第4章 君こそ私の「魂の騎士」です!
「聖女の塔」の最上階、月明かりが差し込む学生会長室。
アルスは、人生で何度目か数えるのも馬鹿馬鹿しい「絶体絶命」の淵に立たされていた。
演習場でのアイアン・キマイラ一撃粉砕事件から数時間。
アルスを「非力な王女」だと思っていた生徒たちは、今や彼女(彼)を「魔法と武技を融合させた、戦う麗しき王女」として、信仰に近い羨望の眼差しで見ていた。
だが、最も深刻なのは、目の前で跪いている「人類最強の聖女」だった。
「……殿下。いえ、アル様。私は愚かでした。貴女のあの身のこなし、あの手のタコ、そして何よりも、危機に際して迷わず前へ出るその精神。それら全てが、一つの結論を示していましたのに」
セラ・フォーン・ルミナスは、アルスの右手を両手で包み込み、宝物を扱うかのように自分の頬に寄せた。
セラの体温は驚くほど高く、その陶酔しきった瞳は、もはやアルスの「言い訳」など一切受け付けない鉄壁のバリアを張っていた。
「結論……とは?」
アルスは震える声で問い返す。
お願いだ、変な方向へ行かないでくれ。いっそ「不審な男」だと疑ってくれた方が、まだ脱獄のチャンスがある。
「貴女は、女性としての幸せを捨て、王家を守るために『男』として生きることを誓った……『男装の麗人』なのですね!?」
「………………はい?」
アルスの脳が、処理落ちを起こした。
男装の麗人。つまり、「女だけど、男のふりをして生きている人」ということか。
今のアルスは「男だけど、女のふりをして生きている(女装)」状態だ。
二重の性別逆転。嘘の上に嘘を塗り重ね、一周回って「男」という真実に近づきながらも、決定的なところで真逆の結論に辿り着いている。
「分かります、分かりますとも! その華奢な体に秘められた強靭な筋力、そして男以上に凛々しいその横顔。貴女は、病弱な第一王女に代わって、あるいは王家の影として、ずっと剣を振るい続けてきたのでしょう。だから、ドレスの扱いよりも剣の扱いの方が体に馴染んでいる……!」
「いや、セラ様、それは流石に想像力が豊かというか――」
「隠さなくて良いのです。私が、貴女の理解者になります」
セラは立ち上がり、アルスの肩を抱き寄せた。
「私が男性を嫌う理由。それは、彼らが『自分こそが守る側だ』と増長し、女性を所有物のように扱うからです。でも、貴女は違う。貴女は女性でありながら、誰よりも強く、そして誰よりも孤独に戦っている。……そんな貴女こそが、古の預言に記された私の『魂の騎士』なのです!」
聖女の「運命」論
セラ・フォーン・ルミナスという少女は、生まれながらにして過剰なほどの魔力を持っていた。
彼女が赤子の頃に泣けば天候が変わり、彼女が指をさせば病魔が消えた。
そのあまりの異能ゆえに、彼女は「神の依代」として育てられ、周囲の大人たちは皆、彼女を崇めるか、あるいはその力を利用しようと画策する者ばかりだった。
特に、権力欲に塗れた貴族の男たちは、彼女を「最強の駒」として手に入れるべく、数え切れないほどの縁談を持ち込んだ。
彼らの目に宿る、ねっとりとした所有欲。自分を人間ではなく「兵器」として見る冷徹な視線。
それが、セラを極度の男性嫌いへと変えた。
「私は、私を『女』として消費しない人を待っていました。私と同じ目線で立ち、私を『最強の聖女』ではなく、ただの『セラ』として守ってくれる人を」
セラの顔が、アルスの耳元に近づく。
「あのキマイラが襲いかかった時、貴女は迷わず私の前に出た。自分の魔法の射程ではなく、私の安全を第一に考えて。……あの瞬間、私の魂は貴女に射抜かれたのです、アル様」
(アル様……。いつの間に愛称で呼んでるんだ、この人……)
アルスは冷や汗が止まらなかった。
セラの勘違いは、もはや「都合のいい解釈」を超えて、一つの「信仰」へと昇華されていた。
もしここで「いや、俺は普通に男だよ」と言えばどうなるか。
セラの理想は打ち砕かれ、彼女は絶望するだろう。そして絶望した「人類最強の聖女」が放つ魔法は、間違いなくこの学院を更地にする。
「(……今は、乗るしかない。この『男装の麗人』という誤解に!)」
アルスは覚悟を決めた。
彼は、セラの肩にそっと手を置き、少しだけ声を低くして(元々の地声に近いが、淑やかなトーンで)囁いた。
「……気づかれてしまいましたか。セラ様、貴女の目は欺けませんね」
「! アル様……やはり!」
セラの瞳が、かつてないほど輝き出す。
「ですが、これは国家の最重要機密です。私が『男装の(という設定の)騎士』であるとバレれば、私の家も、そしてこの学院もタダでは済みません。……どうか、二人だけの秘密にしてくれませんか?」
「もちろんです! 私とアル様だけの、聖なる誓い……!」
セラは感激のあまり、アルスの胸に飛び込んだ。
ぎゅっ、と抱きしめられる。アルスの本物の大胸筋が、セラの柔らかな体に押しつぶされる。
(あ、これ、肉体的にバレるんじゃないか……!?)
