第6章 聖女の鉄壁結界(※男子禁制)
聖ロザリオ魔法学院の朝は、本来ならば喧騒と共に始まる。
廊下を駆ける生徒たちの足音、魔法の実習で上がる火花の音、そして青春を謳歌する若者たちの笑い声。
しかし、アルスが目覚めて「聖女の塔」の一階に降り立った時、そこには異様なまでの「静寂」が広がっていた。
「……セラ様。なんだか今日、学校が静かすぎませんか?」
アルスは、淑やかな足取り(のつもり)で歩きながら、隣を歩くセラに問いかけた。
セラは、いつにも増して晴れやかな、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
「ええ、そうですわね。不純物が排除された世界とは、これほどまでに清々しいものなのですね、アル様」
「不純物?」
アルスが首を傾げた瞬間、校舎の角を曲がった先で、彼はその「不純物排除」の真実を目の当たりにした。
男子禁制、半径百メートルの聖域
「……え、何ですか、これ」
アルスの視線の先。
本来なら多くの生徒が行き交う中央広場に、巨大な「光のカーテン」が幾重にも展開されていた。
しかも、そのカーテンの向こう側には、こちらを呆然と見つめる男子生徒たちが、まるで見えない壁に阻まれたかのように立ち尽くしている。
「あら、ご説明していませんでしたわね」
セラは優雅に杖を振り、アルスの髪を一房、愛おしそうに整えた。
「昨夜、私は思いましたの。アル様は『男装の(設定の)騎士』。
その気高さ、美しさは、無骨で野蛮な男たちの目に触れること自体が、ある種の冒涜であると。ましてや、彼らの放つ濁った魔力がアル様の肌に触れるなど、到底許されることではありません」
「は、はい?」
「ですから、私の『聖域結界』を少しだけ……そう、半径百メートルほど拡張しておきました。この範囲内には、私が許可した『清浄な魂を持つ女性』以外、一歩も立ち入ることはできません。もちろん、視線も通しませんわ(※アルスの周囲だけは例外)」
アルスは、結界の外で「なんだこれ!?」「教室に入れないぞ!」と騒いでいる男子生徒たちを見て、戦慄した。
中には、重装備の騎士科の男子が体当たりをしているが、セラの結界に触れた瞬間、パァン! という乾いた音と共に弾き飛ばされている。
(やりすぎだ! いくらなんでも過保護がすぎる!)
「セラ様、これでは授業になりません! 先生方も困っていますよ!」
「ご安心を。男性教師の講義は、私がすべて『遠隔魔導投影』に切り替えさせました。彼らの不浄な吐息を、アル様が直接吸い込む必要はありませんから」
セラの過保護は、もはや「親切」という名の「隔離」だった。
アルスが歩くたびに、結界が物理的に男子生徒たちを押し流していく。まるでモーセの海割りのように、アルスの進む道からは、すべての「男気」が消滅していくのだ。
(俺も男なんだが! 俺もあの弾き飛ばされてる側の一員なんだが!!)
アルスは、自分の存在そのものが否定されているような、妙な悲しみに襲われた。
第一の試練:隔離された昼休み
昼休み。通常なら食堂で賑やかに過ごす時間だが、アルスのテーブルは、花園の中にポツンと浮かぶ孤島のようになっていた。
セラの結界のせいで、半径百メートル以内に近寄れるのは女子生徒のみ。しかも、彼女たちですらセラの放つ「アル様は私の騎士。近づく者は浄化します」という無言の圧に押され、遠巻きに見守るしかない。
「さあ、アル様。今日のお弁当は、私が心を込めて魔導調理(※高火力聖属性魔法による瞬間加熱)いたしました」
差し出されたのは、キラキラと発光しているサンドイッチだった。
「……セラ様。これ、物理的に光っていますが」
「愛が溢れている証拠ですわ。さあ、あーん」
アルスは、周囲の女子生徒たちの「まあ、なんて尊い光景かしら……」という熱い視線に耐えながら、光り輝くサンドイッチを口に運んだ。
味は驚くほど美味い。それが余計にアルスの心を複雑にした。
その時だった。
結界の「外側」で、一際大きな騒ぎが起きた。
「どけ! 聖女だろうが王女だろうが知るか! 俺はエルフレデ王女の婚約者候補、カイエン・フォーン・ベルリッツだぞ!」
結界の壁を殴りつけているのは、燃えるような赤い髪の少年だった。
カイエン。公爵家の跡取りであり、王家とも縁の深い、この学院屈指のエリート騎士候補だ。
