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異世界で無職を極めた俺は、役割を拒んだ選択の末に歌姫を救う  作者: 若木勇祐


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第6章「無職の選択」

空野恒一は、突然足を止めた。


──逃げることと、

選ぶことは、

似ているようで違う。


そういえば、歌羽のことを、

どう思っているのか。


それを、今までちゃんと考えたことがあっただろうか。


恋愛じゃない。

少なくとも、

誰かに説明できる形では……。


好きかどうかと聞かれたら、

たぶん、言葉に詰まる。

そういう種類の感情だった。


守るべき存在でもない。

歌羽は、守られる側じゃない。

自分の足で立って、

自分の役割を選んだ人間だ。


だから──

「俺が行く理由」にはならない。


家族、という言葉が浮かんで、

すぐに、消えた。


違う。


家族なら、

理由はいらない。


それでも──

理由を考えている時点で、

もう遅いのかもしれなかった。


考えなきゃいけない存在を、

放っておけるほど、

俺は器用じゃない。


正解は、分かっている。


勇者がいる。

聖女もいる。


──世界は、

歌羽を助ける準備ができている。


それでも。


勇者に任せたままの自分を、

肯定できなかった。


──それだけで、十分だった。


──だから、選んだ。


恒一は、歩き出した。


理由は、

最後までちゃんとした言葉にはならなかった。



王都の聖堂。


人々が列を作っている。

最後尾にいた男は、腕が黒く侵食されていた。


「……もう、無理だと言われました」


祈は、ただ頷いて、

手を重ねる。


「ホーリーヒール」


光は、まぶしくない。

だが、静かに広がる。

黒が、溶けるのではない。


──最初から存在しなかったかのように、消える。


男は震える。

腕は、健康な状態へと完全に戻った。


聖堂が、沈黙する。


そんな中、誰かが囁く。


「……さすがは聖女様だ」


祈は微笑む。


「いいえ。治るべきものが、治っただけです」


だが、その指先は微かに震えていた。

震えは、疲労ではない。


胸の奥で、

何かが静かに積み重なる感覚。


戦場ではない。

魔物もいない。


それでも、

確かに、何かが“進んだ”。


祈は、ほんのわずかに息を整える。


(……また、近づいた)


