第3章 魔獣暴走!隠しきれない剣術のキレ
「聖女の塔」での生活が始まって三日。
アルスは、人生で最も濃密かつ胃の痛い時間を過ごしていた。
朝はセラの「騎士様、朝のお清め(高濃度聖属性魔法の散布)です」という声で叩き起こされ、授業中も隣の席からセラの熱烈な視線を浴び続ける。
食事の時間は、セラが毒味と称してあーん(強制的)をしてくる。
男であることを隠し通す緊張感で、アルスの精神はすでに限界に近かった。
そんな中、学院の広大な演習場で開催されたのが、「外部魔獣による対抗戦演習」である。
演習の狂気と「無能」の王女
「殿下、今日は私の後ろに。有象無象の魔獣など、私の光で塵に変えて差し上げますわ」
演習場の中央。セラは豪奢な杖を構え、アルスを背中に庇うようにして立った。
周囲には、実力派の生徒たちがパーティを組んで並んでいる。
今回の演習の目玉は、魔導省が管理する古代遺跡から捕獲された「アイアン・キマイラ」だ。
全身が魔法耐性を持つ外殻で覆われ、物理的な破壊力も凄まじい。
アルスは、スカートの裾を気にしながら周囲を警戒していた。
(……嫌な予感がする。あの檻の封印、術式が甘くないか?)
アルスには魔力はないが、幼少期から命がけで鍛え上げてきた「武の直感」がある。
空気が震えている。檻の中にいる怪物の殺気が、制御しきれていない。
「開始!」
審判の合図とともに、キマイラの檻が開放された。
瞬間、爆風のような咆哮が響き渡る。
セラが杖を掲げ、極太の光線を放とうとした――その時だった。
「キシャアアアアア!」
キマイラが想定を遥かに超える速度で跳躍した。
いや、ただの跳躍ではない。キマイラの体に刻まれた「加速の紋章」が暴走している。
それは、魔導省のミスか、あるいは誰かの陰謀か。
キマイラはセラの放った光線を空中で身を翻して回避し、そのまま後方に控えていた「非力な王女」を目掛けて突っ込んできた。
「殿下ッ!?」
セラが叫ぶ。だが、セラの魔法は高火力ゆえに連射が利かない。軌道修正も間に合わない。
周囲の生徒たちが悲鳴を上げる中、キマイラの巨大な鉤爪が、アルスの華奢な(ように見える)喉元に迫る。
(――やるしかないか)
アルスの瞳から、迷いが消えた。
舞い、穿つ、一閃の「キレ」
アルスは腰に下げていた装飾用の細剣に手をかけた。
これは王女の「飾り」として渡された、刃すらついていない儀礼用の剣だ。
だが、アルスの手にかかれば、折れた枝すら神を殺す得物へと変わる。
「危ない、殿下!」
セラの声が届くより早く、アルスは動いた。
その動きに、一切の無駄はない。
一歩。あえて前へ踏み込み、キマイラの懐へ潜り込む。
ドレスの長い裾がふわりと舞うが、その足捌きは風よりも鋭い。
(中心軸を固定。右足から左足への重心移動。相手の重心が乗った瞬間を叩く!)
アルスは細剣を抜かなかった。
鞘に入ったままのそれを、キマイラの喉元
硬い外殻の継ぎ目にある唯一の急所へと突き出した。
「ふッ!」
鋭い呼気。
ドォォォォォン! という重低音が演習場に響く。
アルスの放った「突き」は、魔力による爆発ではない。
純粋な身体能力と技術によって生み出された、超高密度の衝撃波だ。
キマイラの巨大な巨体が、紙切れのように宙を舞った。
そのまま数十メートル後方の壁へと激突し、アイアン・キマイラは一撃で昏倒した。
「…………え?」
演習場が、静寂に包まれた。
生徒たち、教官、そして何より目の前でそれを見ていたセラが、呆然とアルスの背中を見つめている。
アルスはハッとした。
(やべっ、やりすぎた……! 王女がこんな格闘技使うわけないだろ!)
