第1章 絶世の美貌(男)と王女の身代わり
エリュシオン魔法王国の辺境、草木もまばらな痩せた土地に建つアルベルト男爵邸。
そこには、およそ貴族の屋敷とは思えない静謐さと、それに見合わない怒号が響いていた。
「……父上。もう一度、僕の耳が腐っていなければ、もう一度だけ仰ってください」
アルス・アルベルト(17歳)は、目の前に突きつけられた豪華絢爛なドレスを凝視しながら、掠れた声を出した。
彼の前で、頭を地べたに擦り付けているのは、実の父である男爵だ。
その背後には、王家の紋章が入った重厚な鎧を纏う騎士たちが、申し訳なさそうに、しかし逃げ場を塞ぐように立っている。
「アルス、頼む! この通りだ! お前がやってくれないと、我が家は不敬罪で取り潰し、お前も僕も、道端の石ころと一緒に処刑されてしまう!」
「ですから、なぜ僕が『第一王女・エルフレデ様』として、大陸最高峰の聖ロザリオ魔法学院に編入しなきゃいけないんですか。僕は男ですよ。それも、剣を振ることしか取り柄のない、魔法の『ま』の字も使えない無能ですよ」
アルスは、自分の整いすぎた顔を鏡で見るたびに、神を恨んできた。
父は魔法貴族としての血が薄く、三男であるアルスに至っては、魔力を測定する水晶すら反応しない。
その代わりに与えられたのは、歴代の王妃、いや、伝説の女神ですら嫉妬するであろう「美貌」だった。
さらりと流れる銀糸のような髪、吸い込まれそうなほど澄んだ翠の瞳、そして女性よりも華奢に見えて、実はしなやかな筋肉を宿した四肢。
「王女様が……エルフレデ様が、隣国との政略結婚に腹を立てて、昨夜、窓からシーツを繋げて脱走されたのだ!」
「王族の脱走方法が古典的すぎる……」
「今、彼女が不在だとバレれば、国交は断絶、戦争だ! 幸い、エルフレデ様は極度の人見知りで、社交界にもほとんど顔を出されていない。そして何より……お前とエルフレデ様は、従兄妹の関係で顔立ちが酷似している!」
騎士の一人が一歩前へ出た。
「アルス殿。これは国王陛下からの直命です。期間は一年。学院を無事に卒業するまで、王女として振る舞っていただきたい。報酬は、アルベルト家の公爵家への昇格。そして、君には生涯遊んで暮らせるだけの金貨を約束しよう」
アルスは冷や汗を拭った。公爵家への昇格。それは、借金まみれのこの領地が救われることを意味する。だが、その代償は「男を捨てる」ことだ。 しかも、潜入先は「聖ロザリオ魔法学院」。大陸中のエリート魔法師が集まる場所だ。魔法が使えない自分が、どうやって王女として振る舞えというのか。
「……魔法はどうするんです。王女様は稀代の魔導師のはずだ」
「これを使え」
騎士が差し出したのは、大粒の真珠をあしらったペンダントだった。
「古代遺物の一つ、『幻影の首飾り』だ。これを持っていれば、君が指を鳴らすだけで、周囲には高度な攻撃魔法が放たれたかのような『錯覚』と『衝撃』が発生する。実害はないが、見た目だけは聖級魔導師だ」
つまり、ハッタリだけで一年間を乗り切れということか。
アルスは深く、深く溜息をついた。 拒否権はない。目の前の騎士たちの手は、すでに剣の柄にかかっている。ここで首を振れば、アルベルト家の歴史は今日この瞬間に途絶えるだろう。
「……分かりました。やりますよ。やればいいんでしょ」
こうして、アルスの「地獄の令嬢生活」が幕を開けた。
三日後。 豪華な馬車に揺られ、アルスは聖ロザリオ魔法学院の正門をくぐっていた。
身に纏うのは、最高級のシルクで作られた学院の女子制服。
胸元にはパットを詰め込み、コルセットでウエストを極限まで絞り、顔には薄く化粧を施されている。 鏡の中にいたのは、自分でも見惚れるほどの「気高く、近寄りがたいほどに美しい王女様」だった。
「(落ち着け。背筋を伸ばせ。歩幅は小さく。言葉遣いは優雅に……俺はアルスじゃない。私はエルフレデ。エリュシオンの誇れる大輪の薔薇……)」
心の中で呪文のように唱えながら、馬車を降りる。 瞬間、校門前に集まっていた生徒たちから、地鳴りのような歓声が上がった。
「見て、あれがエリュシオンの至宝……エルフレデ王女殿下……!」