何に、とは言葉にしない。


ただ、

祈るたびに、

奇跡は深くなっていく。



王都中央神殿、上層観測室。


壁一面に浮かぶ水晶が、

同時に震えた。


最初は一つ。

次に三つ。


そして──

すべて。


「……反応、増幅中!」


観測官の声が裏返る。


通常の祈祷波形ではない。

祝福でもない。


記録域を越えている。


水晶内部で光が暴走し、

数式のような紋様が崩れていく。


「聖域座標、再計算不能!」

「干渉値が、上限を突破しています!」


中央の大型水晶が、

遅れて脈打った。


……ズクン。


室内の誰もが息を呑む。


表示が更新される。


聖女適合率:再測定

奇跡発生:確認

神性干渉:承認


沈黙。


年老いた神殿司祭が、

ゆっくりと口を開いた。


「……確定したな」


誰も否定しない。


奇跡は、

観測された時点で“事実”になる。


司祭は杖を鳴らした。


「勇者部隊──勇者パーティーへ通達」


一拍。


「出撃許可を前倒しする」


空気が変わる。


祈りではない。


これは──軍令だった。


「世界が、動いた」


誰かが呟いた。


水晶の光は、

まだ収まらない。


まるで、

何かを呼び起こしたかのように。



王都外縁。

人気のない石橋の上。


恒一は、

何となく空を見上げていた。


理由はない。


ただ──

胸の奥がざわついた。


風が止まる。


遠く、

見えないはずの方向で、

一瞬だけ光が瞬いた気がした。


「……なんだ?」


遅れて、

空気が震える。


音は届かない。

意味も分からない。


だが。


世界が、

ほんの少しだけ

“決まった”感覚。


ゼロスライムが、

足元で小さく揺れる。

何かに同調するように。


恒一は眉をひそめた。


「……関係ないか」


そう呟いて、

視線を外す。


興味を持たない。

理解しようともしない。


その瞬間。


観測されなかった。


水晶の記録には、その瞬間だけ、

「空白」が残った。


奇跡が世界を動かした同時刻に。


ただ一人。


その外側に立つ存在だけが、

何も知らずに歩き出す。


石橋を渡り、

夜の向こうへ。



夜明け前の前線拠点。


冷たい空気の中、

鎧の擦れる音だけが響く。


守崎剣翔は、

無言で剣帯を締め直した。


革の軋む音。


何度も確認したはずなのに、

もう一度確かめる。


重さは変わらない。


だが、

背負う意味だけが違っていた。


「緊張してる?」


背後から奈緒の声。


剣翔は少しだけ笑う。


「……してないって言ったら嘘になる」


奈緒は頷くだけだった。


遠くで祈が目を閉じ、

静かに祈祷を続けている。


光は起きない。

奇跡も起きない。


ただ、

そこにいる。

それだけで隊列が安定する。


号令が落ちる。


「──出発準備!」


剣翔は一度だけ拳を握った。

震えている。

気づかれない程度に。


(守れるか)


