第3話 完璧な男
待ち合わせの五分前に着くと、もう相手はいた。
背が高い。
姿勢がいい。
スーツが変に気合い入っていない。
靴も時計も、ちゃんとしている。
「高瀬圭吾さん、ですか?」
「はい。杏奈さんで合っていますよね」
「はい」
声も落ち着いていた。
低すぎず、高すぎず。
聞き取りやすい。
私は一瞬で、チェックリストを頭の中に並べた。
年収、八百五十。
外資系。
身長百七十八。
写真詐欺なし。
遅刻なし。
服装、適切。
当たりだ、と思った。
たぶん、声には出していない。
店に入る。
高瀬さんはメニューを見て、三十秒で決めた。
「ブレンドで」
「早いですね」
「長く迷わないタイプなので」
「いいですね」
「杏奈さんは」
「カフェラテで」
「甘いものは」
「今日は大丈夫です」
「体型管理ですか?」
「いえ、単純にいらないだけです」
「そうですか」
店員が離れる。
私は少しだけ姿勢を正した。
この人は話が早そうだ。
変に気を遣って雑談を引き延ばす感じもない。
いい。かなりいい。
「では、いくつか確認してもいいですか?」
「どうぞ」
「今のお仕事、今後も継続予定ですか?」
「当面は」
「転職の可能性は」
「ゼロではないです」
「どういう条件なら動きますか?」
「年収と裁量ですね」
「なるほど」
「杏奈さんは、相手の転職に抵抗ありますか?」
「条件次第です」
「条件」
「下がる転職なら厳しいです」
「わかりやすいですね」
「曖昧にしたくないので」
私はメモを開きかけて、やめた。
今日はやめた方がいい気がした。
相手が良い時ほど、露骨なことはしない方がいい。
その代わり、頭の中で整理する。
返答、明確。
判断軸、ある。
無駄がない。
かなりいい。
「高瀬さんは、休日は何を?」
「ジムと読書が多いです」
「読書は実用書ですか、小説ですか」
「半々くらいです」
「自己投資はされるタイプなんですね」
「必要な範囲で」
「いいですね」
私は自然に笑った。
やっと会話が成立している感じがした。
質問しても、ちゃんと返ってくる。
しかも、言葉がぼやけない。
「結婚願望はありますか?」
「あります」
「時期感は」
「合う人がいれば、長く引っ張る理由はないです」
「合理的ですね」
「杏奈さんもそういうタイプでは?」
「そうです。好きになったら、というより、条件が揃えば早い方がいいと思ってます」
「条件」
「はい。生活なので」
「なるほど」
高瀬さんはそこで、少しだけ笑った。
「杏奈さんは、“相手に求める条件”がかなり明確そうですね」
「明確です」
「たとえば」
「年収、身長、仕事の安定性、清潔感、会話の成立」
「順番まで決まっているんですね」
「大事な順です」
「なるほど」
コーヒーが来る。
高瀬さんは砂糖を入れなかった。
私はそこも見た。
自己管理意識が高い人かもしれない。
「高瀬さんは、相手に何を求めますか?」
「違和感の少なさです」
「違和感」
「一緒にいて、無理に説明しなくて済むこと」
「価値観が近い方がいいということですか」
「そうですね。あとは、相手が自分を客観視できること」
「客観視」
「自分をどう見せているか、ある程度わかっている人の方が楽です」
「それは大事ですね」
「ええ」
私は即答した。
そこはかなり同意できる。
自分を過大評価する人は危ない。
市場価値を見誤ると、関係はうまくいかない。
「あと」
「あと?」
「人を点数で見ない人の方がいいです」
「点数」
「何となくですけど」
私は一瞬だけ止まった。
でも、すぐに笑った。
「さすがに点数はつけませんよ」
「そうですか」
「そこまで露骨じゃないです」
「露骨じゃなければ、いいんですか」
「いえ、そういう意味ではなくて」
高瀬さんはまた少し笑った。
責めている感じではなかった。
ただ、返しが妙に引っかかった。
「ちなみに」
「はい」
「高瀬さんは、初対面でどこを見ますか?」
「質問の仕方、ですかね」
「質問の仕方?」
「自分に興味があるのか、自分の条件に興味があるのかは、わりと早く出るので」
「なるほど」
「あと、相手が会話をしているのか、確認作業をしているのかも」
「確認作業」
「はい」
「それって、わかるものですか?」
「だいたいは」
私はカフェラテを飲んだ。
なんだろう。
会話は噛み合っている。
答えもちゃんとしている。
でも、妙にこちらの言葉が滑る感じがある。
たぶん、この人は頭がいい。
頭がいい人同士だと、こういうこともあるのかもしれない。
「杏奈さんは、結婚後もお仕事を続けたいですか?」
「もちろんです」
「家事分担は」
「できる方がやればいい、は信用してません」
「なるほど」
「比率で考えたいです」
「何対何くらいを想定してます?」
「収入と拘束時間によります」
「収入も入れるんですね」
「当然では?」
「当然と考えるんですね」
「公平なので」
「そうですか」
その“そうですか”が、少しだけ気になった。
私は話を戻した。
「高瀬さんは、これまでどんな方とお付き合いを?」
「普通の方ですよ」
「“普通”って便利ですよね」
「そうですね」
「私はあまり使わないです。解像度が低いので」
「それは知ってます」
「え?」
「メッセージの時点で、かなり細かかったので」
「効率がいいでしょう?」
「効率はいいですね」
「ですよね」
「ただ、効率がいいことと、会いたいと思うことは別なので」
