って、席につく。
「今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
「お休みの日って、何をされることが多いですか?」
「友達とごはん行ったり、映画見たりです」
「一人時間より外向きなんですね」
「そうかも」
「交友関係は広い方ですか?」
「普通くらい?」
「“普通”の内訳を聞いてもいいですか?」
「内訳」
「週何回くらい人と会います?」
「えっと、週によるかな」
「月平均でいうと?」
「月平均」
彼は少し笑った。
私は、その笑いを悪くないと思った。
少なくとも機嫌は悪くなさそうだ。
「杏奈さん、細かいですね」
「よく言われます」
「仕事できそう」
「そこそこです」
「恋愛でもそんな感じなんですか?」
「無駄を省きたいので」
「無駄」
「合わない人に長く時間をかけるの、もったいないじゃないですか」
「なるほど」
「なので、最初にある程度見ます」
「見ます」
「はい」
私は水を飲んで、自然な流れで次に進んだ。
「ちなみに、女性の年齢は気にしますか?」
「いや、そこまで」
「出産のこととか」
「うーん、タイミングが合えば」
「“タイミング”って便利ですよね」
「そうかな」
「責任の所在がぼやけるので」
「責任の所在」
彼はそこで、少し黙った。
私は続ける。
「家事はできますか?」
「一応」
「料理は」
「簡単なのなら」
「洗濯は」
「しますよ」
「干す派ですか、乾燥機派ですか?」
「え?」
「生活スタイルが出るので」
「乾燥機かな」
「合理的ですね」
「そうなんだ」
「はい。あと、女性に求めるものってあります?」
「一緒にいて楽しいこと、ですかね」
「楽しい、ですか」
「はい」
「優先順位、低くないですか?」
「えっ」
「生活って、楽しいだけじゃ回らないので」
「そうですね」
「私は、会話が成立することとか、安定感とか、客観性とか、そういう方が大事です」
「へえ」
「楽しいは、そのあとでも作れますし」
「そういう考え方なんですね」
「堅実です」
「そうですね」
“そうですね”の言い方が少し平たかった。
でも、否定はしていない。
理解はしてくれているのだと思う。
会計後、店を出る。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「話しやすかったです」
「それはよかったです」
私は少し考えてから、付け加えた。
「次回は、もう少し具体的な話もできれば」
「具体的な話」
「家計観とか」
「二回目で?」
「二回目だから、です」
「そうですか」
彼は笑って会釈した。
悪い空気ではなかった。
私は帰りの電車で、先にメッセージを送った。
> 今日はありがとうございました。
> 落ち着いてお話できてよかったです。
> 次は家計観や生活感の話もできたら嬉しいです。
既読は早かった。
返信は、翌朝だった。
> 昨日はありがとうございました。
> しっかり考えている方なんだなと思いました。
> ただ、僕には少し緊張感が強くて、恋愛という感じになれませんでした。
> すみません。
私はその文面を、二回読んだ。
緊張感。
またそれだ。
「そんなにかな」
私は独り言を言って、スマホを置いた。
緊張感があるのは、悪いことではないはずだ。
むしろ真剣ということだろう。
真剣さを嫌がる人とは、たぶん最初から合わない。
私はそう結論づけて、次を開いた。
次の相手は、最初はかなり反応が良かった。
朝に送れば昼に返ってくる。
夜に送れば寝る前には返ってくる。
それが、三日目から遅くなった。
四日目には、一日一通。
五日目には、こちらの質問だけ既読がついて終わった。
> 実家との距離感は近いですか?
> 週何回くらい連絡しますか?
既読。
返信なし。
私は少し考えてから、追撃した。
> 重い意味ではなく、結婚後の参考としてです。
既読。
返信なし。
さらに三時間後。
> ざっくりで大丈夫です。
既読。
返信なし。
「……ざっくりで大丈夫なのに」
私は本気でそう思った。
ここまで答えやすくしているのに、止まる理由がわからない。
もしかして、親との関係があまり良くないのかもしれない。
そこを言いにくい人もいる。
そう思って、私は少し配慮した文を送る。
> もし話しにくければ無理にとは言いません。
> 近め・普通・遠め、くらいでも大丈夫です。
送信。
その直後、相手のアイコンが一覧から消えた。
私は画面を見たまま止まった。
消えた。
これは、たぶん――
「退会?」
呟いてみたけれど、自分でも少し無理があると思った。
ブロック。
そっちの可能性の方が高い。
でも、そこまでされるようなことを私は言っていない。
親との距離感は大事だ。
それは本当にそうだ。
月曜の朝、通勤電車の中で私はトーク一覧を眺めていた。
一週間前は、やり取り中が七人いた。
今は三人。
その三人も、温度が低い。
一人は、返事が二日に一回。
一人は、こちらが送るたびに「忙しい」で薄く返す。
もう一人は、既読だけついて止まっている。
私は指で画面を上下に動かしながら、少しだけ考えた。
仕事が忙しい時期なのかもしれない。
年度末でもないけど、決算とか異動とか、人によってあるだろうし。
花粉。
花粉で集中力が落ちる人もいる。
寒暖差。
季節の変わり目は体調を崩しやすい。
私はそこまで考えてから、ひとつ頷いた。
たぶん、時期が悪い。
会社でその話をすると、真帆がコーヒーを吹きそうになった。
「時期」
「うん」
「花粉のせいで既読スルーされてるってこと?」
「ゼロじゃないでしょ」
「ゼロだよ」
「でも集中力落ちるし」
「杏奈」
「なに」
「その発想できるの、ある意味すごいよ」
「何が」
「自分以外の理由を見つける速度」
私は少しだけ不満だった。
自分以外の理由、という言い方は違う。
ちゃんと状況を見ているだけだ。
私は感情で判断しない。
そこが自分の強みだと思っている。
その日の夜、通知が一件来た。
見覚えのない名前。
でも、アイコンには見覚えがあった。
以前会った相手だ。
誰だったか、一瞬で出てこない。
たぶん、保留後お見送りの誰か。
メッセージは短かった。
> こんばんは。
> ちょっと確認したいことがあるのですが、今いいですか?
私は画面を見た。
確認したいこと。
珍しい言い方だと思った。
普通なら、久しぶりです、とか、元気ですか、とか、そういう前置きがある。
それがない。
私は一秒だけ迷ってから、返信した。
> 大丈夫です。どうされましたか?
送信。
既読がつく。
相手はすぐに打ち始めた。
画面の下で、点が三つ並んで消えて、また並ぶ。
その不自然な間が、なぜか少しだけ気になった。
読んでいただきありがとうございます。
まだ理由はわかっていません。
ただ、少しずつ続かなくなっていきます。