問いに答えはない。


それでも。


彼は前に立つ。


勇者だからではない。


前に立つ者が、

勇者になるからだ。


──昔から、あの背中は変わらない。

祈は心の中で密かに思った。



王都北門の外。

朝光の中、騎士団の陣形は崩れていた。


三体のブラックハウンド。


騎士たちの盾を砕き、槍を折り、

人間の恐怖を嗅ぎ分けている。


その視線が──

一斉に止まった。


石畳を踏む音。


一定で、

揺れない。


守崎剣翔が、前に出ると、

魔物の唸りが変わる。


威嚇ではない。

本能的な警戒。


まるで、

「それを倒さなければならない」と知っているように。


騎士隊長が叫ぶ。


「勇者様──!」


「下がってください!」


声は静か。


だが、その瞬間、

空気の重心が移る。


戦場の中心が、剣翔に固定される。


魔物が二体、同時に跳躍する。


狙いは同じく、勇者。


祈ではない。

騎士でもない。


剣翔。

彼は踏み込む。


盾が前。


「ブレイブガード」


光属性の防護奇跡。

勇者の守護対象を「存続が正しい状態」と再定義する。


光が盾になったのではない。


──その瞬間だけ、

「守られること」が世界の正解になった。


受ける。

ものすごい衝撃が石畳を砕く。


だが、勇者は下がらない。


受け止めた瞬間、

力が“反転”する。


──ユニークスキル

二重基準デュアルスタンダード


防御基準で受けた衝撃が、

攻撃基準に転化する。


「ブレイブスラッシュ」


光属性の一閃。


光が走ったのではない。


──勇者が振るった瞬間、

その一撃が「正しい」と世界に認められただけだった。


斬撃は、振り抜きではなく、

押し返した力の延長。


黒い体が縦に裂ける。

一体が崩れる。


もう一体は本能で距離を取ろうとする。

けれども、距離が取れない。


勇者が動いていないのに、

“間合いが逃げない”。


戦場の中心点が固定されている。


奈緒の符が走る。


迅が消える。


しかし、魔物の意識は動かない。

標的は変わらない。


勇者。


三体目が怒号を上げ、

祈へ走る。


否。

祈の背後に回り込もうとする。


だが、剣翔が既にいる。

動いたのは祈より早い。


盾が横から割り込む。

同時に、剣が上から落ちる。


防御姿勢のまま、攻撃。

攻撃の姿勢のまま、防御。

二つの基準が同時に成立している。


剣翔が魔物の前脚が砕く。


奈緒が放った矢が、

いつの間にか魔物の脚元へ突き立っていた。


迅の刃が魔物の関節を断つ。


──誰も気づかない内に、二体目は迅が倒していた。


最後の首を、勇者である剣翔が、静かに落とす。


黒い体が崩れ、

内側から淡い光が滲む。


騎士の一人が、

迷いなく短剣を差し入れた。


胸部を裂く。

血はほとんど流れない。


代わりに、

核のような小さな結晶が露出する。


親指ほどの、ほぼ透明色。


騎士はそれを取り出し、

布で拭って確認する。


「初級、三つ」


淡々とした声。


恐怖も怒りも、

すべてが“資源”へと変換される。


それは討伐の証であり、

王国の循環の一部だった。


静寂。


だが、騎士たちの視線は恐怖混じりだ。


「……逃げられなかった」


誰かが呟く。


魔物が、勇者から視線を外せなかった。


攻撃を通せなかった。

退くこともできなかった。


まるで、

勇者が“正解”そのものだったかのように。


祈が淡く光を広げる。


「負傷者、三名。重傷なし」


癒しが広がる。

だが戦場を支配しているのは光ではない。


勇者の“基準”。


彼が立つ場所が、

安全圏になる。


彼が踏み込む場所が、

突破口になる。


攻守の切り替えではない。

両方が常時最大。


《二重基準》。


勇者が存在するだけで、

敗北の選択肢が削られる。


門上の民衆がざわめく。


「完璧だ……」


剣翔は神殿の尖塔を見る。


「準備は整っている」


確認ではない。

既に整っている世界の宣言。


門上の兵士が叫ぶ。


「アウレリウス王国万歳!」


勇者がいる。

聖女がいる。


役割は揃っている。

世界は正しく回る。


──そのはずだった。



恒一は、宿を出た。


夜明け前。

空はまだ色を決めかねていて、

王都の外れは静まり返っている。


誰にも告げていない。

告げる理由もなかった。


革袋を腰に下げ、

中のリルを指で弾く。


小さな音。


(……持っていくか、置いていくか)


