第8章 放課後のティータイムは尋問の香り
「聖ロザリオ魔法学院」の午後は、優雅なティータイムと共に更けていく。
しかし、アルスにとっては、この時間こそが最も過酷な「戦場」であった。
場所は、セラの自室である「聖女の塔」最上階のテラス。
眼下には、セラの結界によって男一人の姿も消えた静寂な庭園が広がり、テーブルの上には最高級のダージリンと、宝石のように輝くマカロンが並べられている。
「さあ、アル様。実習の疲れを癒してください。今日は特別に、隣国の王室御用達の茶葉を取り寄せましたの」
セラは、愛しそうにアルスのカップに紅茶を注ぐ。
その動作は完璧な淑女のそれだが、その瞳に宿る熱量は、相変わらずアルスを「逃がさない」という強い意志に満ちていた。
「ありがとうございます、セラ様。……ですが、毎日こうして二人きりで過ごすのは、他の生徒たちに示しがつかないのでは?」
「あら、誰が文句を言うのですか? 私は学生会長。そして貴女は私の騎士様。これは重要な『戦略会議』ですわ。……ふふ、そうでしょう?」
(……どこがだよ。ただのデレデレな放課後じゃないか)
アルスは内心で溜息をついた。
セラの過剰な魔力バフによって「具現化天使」を降臨させてしまった一件以来、セラのアルスに対する「理想」は、もはや雲を突き抜けて宇宙にまで到達していた。
彼女にとって、アルスは「高潔で、禁欲的で、自分だけに心を開く最強の女騎士」なのだ。
だが、この「完璧なティータイム」には、一つの罠が仕掛けられていた。
第一の尋問:王女の嗜み
「ところで、アル様。ふと思ったのですが……」
セラが、カップを置いて身を乗り出してきた。
「私はアル様のことをこれほどまでに慕っておりますのに、貴女の『個人的なこと』をまだ何も存じ上げません。エルフレデ王女としてではなく、一人の女性、一人の騎士としての貴女を」
(……きた。個人情報の深掘りだ)
アルスは背筋を伸ばした。嘘をつく時は、情報の整合性を保たなければならない。現在のアルスの設定は「男装の麗人(として生きることを誓った王女)」である。
「例えば……そう、趣味は何ですの? 普通の令嬢ならば、刺繍や詩作、あるいは音楽でしょうけれど。貴女のようにストイックな方が、どんな時間を過ごされているのか、私、気になって夜も眠れませんの」
(趣味……。刺繍? 針で指を刺す未来しか見えない。詩作? 『俺の筋肉が火を噴くぜ』とか書いちゃいそうだし、音楽? 縦笛すら吹けないぞ……)
アルスの脳内コンピュータが、嘘の選択肢を高速で検索する。
だが、その時。アルスの脳裏をよぎったのは、昨夜、セラが寝静まった後に、こっそりと磨き上げていた自分の愛剣の感触だった。
あの冷たい鋼の感触、油の香り、そして刃紋を確かめる瞬間の静寂。
それだけが、偽りの生活の中でアルスが「自分」を取り戻せる唯一の時間だった。
「……趣味、ですか」
「ええ。何でも教えてください。貴女と同じ時間を共有したいのです」
セラが期待に満ちた目で覗き込んでくる。
その無垢な視線に、アルスはつい、本音の断片を漏らしてしまった。
「……剣の、手入れでしょうか」
「………………はい?」
セラの動きが、止まった。
第二の尋問 手入れの内容
(しまった!!)
言った瞬間に、アルスは自分の失言を悟った。
いくら「男装の麗人」設定だとしても、普通の王女の趣味として「剣の手入れ」はあまりに渋すぎる。
いや、渋すぎるのを通り越して、もはや「職人」の領域だ。
「……剣の、お手入れ? つまり、宝飾品を磨くように、飾られたレイピアを眺めるということかしら?」
セラの声が、少しだけ冷静さを取り戻した。
ここで引き返せばよかった。だが、一度口から出た「本音」は、アルスの騎士としての矜持と結びついて暴走を始めた。
「いえ……。具体的には、砥石の粒子を細かく変えながら、刃の『返り』を丁寧に取り除き……最後に、最高級の丁子油で薄く膜を張り、月光の下で鋼の歪みを確かめる、あの瞬間です。あの時間が、一番落ち着くのです」
アルスは熱く語ってしまった。
語り終えた後、テラスを支配したのは、これまでにない「奇妙な沈黙」だった。
セラの表情が、驚きから徐々に「疑念」へと変わっていく。
彼女は、アルスの「手」をじっと見つめた。
「アル様。……今、仰いましたね。『砥石の粒子』と」
「え、ええ。それは、たしなみとして……」
「おかしいですわ。……いくら男装の麗人として育てられたとしても、王女殿下が自ら『研ぎ』まで行うなんて。それは騎士の従者や、街の鍛冶屋がやる仕事です」
セラが椅子から立ち上がり、アルスの手を強引に掴み取った。
彼女は、アルスの掌をじっくりと観察し始めた。
「……この親指の付け根のタコ。そして、中指の第二関節の硬さ。これは……重い『大剣』や『長剣』を、何千回、何万回と素振りした者だけに現れる印。貴女が普段持っている、あの軽いレイピアでは、こんなタコはできません」
(げえええええええ!! バレる! セラ様、なんで格闘家並みに手のタコに詳しいんだよ!)
