第2章 最強聖女セラの降臨と最悪の初面談
聖ロザリオ魔法学院。
そこは、大陸全土から選りすぐられた「魔道の申し子」たちが集う、知性と魔力の最高峰である。
白亜の塔が天を突き、校庭には常時、高密度の魔力を維持するための浄化結界が張り巡らされている。
そんな神聖な学び舎の校門前で、アルス(偽名:エルフレデ王女)は、人生最大の危機に直面していた。
「……あの、セラ様? 手を、その、離していただけませんか? 皆が見ていますし……」
アルスは裏返りそうな声を必死に抑え、淑女らしいソプラノを保とうと奮闘していた。
しかし、目の前の少女――「光の聖女」セラ・フォーン・ルミナスは、アルスの手を握ったまま、一向に離す気配がない。それどころか、その青い瞳には、熱病に浮かされたような悦惚の色が混じり始めていた。
「いいえ、殿下。……いいえ、私の『騎士様』。この不浄な空気、野蛮な男たちの視線から、貴女を守るのが私の使命なのです」
セラの背後から、目に見えるほど濃密な「光の魔力」が立ち昇る。それは優しく温かいはずの聖属性魔法でありながら、今のアルスにとっては、逃げ場を塞ぐ監獄の格子のように感じられた。
(まずい。これ、完全に『ヤバい奴』に捕まった……!)
アルスは内心で顔を引きつらせた。
そもそも、王家からの依頼(という名の脅迫)は「王女として淑やかに振る舞い、一年間をやり過ごすこと」だったはずだ。
それなのに、転入初日の数分で、この国で最も怒らせてはいけない「人類最強の最終兵器」に、あらぬ誤解を植え付けてしまった。
「さあ、案内いたしましょう。殿下の気高さに相応しい、特別な『聖域』へ」
セラは有無を言わせぬ力強さで、アルスの手を引いて歩き出した。
校門から本校舎へと続く大理石の道。両脇に並んだ生徒たちは、伝説の王女と伝説の聖女が手を取り合って歩くその光景に、感嘆の吐息を漏らしている。
「見て……なんて神々しい絵面なの」
「エルフレデ様、まるでお人形のように美しいわ……」
「それに引き換え、セラ様があんなに楽しそうに笑っていらっしゃるなんて。男子生徒が近づくだけで地面を消滅させるあの聖女様が!」
周囲の囁き声を聞くたびに、アルスの胃はキリキリと痛んだ。
(笑ってる? これが? 獲物を狙う猛禽の目にしか見えないんだけど!?)
聖女の狂気、あるいは過剰な潔癖
案内されたのは、本校舎の最上階にある「学生会長室」だった。
重厚なマホガニーの扉が開くと、そこには図書館と見紛うばかりの魔導書と、豪華なティーセットが用意されていた。
「どうぞ、お掛けになって。……あ、椅子に座る前に、少々お待ちを」
セラは杖をひと振りした。瞬間、椅子が眩い光に包まれ、チリ一つ残さず「滅菌」された。
「不浄な者たちが残した残留思念を、今すべて消し去りました。これで安心です」
(潔癖症にも程があるだろ……!)
アルスは恐る恐る椅子に腰を下ろした。
対面に座ったセラは、自分で淹れた紅茶を差し出しながら、うっとりとアルスを見つめる。
「改めて、自己紹介を。私はセラ・フォーン・ルミナス。この学院の学生会長を務め、教会の『聖女』として神の言葉を代行する者です。……そして、何より重要なのは、私は『この世の全ての男を害悪だと思っている』ということです」
「……は、はい?」
アルスは思わず素の声(低音)が出そうになり、慌てて咳払いをして誤魔化した。
「殿下、貴女もご存知でしょう? 男という生き物は、筋肉と欲望だけで構成された、粗雑で、汚らしく、論理の通じない獣であることを」
セラの瞳から光が消え、底冷えのするような冷徹さが宿る。
「彼らは力に頼り、繊細な魔法の機微を解さず、ただ暴力によって支配しようとする。反吐が出ます。私は幼い頃から、あの脂ぎった視線にさらされるたびに、この世界を一度浄化(消滅)させてしまいたいという衝動と戦ってきました」
(うわぁ……ガチだ。この聖女様、ガチの男嫌いだ……!)