一瞬だけ考えて、やめた。


どちらでもいい。

どちらを選んでも、理由は後付けになる。


だから、考えない。


恒一は歩き出す。


舗装の荒れた道を抜け、

畑と倉庫の間を通り、

人の気配が完全に消える場所へ。


王都の外壁が、背後で遠くなる。


振り返らなかった。


振り返れば、

「戻れる」という選択肢が生まれてしまう。


──それは、今はいらない。



──数日前

──異端審問の後


神殿の奥。


異端審問の後、

「処理保留」とだけ告げられ、

恒一は待機室に通された。


扉は閉じられているが、鍵はかかっていない。

監視の目もなさそうだった。


逃げる気はない。

逃げても、意味がない。


棚の向こうには、古い帳簿が並んでいる。

ここはおそらく、記録保管区画だ。


──保留。


その言葉が、やけに軽かった。


数に入らない。

処理対象にもならない。


観測は続く。

でも、裁定は下らない。


「……対象外、か」


その時、扉が静かに開いた。


黒葉夜乃だった。


「こんなところで何してるの?」


声は平坦。

だが、ここに来る理由がある者の声だった。


「特に何も」


恒一は肩をすくめる。


夜乃は数秒、黙って彼を見る。

評価でも同情でもない。


観測。


「補助端末、回収されたんでしょ?」


「ああ」


「不便?」


「まあ」


短い会話。


夜乃は棚の一角から、小さな箱を取り出した。

鍵は、かかっていない。

その中に入っていたのは、水晶ではなかった。


薄い板状の装置。

掌に収まるほどの大きさ。

縁に細い紋様が走っている。


その紋様の一部が、

淡く光った。


次の瞬間。


空中に、

淡い光の画面が展開する。


「これ」


無造作に差し出す。


恒一は、受け取らない。


「何?」


「投影端末の試作」


「……神殿製?」


「違う」


即答だった。


「規格外。

 神殿の管理網を通してないわ」


一拍。


「同期は切ってある」


恒一の眉が、わずかに動く。


「それ、問題ないのか?」


「ある」


夜乃は平然と言う。


「正式な管理外。

観測ログは王国に送られない」


「どうやって、こんなものを……?」


「それは、企業秘密よ」


「じゃあ、なんで俺に」


夜乃は、視線を少しだけ帳簿へ向ける。


「神のシステムって、完璧だと思う?」


「……思わないな」


「でしょ」


ほんのわずかに、口元が歪む。


「だから、外から見る」


「再現性が欲しいから」


「は?」


「無職のあなたがどう動くか、興味があるわ」


軽い言い方。

けれど、目は真剣だった。


夜乃は、端末を押しつける。


「ローカル記録だけ残る」


「外部同期なし」

「強制アップデートなし」

「強制ロール補正なし」


仕様説明のように並べる。


「壊してもいい」

「消えてもいい」


そして、はっきり言う。


「でも──選択は、残る」


恒一は、ようやく受け取った。


ひやりとした感触。

だが、すぐに体温に馴染む。


「……なんで、そこまで」


夜乃は少しだけ考えてから答える。


「無職が、評価Eで終わるかどうか」


「ただ、見届けたいだけ」


それだけ言って、箱を閉じる。


扉へ向かい、止まる。

振り返らない。


「王国は、あなたを数に入れてない」


わずかな沈黙。


「だから、勝手にやればいい」


扉が静かに閉まる。


資料室は、再び無音になる。


恒一は、手の中の端末を見る。

意識を向ける。

薄く、光が滲む。


SYSTEM:LOCAL NODE

SYNC:OFF

OWNER:UNDEFINED

ROLE:NULL


STATUS:UNOBSERVED


思わず笑う。


「……未定義、か」


悪くない。


そっとポケットに滑り込ませる。


この時点では、まだ何も起きない。


ただ──

管理されない記録装置だけが、そこにある。


そして、数日後。


無職ダンジョンの最深部で、

初めて、その端末が反応することになる。



夜は、完全には明けていなかった。


王都の北側。

人があまり寄りつかない石造りの高台。


そこからは、神殿の尖塔がよく見えた。


淡い光が、まだ眠りきらない空に溶けている。


恒一は、立ち止まった。


ゼロスライムが、足元で静かに揺れる。


「……勇者は、あそこから行くんだろうな」


神殿。

王国の中枢。

転移門の管理。

聖域経由の移動。


すべてが、そこに集約されている。


恒一は、夜乃から渡された投影端末を起動した。


水晶ではない。

掌の上に、薄い光が展開する。


この投影端末は、使用者の思考を読み取って、

その通りに操作してくれる優れものだ。


静かな表示。


DESTINATION SEARCH

KEYWORD:魔王城


一瞬の遅延。

そして、文字が浮かび上がる。


DESTINATION:魔王城

LOCATION:第三圏 半神話界 最奥

REQUIRED SEALS:未取得

ACCESS ROUTE:封鎖

PRIMARY ROUTE:各国ダンジョン攻略

TRANSPORT:聖域転移門利用可


恒一は、しばらく無言でそれを見つめた。


「……なるほど」


想像通り。


勇者のための手順は、

最初から決められている。


世界は、最初から“正解ルート”を準備している。


勇者が出発する。

聖女が支える。

そして、歌姫を救出する。


そのための、世界が用意した手順、正規の攻略順序。