だが、セラの脳内フィルターは無敵だった。
「……ああ、この硬い感触。どれほどの修行を積めば、女性の体がこれほどまでに鍛え上げられるのでしょう。貴女の苦労を思うと、私の胸が締め付けられます」
(助かった……! 筋肉質すぎて『女っぽくない』のが、逆に『ストイックな女騎士』という証拠になってる!)
深夜の誓いと、新たな試練
その夜、アルスはセラの「お世話」をようやく辞退し、一人ベッドに入った。
しかし、意識は冴え渡る一方だった。
(どうしてこうなった……。王女の身代わり(女装)をしに来たはずが、最強の聖女に『男装の麗人』だと勘違いされ、二人だけの秘密を共有するパートナーになってしまった……)
事態は複雑怪奇を極めていた。
1.アルスは男である(真実)。
2.周囲はアルスを「エルフレデ王女(女)」だと思っている(嘘1)。
3.セラはアルスを「男装の麗人(女)」だと思っている(嘘2)。
この三重構造の生活を一年間続けなければならない。
少しでも気を抜けば、性別がバレる。正体がバレる。
そして、セラの「重すぎる愛」が、今後どのような方向に暴走するのか、予想もつかなかった。
ふと、隣のベッドから気配がした。
「……アル様、起きていらっしゃいますか?」
セラの声だ。彼女は自分のベッドを抜け出し、アルスの枕元に立っていた。
月光に照らされた彼女の姿は、まさしく聖女そのものの神々しさだったが、その手には何やら「魔導書」が握られている。
「何ですか、セラ様。こんな夜更けに」
「誓いの儀式を、と思って。私たちが魂で結ばれたことを祝して、私の魔力の一部をアル様に分け与える『守護の契約』を結ばせてください」
「え、いや、それは流石に――」
「拒否は許しません。これは騎士と聖女の、正当な儀式ですから」
セラはアルスのベッドに潜り込んできた。
「ひっ!?」
「静かに。……さあ、心を開いて。私の光が、貴女の中に溶け込んでいくのを感じてください」
セラの白い指先が、アルスの額に触れる。
瞬間、アルスの全身を凄まじい熱量が駆け抜けた。それは魔法の使えないアルスにとって、本来なら拒絶反応を起こすはずの膨大な魔力だった。
しかし、セラの魔力は不思議と心地よく、彼の筋肉の隅々まで染み渡っていく。
(……温かい。これが、聖女の魔力か?)
セラはアルスの顔を間近で見つめ、満足そうに微笑んだ。
「これで、貴女がどこにいても、私は貴女を見つけることができます。貴女を傷つける全ての不浄から、私が守ります」
その執着に近い献身。
アルスは、彼女の孤独の深さを改めて知った。最強であるがゆえに、誰かを守ることしか許されなかった少女。彼女もまた、守られることを、理解されることを切望していたのだ。
「……セラ様。私も、貴女を裏切らないように努めます」
それは、半分は保身のための嘘であり、半分はアルスの誠実さだった。
セラは幸せそうに目を閉じ、そのままアルスの腕の中で眠りについた。
(……待て。このまま朝を迎えたら、見回りの侍女にどう説明すればいいんだ!?)
アルスの受難は、まだ始まったばかりである。
翌朝、目が覚めた二人の前に、本物の王女を連れ戻しに来た「別の影」が迫っていることなど、今の彼は知る由もなかった。
つづく