そして何より、本物の王女エルフレデに一方的な想いを寄せているという噂の男。
「不愉快ですわね」
セラの瞳から温度が消えた。
「アル様。あの騒々しい獣を、今すぐ消滅させてきてもよろしいでしょうか?」
「待って! 待ってくださいセラ様! 彼は一応、私の(建前上の)知り合いです! 私が話してきます!」
アルスは慌てて立ち上がった。
これ以上騒ぎが大きくなって、学園長や国王の耳に入れば、自分の替え玉作戦が危うくなる。アルスはセラの制止を振り切り、結界の境界線へと駆け寄った。
境界線上の睨み合い
結界の膜越しに、アルスとカイエンが対峙する。
「エルフレデ! 貴様、その聖女に毒されたか!? なぜこんな怪しげな結界で、男を排除するような真似を!」
カイエンは憤慨していた。彼からすれば、愛する婚約者候補が、狂信的な聖女に拉致監禁されているように見えているのだ。(ある意味で正解なのがタチが悪い)
「……カイエン様。これは、その、私の安全を思ってのセラ様の配慮でして……」
アルスは精一杯、王女らしい、儚げで困惑した表情を作った。
だが、カイエンの目は鋭かった。彼はアルスの顔をじっと見つめ、不敵に笑った。
「ふん……以前会った時よりも、随分と『逞しく』なったようだな、エルフレデ。その目、その立ち姿。……まるで、修羅場をくぐり抜けてきた戦士のようだ」
(げっ。こいつ、鋭い!?)
アルスは冷や汗をかいた。カイエンは騎士科の主席だ。魔力ではなく、人間の身体能力や覇気に敏感なタイプなのだろう。
「いいだろう。エルフレデ、貴様がその聖女の言いなりではないというのなら、証明してみせろ! 結界の外へ出て、俺と正々堂々、剣を交えろ! もし俺が勝てば、貴様をその狂った聖女から解放してやる!」
「解放……。アル様を、私から奪うと?」
背後から、凍てつくような声がした。
いつの間にかセラがアルスの背後に立っていた。彼女の手にする杖が、不気味なほどの高出力で唸りを上げている。
「身の程を知りなさい、下等生物。アル様は、私の魂の騎士。貴方のような、筋肉を振り回すだけの獣が触れていいお方ではないのです」
「なんだと!? 聖女、貴様こそ王女殿下を私物化しおって!」
「黙りなさい。……今、ここで、貴方の魂ごと灰にして差し上げます」
「セラ様、ストップ! 落ち着いてください!」
アルスは必死にセラの両腕を掴んで止めた。
このままだと、公爵家の跡取りが学院の真ん中で蒸発してしまう。
「分かりました! カイエン様、お受けします! 決闘ですね? 私が勝てば、二度とセラ様に無礼を働かないと約束してください!」
「いいだろう! 望むところだ!」
決闘前夜、密かな特訓
結局、騒ぎは収まらず、三日後に「王女エルフレデ」と「騎士カイエン」の公開決闘が行われることになった。
セラは「アル様が汚らわしい男と剣を合わせるなんて!」と、半泣きで反対したが、アルスは「これは騎士としての私の名誉の問題です」という「男装の麗人」設定を逆手に取った説得で、なんとか彼女を納得させた。
その夜。
セラの自室で、アルスは一人、儀礼用のレイピアを磨いていた。
(魔法は使えない。幻影の首飾りでハッタリはかませるが、カイエンのような実力者相手に、小細工は通用しない……。となれば、やることは一つだ)
「……アル様」
ベッドの中から、セラが不安げにこちらを見ていた。
「本当に、大丈夫なのですか? あの男は、確かに乱暴ですが、剣の腕だけは確かです。もし、アル様の美しいお身体に傷でもついたら……」
「大丈夫ですよ、セラ様」
アルスは、自信に満ちた(男としての)笑みを浮かべた。
「あんな熱血馬鹿に、私の剣は届きません。……それに、私には貴女の『守護の契約』がありますから」
セラの頬が、パッと赤らんだ。
「……はい。私の魔力は、常に貴女と共にあります。……アル様、勝ってくださいね。私の騎士様として」
「ええ。約束します」
アルスは心の中で、自分自身に気合を入れた。
女装をしたまま、王女として振る舞い、かつ「男装の麗人」としての剣技を見せつけて勝つ。
あまりに高いハードルだが、今の彼には、自分を信じて疑わない聖女の視線が、心地よい重圧となっていた。
(見てろよ、カイエン。王女様が『物理的』にどれだけ強いか、その身に叩き込んでやる)
聖女の鉄壁結界に守られた夜は、決戦の予感を孕んで静かに更けていった。
つづく