アルスは、自分の股間に収まっている「男の証」が、恐怖で縮み上がるのを感じた。
もし、今ここで「実は僕、男なんです」と告白したらどうなるか。
この聖女は、慈悲深い笑みを浮かべながら、アルスという存在を分子レベルまで分解して消去するだろう。
「ですが!」
セラが身を乗り出した。机がガタリと揺れる。
「殿下、貴女は違います。貴女を見た瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。その澄んだ瞳、一切の邪念を感じさせない佇まい。……そして、先ほど魔獣の尻尾を躱した際の、あの流麗な体術! あれこそ、私が求めていた『守護騎士』の姿です!」
「……あの、セラ様。私はあくまで、魔法を学ぶためにここへ来た、非力な王女なのですが……」
「ふふ、隠さなくて結構ですよ。殿下は、あえて魔法を使わないことで、己の精神を鍛錬されているのでしょう? まるで、かつての聖騎士たちがそうであったように。男たちの荒々しい暴力ではなく、女性としての強さと気高さを磨き上げるために、あえて『騎士』の道を歩まれている……。ああ、なんて素晴らしいんでしょう!」
(勝手な解釈が止まらない! この人、人の話を聞く機能が壊れてる!)
アルスは必死に否定しようとした。
「い、いえ、私は本当に魔法が使えないだけで――」
「ええ、分かっています! 『謙虚』こそが美徳だと仰るのですね! どこまで私を感動させれば気が済むのですか!」
セラは感極まった様子で、アルスの両手を握りしめた。
その時、不運にも、部屋の扉がノックされた。
「会長、失礼します。来週の予算会議の資料を――」
入ってきたのは、眼鏡をかけた真面目そうな男子生徒の役員だった。
その瞬間。
部屋の温度が氷点下まで下がった。
「――消えなさい」
セラが冷たく言い放つ。
「ひっ!?」
「不浄。有害。私の騎士様との聖なる時間を、その薄汚い声で汚した罪、死に値します。今すぐこの場から三秒以内に消えなければ、貴方の存在そのものを歴史から抹消します。三、二――」
「失礼しましたあああ!!」
男子生徒は資料をぶちまけながら、脱兎の如く逃げ出していった。
その様子を呆然と見ていたアルスに、セラは一瞬で「聖女の微笑み」を戻して向き直った。
「失礼しました。ゴミが紛れ込んでいたようですわ。さて、本題に戻りましょうか、騎士様」
(騎士様って呼ぶのやめて……心臓がもたない……)
最悪の「相部屋」宣告
「殿下、今日から貴女が過ごす宿舎ですが……本来なら王族専用の離宮を用意すべきところ、私は特例として、私の私室がある『聖女の塔』への入居を許可しました」
「えっ? それって、つまり……」
「はい。私と、殿下の二人きりの生活です。殿下の身の回りのお世話は、すべて私が。食事の用意も、お着替えの介助も、夜の語らいも……」
(お着替えの介助!? 無理! 絶対に無理だ!!)
アルスの背中に冷や汗が流れる。
服を脱げば、パットを詰めた偽りの胸も、細工を施した下着も、すべてが露呈する。それは即ち、アルスの「処刑」と「一族の破滅」を意味していた。
「あ、あの! セラ様! お気持ちは嬉しいのですが、私は一応王女ですので、身の回りのことは自分で行うという教育を受けておりまして……!」
「まあ。……やはり殿下は、自立した騎士としての精神をお持ちなのですね。どこまでも私を惚れ直させるお方だ」
セラは頬を染め、吐息を漏らす。
「ですが、ご安心を。私は殿下の『騎士としてのプライド』を尊重します。ですから、お着替えは無理強いしません。……その代わり、お風呂(浴場)はご一緒しましょうね? ほら、背中を流し合うのは、女性同士の親愛の証ですもの」
「(死んだ。俺、今日死ぬんだ。)」
アルスは天を仰いだ。
目の前にいるのは、人類最強の魔法師であり、同時に人類最恐の「思い込みの激しい男嫌い」だ。
逃げ場はない。
この学院を無事に卒業するためには、この「聖女様」の重すぎる愛と、過剰な期待と、そして鋭すぎる(勘違いの方向へ向いた)直感から、二十四時間体制で正体を隠し通さなければならないのだ。
「さあ、殿下。荷物を持って、私たちの愛の巣(寮)へ向かいましょう」
「……あ、あはは。ええ、よろしくお願いします、セラ様……」
アルスは、ひきつった笑みを浮かべながら、地獄のシェアハウスへと足を踏み出すしかなかった。
かくして、絶世の美貌を持つ男・アルスの、命がけの「お姫様ごっこ」が本格的に幕を開けた。
彼が、実は剣聖ですら舌を巻くほどの剣の達人であることや、セラの聖なる魔法をその身一つで切り裂く力を持っていることが明らかになるのは、もう少し先の話である。
今はただ、隣で幸せそうに微笑む「爆弾」を、いかにして爆発させないか。それだけが、アルスの全神経を支配していた。 つづく