恒一は、頭の中で表示をなぞった。


別ルートを検索する。


ALTERNATIVE ROUTE:NOT FOUND

UNAUTHORIZED ACCESS:BLOCKED


光が、わずかに揺れる。


「無職は、通れないってか」


笑うでもなく、怒るでもなく、

ただ事実として受け取る。


ゼロスライムが、ぴくりと震えた。


『……ない?』


「ああ」


恒一は、端末を閉じかけて、止めた。


もう一度、検索をかける。

今度は、キーワードを変えた。


KEYWORD:非認可 経路


沈黙。

表示が、一瞬だけ乱れる。


ノイズ。


そして。


ANOMALY ROUTE:UNDEFINED

PHASE:UNCONFIRMED

TRACE:ZERO-SIGNATURE DETECTED


恒一の視線が、わずかに細くなる。


「……ゼロ?」


足元のゼロスライムが、ゆっくりと形を変えた。

剣にも、盾にもならない。

ただ、境界のように、揺れる。


『……ちょっと、しってる』


「どこだ?」


『……わかんない』


正直な答え。

だが、否定ではない。


端末の表示が、さらに崩れる。


一瞬だけ、地図の外側に、薄い線が走る。


神殿が管理するルート──神殿の転移網とは違う。


神殿も通らない。

聖域も経由しない。


管理網を、避けるように。


次の瞬間、表示は消えた。


DATA CORRUPTED

ACCESS TERMINATED


沈黙。


風が、高台を抜ける。

遠くで、鐘が鳴った。


勇者パーティーが、正式に動いた合図。


恒一は、神殿を見ない。


代わりに、端末の消えた光を見つめる。


「……用意は、されてない」


無職用の道は、存在しない。


正規ルートは、拒絶。

別ルートは、未定義。


世界は、勇者を前提に回っている。


「じゃあ」


恒一は、端末を閉じた。

光が、完全に消える。


「作るか」


ゼロスライムが、ぴょん、と跳ねる。


『……つくる?』


「道がないなら、選びながら進むだけだ」


最短じゃない。

最適でもない。


管理されない経路。

世界の外縁を、なぞるような道。


恒一は、高台を降りる。


神殿と反対方向へ。

舗装の終わる場所へ。


「勇者は、与えられた道を行く」


静かな声。


「俺は」


一歩、踏み出す。


「道ごと、選ぶ」


夜明けが、空を染め始める。


勇者の進む光の道と、

無職の進む影の道。


同じ目的地を指しながら──

まだ、交わらない角度で分かれていた。


このときには、交わらない角度に見えた。



王都の中央通りは、まだ活気が残っていた。


通りの向こうに、神殿騎士の白い外套が見えた。


勇者の編成が発表された直後。

武器屋には、冒険者や騎士見習いが群がっている。


鉄の匂い。

油の匂い。

打ち合わされる金属音。


恒一は、店の奥へ進んだ。


壁一面に並ぶ剣。

槍。

弓。

短剣。


どれも、ちゃんと“役割”がある。


店主が、ちらりとこちらを見る。


「何を探してる?」


「最低限、自衛できるものが欲しい」


店主は一瞬、値踏みするように視線を上下させた。


「ジョブは?」


沈黙。


「……無職」


空気が、わずかに変わった。


「無職か……」

「前にも一人いたが、刃が“馴染まなかった”な」


店主は、肩をすくめる。


「試すだけなら、まあ」


一本、鞘に入った短剣を投げてよこす。

恒一は、それを受け取る。


軽い。

重心も悪くない。


試しに振ってみる。


──手応えが、ない。


刃が、空気を切らない。


というより、

「力が、全く乗らない」


腕は動いている。

筋肉も、働いている。


だが。


“武器として成立しない”。


まるで、

世界が「それは武器じゃない」と言っているみたいだった。


店主が鼻を鳴らす。


「無職はな」

「おそらく、武器適正が出ないんだろ?」


恒一は、黙って短剣を返す。


別の剣を手に取る。

同じ。


槍も同じ。


弓。

弦が、妙に重い。


引ける。

だが、撃てない。

矢が、飛びそうになかった。


「……防具屋は?」


店主は、通りの奥を指す。


「そこの通りを進んだ先にある」



革鎧。

軽鎧。

鎖帷子。


防具屋は、静かだった。


「サイズは合うと思うが……」


店主が、革の胸当てを差し出され、

恒一は、装着する。


重くない。

むしろ、軽い気さえした。


だが。


「……違和感」


守られている感覚がない。

防御力が“発生していない”。


防具屋の店主が、眉をひそめる。


「表示、出てるか?」


恒一は、投影端末を開く。

表示は、淡々としている。


EQUIP:不可

REASON:ROLE NOT FOUND


「……ああ」


恒一は、小さく息を吐いた。


守る役割がない。

だから、防具も意味を持たない。


「無職か……」

「そういえば、着られはするが、“守られてる感じがしない”って、言ってたやつもいたな」


店主は、少しだけ同情の目を向けた。


「無職はな」

「たぶん、装備補正が乗らねえ」

「だから、買うだけ無駄だ」


恒一は、防具を外す。


金も、大して持っていない。


──仮に、買えたとしても、これでは意味がない。



王国の外れにある、

少し寂れた教会の中は、静謐だった。


香の匂い。

祈りの声。

光の差し込むステンドグラス。


恒一は、受付の聖職者の前に立つ。


「……加護、受けられますか?」