「なんてお美しいんだ。まるで光そのものが歩いているみたいだわ……」
アルスは精一杯の「慈愛に満ちた微笑」を浮かべた
。内心では、股間に吹き抜けるスースーとしたスカート特有の心細さに震えていたが、訓練の成果か、表情には微塵も出ない。
「(よし、いける。このまま誰とも深く関わらず、図書館の隅で一年間読書でもして過ごせば……)」
そんなアルスの淡い期待は、一人の少女の登場によって、文字通り「粉砕」されることになる。
「――道を空けなさい。不浄な魔力が、殿下の進む道を汚しています」
冷徹で、それでいて鈴を転がすような、凛とした声。
人混みが割れ、そこから現れたのは、白銀の法衣に身を包んだ少女だった。
金色の髪は太陽の光を反射して輝き、その瞳は意志の強さを象徴するような深い青。
彼女が歩くたびに、周囲の空気が清浄な魔力で満たされていくのが分かった。
アルスは本能的に察した。 こいつは、ヤバい。
偽物の魔法、偽物の性別、偽物の王女。
それらすべてを、一目見ただけで暴いてしまいそうな、圧倒的な「本物」の気配。
「お初にお目に掛かります、エルフレデ殿下。
私は、学生会長を務めております、セラ・フォーン・ルミナス。
そして……貴女を救うべく遣わされた、『光の聖女』です」
セラと名乗った少女は、アルスの目の前まで来ると、優雅に、しかしどこか熱を帯びた動作で跪いた。 そして、あろうことかアルスの「手」を取り、その甲に恭しく唇を寄せたのだ。
「(えっ、ちょ、えええええ!?)」
アルスの思考が停止する。女子校のようなノリなのか?
それとも王族への礼儀か?
だが、セラの瞳は、単なる礼儀を超えた「執着」に近い色を帯びていた。
「……殿下。貴女から溢れるこの清らかな気配。そして、その瞳に宿る隠しきれない『武』の鋭さ……。やはり、私の予感は正しかった」
「え、ええと……セ、セラさん? 予感、とは……?」
アルスは裏返りそうな声を必死に抑え、王女らしい高音を保った。
セラは顔を上げ、至近距離でアルスを見つめる。その距離、わずか数センチ。
男としてのアルスなら、間違いなく鼻血を出して倒れているレベルの美少女だ。
しかし、彼女の口から飛び出したのは、あまりにも斜め上の言葉だった。
「貴女は……魔導師のフリをされていますが、本当は違いますね?」
ドクン、とアルスの心臓が跳ねた。 バレた。今、この瞬間にバレた。
やっぱり無理だったんだ。不敬罪。処刑。男爵家の改易。
父上の首が飛ぶイメージが脳裏をよぎる。
アルスが絶望に目を閉じ、全てを白状しようとした、その時。
「分かります。貴女は……あまりに強すぎる力を隠すため、あえて脆弱な魔導師を演じている『孤高の女騎士』なのでしょう!?」
「……はい?」
アルスは目を見開いた。
セラは、頬を微かに赤らめ、うっとりとした表情でアルスの手を手繰り寄せる。
「男性を寄せ付けぬその凛々しい立ち振る舞い。魔法に頼らずとも世界を平らげんとするその覇気。……殿下、いえ、私の『騎士様』。私は今日、この時を待っていました。男という野蛮な生き物たちに汚される前に、貴女のような気高き『女性』に出会えることを……!」
セラの背後から、目に見えるほどの「聖なる光」が溢れ出す。
それは彼女の歓喜の表れだったが、アルスにはそれが、自分を逃がさないための檻のように見えた。
どうやら、この聖女。 とんでもないレベルの「男嫌い」で、かつ、とんでもないレベルの「勘違い体質」らしい。
「(……えーと、これ。もしかして『男』だってバレるより、面倒なことになってないか……?)」
「さあ、行きましょう、私の騎士様。貴女に相応しい、誰にも邪魔されない特等席(相部屋)を用意してありますから」
「……あ、相部屋!?」
アルスの絶叫は、周囲の生徒たちの熱狂的な拍手にかき消された。
こうして、魔法の使えない男装(逆女装)王女と、盲目的な愛を捧げる最強聖女の、奇妙で危険な学園生活が幕を開けたのである。
こうして、魔法の使えない男装(逆女装)王女と、盲目的な愛を捧げる最強聖女の、奇妙で危険な学園生活が幕を開けたのである。