「……そうですか?」
高瀬さんはコーヒーを一口飲んだ。
「今日、杏奈さんに会った理由は」
「はい」
「確認したかったからです」
「何をですか?」
「そのままの人かどうか」
「そのまま?」
「メッセージの印象と、実物が一致しているか」
「一致してました?」
「かなり」
「それは良かったです」
私は正直、少し安心した。
写真と違うとか、印象が違うとか、そういう事故は避けたい。
一致しているのはいいことだ。
「高瀬さんは、私の第一印象どうでした?」
「思ったより柔らかいです」
「本当ですか」
「はい。もっと冷たいかと思っていました」
「それは誤解です」
「そうかもしれません」
「私、合理的なだけなので」
「合理的」
「感情で判断しないようにしてるだけです」
「なるほど」
「その方が失敗しないので」
「失敗、したくないんですね」
「したい人はいないと思います」
「そうですね」
会話は続いていた。
でも、盛り上がっている感じはしない。
変な話、条件は完璧だった。
ここまで不足がない人は初めてかもしれない。
なのに、なぜか手応えが薄い。
「杏奈さん」
「はい」
「一つ聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
「杏奈さんって、相手を見るとき、自分も見られてるって感覚ありますか?」
「……それは、お互い様では?」
「そうですね」
「でも、最初はやっぱり、こちらが確認する方が先じゃないですか」
「なぜですか?」
「なぜって」
「その前提が自然に出るのが、少し面白いなと思って」
「面白い、ですか」
「はい」
私は笑い返した。
でも、少しだけタイミングがずれた気がした。
何だろう。
嫌な感じではない。
ただ、思っていた“話の早さ”と違う。
この人は、条件がいい。
会話もできる。
返しも早い。
変なところもない。
なのに、こっちが主導を取れていない感じがある。
それが少し、やりにくかった。
会計は割り勘だった。
自然な流れで、そうなった。
別にいい。
私はそこに強いこだわりはない。
ただ、条件のいい人ほど最初は出すことが多い印象だったので、少しだけ意外だった。
駅まで歩く。
高瀬さんは歩幅を合わせるでもなく、離すでもなく、ちょうどいい距離で歩いた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「すごく話しやすかったです」
「そうですか」
「はい。無駄がなくて」
「それは良かったです」
「高瀬さんみたいに、感覚じゃなく話せる方は珍しいので」
「感覚でも話してますよ」
「そうですか?」
「はい。たとえば今も」
「今?」
「杏奈さんとは、たぶん長く話さない方がいいな、という感覚があります」
「え?」
私は足を止めた。
高瀬さんは、穏やかな顔のままだった。
「不快という意味ではないです」
「じゃあ、どういう」
「言葉にすると固くなるので、今日はやめておきます」
「でも」
「杏奈さんは、理由がほしいタイプですよね」
「はい」
「だからこそ、今は言わない方がいい気がします」
「……そうですか」
「はい」
それだけ言って、高瀬さんは軽く会釈した。
「今日はありがとうございました」
「……ありがとうございました」
私はその場に少しだけ残った。
電車に乗ってから、すぐにトーク画面を開く。
何を送るか、少し迷った。
でも、ここで変に感情を見せるのは違う気がした。
私はいつも通り、整理された文面を送る。
> 今日はありがとうございました。
> とても有意義なお時間でした。
> 価値観の確認もできて良かったです。
> また機会があればぜひお願いします。
送信。
既読はすぐについた。
そして返ってきたのも、早かった。
> こちらこそありがとうございました。
> 杏奈さんは、とても一貫した方だと思います。
> ただ、僕とはたぶん方向が違うので、今回はここでお願いします。
私はその文面を見て、しばらく動けなかった。
方向が違う。
今回はここで。
断られた。
たぶん、そういうことだ。
でも理由が曖昧すぎる。
条件は合っていた。
会話も成立していた。
明確な失点も、たぶんない。
「……いや、でも」
私はスマホを閉じて、また開いた。
もしかしたら、慎重な人なのかもしれない。
あるいは、私がちゃんとしすぎて、相手が引いたのかもしれない。
そういうことは、ある。
条件のいい人ほど、変に構えてしまう人もいる。
私は自分にそう言い聞かせて、アプリを開いた。
すると、高瀬さんのプロフィールが、もう表示されなくなっていた。
ブロック。
たぶん、その処理だった。
私はしばらく画面を見てから、静かにスマホを伏せた。
そこまでしなくてもよくない?
そう思った。
でも、その小さな引っかかりを、私はすぐに別の言葉で片づけた。
完璧な人ほど、たまに変なところがある。
たぶん、そういう類だ。
その夜、寝る前にアプリを開くと、新着の足あとが一件ついていた。
見覚えのないアイコン。
プロフィール文は短い。
> 以前、どこかでお見かけした気がします。
私は眉をひそめた。
会ったことのある人だっただろうか。
少しだけ嫌な感じがして、
そのページを開くかどうか、一秒だけ迷った。
読んでいただきありがとうございます。
条件は揃っているのに、なぜか噛み合わない。
ここから少しずつ空気が変わっていきます。