「アル様。……貴女、本当は『誰』なのですか?」
セラの瞳から、熱っぽい陶酔が消え、鋭い「聖女の眼差し」が戻ってきた。
そのプレッシャーは、天使降臨の時よりも重く、冷たい。
彼女は今、アルスという存在の「矛盾」に、初めて真っ向から直面していた。
第三の試練 咄嗟の「嘘」と「運命」の上書き
「(まずい、まずい、まずい! ここで正体がバレたら、隣国との戦争どころか、俺の首が物理的に飛ぶ!)」
アルスは冷や汗を滝のように流しながら、全神経を集中させて「最後の一手」をひねり出した。
彼は、セラの目から逸らしていた視線を、あえて真っ向からぶつけた。
そして、その手を優しく握り返し、悲劇のヒロインのような「影のある微笑」を浮かべた。
「……気づいてしまいましたか、セラ様。流石ですね」
「……どういう意味ですの?」
「私が、なぜここまで『剣の深淵』を知っているのか。……それは、私がエルフレデであって、エルフレデではないからです」
セラの眉がピクリと跳ねた。
アルスは声を潜め、物語を捏造し始める。
「私は幼い頃、王宮の地下深く、暗殺者集団の中で『死の道具』として育てられたのです。王女の影武者となるべく、魔法を捨て、ただ一振りの剣を究めることだけを許された……『汚れ仕事』専門の騎士。私の手に刻まれたこのタコは、貴女のような美しい方に見せるべきではない、醜い過去の遺産なのです」
「……暗殺者の、影武者……?」
「はい。ですから、王女らしい趣味など持っていません。私にあるのは、鋼の温度と、血の匂いだけ……。セラ様、こんな『汚れもの』の手、早く離してください。貴女の聖なる魂まで汚れてしまう」
アルスは悲しげに目を伏せ、手を引こうとした。
すると――。
「――っ、離しません!」
セラは逆に、骨が軋むほどの力でアルスの手を抱きしめた。
顔を上げると、彼女の瞳には先ほど以上の、いや、これまでの人生で最高強度の「慈愛」と「涙」が溢れていた。
「ああ、アル様……! なんてこと! 貴女はこれまで、そのような孤独で過酷な闇の中にいたのですね! 王家のために自分を殺し、ただの道具として……! おお、神よ! この気高き騎士様に、これ以上の試練を強いるというのですか!」
(……よっしゃああ! 信じたぁぁぁ!!)
アルスは内心でガッツポーズをした。
「男装の麗人」設定に、「不遇な生い立ちの暗殺者(影武者)」というダークなスパイスを加えたことで、セラの保護欲と共感能力が限界を突破したのだ。
「いいですか、アル様。貴女の手は汚れてなどいません! これは、誰かを守るために、自分を犠牲にしてきた『尊い勲章』です! 私が……このセラが、貴女のその傷跡を、毎日口づけして癒して差し上げますわ!」
「えっ、毎日口づけ!? いや、それは流石に――」
「遠慮はいりません! 今夜からは、お風呂で背中を流すだけでなく、このお手のマッサージもメニューに加えましょう! 秘伝の聖水で、このタコを柔らかくほぐして差し上げます!」
(いや、タコは剣士の誇りだから! 柔らかくしなくていいから!!)
ティータイムの終わりに
結局、ティータイムはセラの号泣と、アルスへの「永遠の守護宣言」によって幕を閉じた。
疑念は晴れた。
いや、晴れたどころか、アルスはセラの中で「救済すべき悲劇の英雄」へと昇格してしまった。
「さあ、アル様。もうすぐ夕食です。今日は貴女の冷え切った心を温めるために、私が最高級の食材を『聖火』で焼き上げますわ」
「……は、はい。楽しみです」
アルスは、ひきつった笑みを浮かべながら、セラの隣を歩く。
危機は去った。
だが、嘘を重ねるごとに、セラからの「身体接触」と「愛の重さ」が増していくのは気のせいだろうか。
さらに、アルスの「暗殺者設定」を立ち聞きしていた、学生会の副会長(女子)が、アルスに憧れて「私も闇の騎士になりたいです!」と弟子入りを志願してくるという新たなカオスが、翌日から始まろうとしていた。
(……この学園生活、一難去ってまた一難すぎるだろ)
アルスは、夕焼けに染まる「聖女の塔」を見上げ、いつか自分が「本物の男」だとバレた時の被害総額を計算し、そっと震えるのだった。
つづく