慌てて、アルスは「幻影の首飾り」のスイッチを入れた。
パァァァァ! と、アルスの周囲に派手な光の粒子が舞い散る。
「……あ、あら? 私、今、魔法を……そう、魔法を放ちましたの。ええ、すごい偶然ですわね。たまたま急所に当たったみたいで……オホホホ」
頬を引きつらせ、不自然すぎる笑い声を上げるアルス。
だが、周囲の生徒たちは、その「光の演出」に騙されていた。
「す、すごい……エルフレデ様、あの巨体を吹き飛ばすなんて……!」
「なんて優雅な魔法なの。あんなに一瞬で、無詠唱で放つなんて!」
ふぅ、とアルスは胸をなでおろした。
なんとか誤魔化せた。あとは静かにこの場を去れば――。
「……違います」
背後から、低く、湿り気を帯びた声がした。
セラだ。彼女は震える足取りでアルスに歩み寄り、その手首を掴んだ。
「セラ様……? あの、今のはただの魔法でして……」
「嘘です。私は見逃しませんでした。貴女のあの、無駄のない踏み込み。視線の誘導。そして、衝撃が伝わる瞬間の、鋼のような手首の返し……」
セラの顔が、かつてないほど近くに迫る。
その青い瞳は、もはや心酔を通り越し、崇拝の光を宿していた。
「魔法の光は、後付けでした。貴女は今、純粋な『技』だけであの魔獣を圧倒した。……確信しました。貴女は、ただの王女などではない。戦場を駆け、数多の敵を屠ってきた、真なる『騎士の魂』を持つお方だ……!」
(いや、男だって。ただの修行オタクの男なんだって!)
「殿下……いえ、騎士様。貴女のその『キレ』。かつて私の家系に伝わる古文書に記された、伝説の聖騎士の身のこなしそのものです。ああ……なんという凛々しさ。なんという美しさ……!」
セラは感極まった様子で、アルスの胸元に顔を埋めた。
アルスはパットを詰め込んだ胸に押し当てられるセラの感触に、「別の意味」で命の危険を感じていた。
「(これ、バレてないけど、バレるより詰んでないか……?)」
芽生えた「予感」
演習の後。
保健室で休まされることになったアルスの元へ、セラが甲斐甲斐しくリンゴを剥きにやってきた。
セラの態度は、以前にも増して執拗になっていた。
「騎士様、お疲れでしょう。さあ、口を開けてください」
「い、いえ、自分で食べられますから……」
「ダメです。英雄には休息が必要です。……それにしても、あの時、貴女の背中に見えた『面影』……。不思議です。私、あんなに男の人が嫌いなのに、貴女のあの強さには、懐かしさのようなものを感じるのです」
セラは遠い目をして、窓の外を見つめた。
「私の母は、魔力のない騎士に命を救われました。その人は名も名乗らず去っていきましたが、母はいつも言っていました。『真の強さとは、光り輝く魔力ではなく、守るべきもののために振るわれる一筋の剣にある』と」
セラの瞳が、アルスに向けられる。
「殿下の中に、私はその『面影』を見たのです。……貴女なら、私のこの重すぎる魔力と、孤独を分かち合ってくれるのではないか。そんな……身勝手な期待をしてしまうのです」
その言葉に、アルスの胸がチクリと痛んだ。
自分は嘘をついている。王女でもなければ、女でもない。
だが、目の前の少女が抱える「最強ゆえの孤独」だけは、本物だ。
「……セラ様」
「はい、騎士様」
「私は……貴方の期待に応えられるような人間かは分かりません。でも、貴方が傷つくのは、私も嫌です」
それは、アルスの本音だった。
セラは一瞬、驚いたように目を見開き、それから今までで一番柔らかい、少女のような笑みを浮かべた。
「……ずるいですわ、殿下。そんなことを言われたら、私はもう、貴女を誰にも渡せなくなってしまう」
(……あ、今のセリフ、絶対ヤバいフラグだ)
アルスの本能が、さらなる波乱を予感させる。
正体を隠さなければならない。しかし、彼女の孤独も救いたい。
矛盾する二つの願いを抱えながら、アルスの「偽令嬢」としての、そして「セラだけの騎士」としての運命が、音を立てて加速し始めた。
その夜、アルスが宿舎で眠りにつこうとした時、隣のベッドからセラが這い寄ってきたのは……また別の災難の始まりであった。 つづく