聖職者は、優しく微笑む。


「もちろん」


水晶が、差し出される。


恒一は、手をかざす。

光が──出ない。


一瞬だけ、水晶が濁る。


聖職者の笑みが、止まる。


「……あれ?」


もう一度。


今度は、はっきりと表示が出た。


BLESSING:対象外

REASON:ROLE NULL


聖職者は、視線を落とす。


「申し訳ありません」

「無職の方には、正式加護は……」


優しい拒絶。


怒られない。

追い出されない。


ただ。


「対象外」


それだけ。


恒一は、ゆっくりと手を引いた。


「……そうですか」


教会の光は、変わらず美しい。


勇者のために。

聖女のために。

正しい役割のために。


無職のためではない。



石段を降りる。


王都は、変わらず賑わっている。


誰も、恒一を見ていない。

見えていないのだ。


武器も持てない。

防具も着られない。

加護も受けられない。


──転移してきた時の制服のまま。


「……何も、できないな」


口に出すと、妙に静かだった。


ゼロスライムが、足元でぴくりと動く。


『……できない?』


恒一は、空を見上げる。


「役割がないってのは、

こういうことか」


世界は、優しい。


だが、

その優しさは、役割前提だ。


無職は、傷つきもしない代わりに、

守られもしない。


使われもしない代わりに、

支援も受けない。


完全未接続。


恒一は、拳を握る。


空っぽの手。

武器はない。

防具もない。

加護もない。


それでも。


「……じゃあ」


小さく、息を吐く。


「何も持たずに、行くか」


その選択が、

無職ダンジョンへ繋がる。


“何もできない”と確定した直後に、

世界のほうが、道を開く。


それが、

例外の始まりだった。



小型魔物、おそらくゴブリンが一体出る。

王都周辺なので強くない。


恒一は一人。


拳を構えて、

殴ろうとする。


──早い。


攻撃が当たらない。


三回目でようやく当たるも、硬い。


──弾かれる。


魔物が突進してきて、

吹き飛ばされる。


痛い。

腕が痺れて動かなくなる。


でも──。


必死に抗戦する。

だが、徐々に、魔物に追い詰められ、ひたすら走る。


たどり着いた路地の奥。

何もない空き地。


──ゴブリンは、撒けたか?


息を整える。

後ろを振り返っても、

ゴブリンの姿はどこにも見当たらなかった。


そのとき、

地面だけが静かだった。


──ここだ。



草の匂いが濃くなる。

夜露で湿った地面が、靴底に重い。


足を止める。

理由は、ない。


ただ、

ここだ、と思った。


何もない空き地。

石も、木も、目印になるものはない。


なのに、

足元だけが、妙に“静か”だった。


風が、そこだけ避けている。


恒一は、息を吐く。


「……来た、か」


誰に言ったわけでもない。


一歩、踏み出す。


その瞬間。


世界が、沈んだ。


落下ではない。

引きずり込まれる感覚でもない。


ただ──

地面が、選択を受け取った。


視界が、ずれる。

色が、抜ける。

音が、遠のく。


次に足裏が触れたのは、

冷たく、平らな石だった。


「……っ」


反射的に膝を曲げ、体勢を立て直す。


周囲を見渡す。


天井は低い。

岩肌がむき出しで、人工物の痕跡はない。


だが──

整いすぎている。


自然にできた洞窟とは、明らかに違う。


空間の中央に、淡い光。


近づくと、

文字が浮かび上がる。


【ダンジョン:確認】

【対象:無職】

【アクセス権:承認】


恒一は、しばらく黙ってそれを見ていた。


「……無職、って」


ここまで来ても、

それしか書かれていない。


ロールなし。

評価なし。

属性なし。


ただ、それだけ。


足元で、

ぬるり、と何かが動く。


ゼロスライムだった。


いつの間にか、ついてきている。


『……ここ?』


「……ああ」


恒一は、短く答えた。


(なるほど)


逃げたつもりはなかった。

選んだつもりだった。


でも──


世界のほうが、

先に準備を終えていたらしい。


《初期レベル:0》

《目的:未設定》

《設定権:対象》


目的、未設定。


思わず、口の端が緩む。


「……目的まで、決めないのかよ」


誰にも管理されない。

誰にも指示されない。


それでも、

進むかどうかは、問われている。


恒一は、一歩、前に出た。


すると、

洞窟の奥が、静かに開いていく。


道が、現れる。


逃げ道じゃない。

帰り道でもない。


選んだ者だけが、進める道。


恒一は、深く息を吸った。


「行こう」


誰にも与えられなかった目的を、

自分で選ぶために。


『……ここ、しってる……』


ゼロスライムが、ぷるりと跳ねる。


その瞬間、

背後で、かすかな音がした。


革袋の中のリルが、

互いに触れ合う音。


恒一は、それを確かめなかった。


もう、

どちらでもよかったからだ。


ここから先は、

無職の領域。


世界が、想定していなかった例外。

恒一は、振り返らずに歩き出す。


無職専用ダンジョン──

その最初の一歩を。


誰にも与えられなかった役割へ。

まだ名前のない、自分の役割へ。


足を踏み入れた瞬間、

一瞬だけ──「戻れない」と確信した。



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